「自分の代わり者はいくらでもいる病」が再発中。
今日は、1年前のFacebookでの投稿を振り返っていました。
『自分の代わり者』
ちょうど1年前(一昨年前)は。
同僚に比べて、残業がないことの重みを感じていた時期でした。
残業がないことで、専門職としてのニーズが今の職場にあるのか。
ぼく自身として、専門職以前に職場にいる人材として本当に必要なのか。
そんなことばかり考える日々を過ごして。
結局は、自分の代わり者はいくらでもいるという現実にぶつかることになりました。
そして、今(昨年)も。
"自分の代わり者はいくらでもいる。"
という現実に変わりはありません。
でも、それ自体がネガティブでなくなった気がします。
あの頃から、市役所にいる人間で1番動き回りたいと思って、ここまで動いてきました。
その行動の原動力こそが代わり者の存在で、いつかはぼくに代わる存在がいないレベルまで上りたいと思うようになりました。
だからですよ。
市役所の派手な名刺や名札はともかく、業務外で出張なのかと聞かれるのが定番になるくらい動き回っています!!
空回りも多いぼくですが、代わり者がいくらでもいる現実を少しは受け入れられるようになったと思った今夜です。
一昨年の思いを振り返った昨年の今日。
それから1年が経って、この「自分の代わり者はいくらでもいる病」が再発しているようです。
そこで、コロナ禍で抱える心境をここに綴っておこうと思います。
***
コロナ禍は大きな業務量の差を生んでいる。
新型コロナウイルス感染拡大を受けて、地方自治体内(市役所内)の業務量の差が見えてきている。
通常業務においては企画系や総務系の部署は年がら年中多忙な状況が続いている。
それに加えて、感染拡大における助成金関係やワクチン接種業務といった新型コロナウイルス対策にかかる業務を司る部署の負担は大きくなっている。
先日には先輩保健師が異動になったり、ぼくの同期は夜中に帰ってきたり、ぼくの周辺は騒がしいようだが、そんな中でぼくの生活は変わらない。
以下の記事で書いたが、新型コロナウイルス完成拡大を受けて、ぼくの業務量は減少している。
さらにいえば、主な業務である訪問活動ができないことによるストレスと憂鬱感が増加しているのだ。
他部署の方々には「本当にありがたい!!」と常々思っている。
けれども、周囲が頑張っている最中、細々帰る身としてやるせない思いが生まれる。
疲弊している同期の背中や終業後数時間経っても灯が消えない庁舎を見ると、「何かやれることはないかな。」「こんなでいいのかな。」と疑問に思う。
ぼく自身としては、いつも「もう少し役に立ちたい。」と思っているから余計に辛く感じるのだ。
「役に立ちそうにない。」の幻想に惑わされる。
ぼくは、市役所の福祉職(社会福祉士)の立ち位置に属している。
基本的には、福祉分野の部署にしか行かない。
というよりも、福祉分野の部署にしか行けないのが現状だ。
他自治体への派遣希望を出そうとした際に、人事担当に確認すると「専門職は想定外だ。」と突っぱねられたことがある。
それに、現に社会福祉士が総務系や企画系に配属される事例はなく、とりあえず相談機関にいてくれというスタンスが丸見えなのだ。
つまり、これは「他部署では役に立ちそうにない。」という閉鎖的かつ狭義的な視点に踏みとどまらざるをえないということを意味している。
それが保健師の業種になると、また別の立ち位置になるのだが、現場にいる社会福祉士として新型コロナウイルスへの対応で関われる業務範囲が限られてしまっているのだ。
だからこそ、「役に立ちそうにない。」という幻想を超える可能性を、このコロナ禍で探っていきたいし、人事担当に訴えていきたい。
「代わり者」がいないから、チャンスがない!?
一方で、市役所内の社会福祉士の人員は少ないから、福祉職は国家資格を持つ地方公務員で代わり者がいないとされがちだ。
とはいえ、ぼくの所属先だけかもしれないが、人不足といっておきながら、残業はあまりない。
「代わり者」がいないという、組織内のステレオタイプに縛られている気がしてならない。
ぼくが市役所の面接時に当時の副市長から「社会福祉士は引く手数多だからね。」と言われたのが記憶に残っている。
そう、「社会福祉士は多様な現場で働くことができる。だから、市役所をやめないでね。」というメッセージだったと思う。
でもね。それだから、「社会福祉士は市役所内のどこでも働けるんだよ。」って言いたい。
「代わり者」がいないのは、単に人手が足りないから。
ぼくと同じレベルの専門性を持つ社会福祉士は全国各地にいくらだっているのだから。
それだから、ぼくは自分の代わり者はいくらでもいると思いつづけている。
それは、勝手に限界だと決めつけているから。
そんな状況で、市役所の福祉職の立ち位置はそう簡単には変わらない。
だって、今まで変わってこなかったんだから。
でも、コロナ禍で立ち位置や役割が変容してもよいと思う。
そうでないと、新型コロナウイルスには立ち向かっていけないし、今まで多忙極まりない部署は余計に疲弊することになるからだ。
「地方自治体に属する福祉職の限界を勝手に決めるんじゃない。」と言いたい。
新型コロナウイルスへの対応でできることはたくさんはず。
ご高齢の市民の予防接種の受診援助や啓発・周知活動、コロナ禍で閉じこもりがちになっている方々へのアウトリーチ活動といった、保健福祉行政に属する専門職としてできることはあるはずだ。
「ソーシャルワーカーにもチャンスをくれ!」と叫びつづけたいと思う。
ぼくの「代わり者」はいるからこその可能性を探りたい。
コロナ禍がもたらす可能性は無限大。そして、それは、ぼくの「代わり者」がいるという現実からの脱却に向けての第一歩になりえるのだ。
同じ社会福祉士という専門職は全国各地にたくさん存在する。対馬という離島に生きる同職種は少ないが、きっと隠れている人もいるし、人手不足をいい訳にしてきた部分が大きいと思う。
対馬市では「全部署にわたって応援体制を取る。」と市部局の上層部が言っており、社会福祉士という専門職にも白羽の矢が立つ可能性は十分にある。
でも、先日の人事異動では、この可能性は断たれたように見えた。
だから、今悩んでいるんだと思う。
新型コロナウイルスへの対応は、単なる感染症対策という意味合いに留まらない。
これが行政ソーシャルワーカーや保健師、事務職といった公務員全員の力量の向上につながると考えている。
だからこそ、今回の新型コロナウイルスへの対応(予防接種業務を中心に)に、ぼく自身は携わりたいのだ。
それに、これが市役所にいる社会福祉士の価値を上げたり、キャリアの選択肢を増やすことにつながることを期待しているし、ぼくはそれに向かって動いていきたいのだ。
「代わり者」がいないという幻想とぼくが抱えつづけている「代わり者」はいくらでもいるという心情の間にあるギャップ。
このギャップには地方自治体に属している間は抱え続けると思う。
でも、ここから逃げずに生きていくとここに誓いたい。
***
市役所で働きはじめて3年目になりましたが、それでも「自分の代わり者はいくらでもいる病」は完治しないようです。
1年前からは、業務内ではなく業務外でできることをすることで、離島公務員&行政ソーシャルワーカーの価値を高めてきました。
しかし、コロナ禍で地方自治体に求められることが増える中、自分が業務内でできることの限界を感じています。
さらに、それが従来の市役所の社会福祉士の立ち位置の固定化と相成ってきており、非常に頭を悩ませています。
今のぼくにできることを探りつつ、行政ソーシャルワーカーの立ち位置について深く研究していきます。
そして、忘れてはならないのが、この現状と可能性を訴えつづけることです。