母親のために生きてきた

母親に自分を分かってもらいたい気持ちと、
母親に喜んでほしい気持ちと、
この2つの葛藤の中で生きてきた。

共依存の関係にあることは前から薄々感じていたのだが、
昨日母親とレスバを繰り広げて、やっと彼女の本心みたいなものが聞けたとき、
ああ、母も一人の人間なんだという実感が湧いた。

過保護・過干渉だった母親が自分を見放した形になって、
動揺もしているのだが、一方では解放されたことに安堵を覚えている。

依存する関係からずっと抜け出したかったのだ。
彼女がこれ以上の接触を諦めるのなら、私の方も諦めが付く。

それと同時に、母親のことを考えるのが半ば生きがいのようになっていたので、
自分の人生をどう展開していけばいいのか路頭に迷っている。
私の本当にやりたいことって何だったっけ。
自分のためにしてきたはずのことは、実は母のためだったのかもしれない。

「自分のために生きる」
この言葉は前途への祝福であると同時に、
私にとっては人でなしの烙印であり、呪いである。


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