離島生活5年目の2022年は“溶け込む”1年だった。
2022年が終わりを迎えます。
一昨年から、1年の振り返りをNoteにしています。
今年2022年の振り返りもしっかりやりたいと思います。
コロナ禍の終わりが見えない中、離島での暮らしが5年目を迎えた、はりやはどんな1年を過ごしたのでしょうか。
1ヶ月ごとに振り返っていく。
◆1月
今年の正月も対馬で過ごした。
東京への帰省が叶わず、2年連続で迎える対馬の正月は、やはり楽しく面白いものだった。
毎年恒例となっている、千俵巻山での初日の出〜!!
2022年最初の太陽も、いつもの自撮りも、最高に決まっていた。
その日の夜は、対馬の介護の現場を担う、同年代の技能実習生に出会った。
彼らはベトナムから来たという。その彼らとはりや宅で和気あいあいできたいい正月だった。
この彼らが対馬で暮らす高齢者の方々を支えていると思うと、感無量になる。
そして、対馬物語の公演が待っていた。
市役所の同期が主役をするということで、気合十分だったし、楽しみながら演技ができたと思う。
公演に先立ち、消防団の先輩方からお花をいただいた。
劇団活動っていいなと思えた1月だった。
◆2月
2月は燃え尽き症候群というか、日頃の業務が忙しくなったというか、平凡な1ヶ月だった。
とはいえ、新しい企画(結局実現できなかったが。)が生まれたりもして、少しもがいていたのかもしれない。
今年2022年で最もパッとしなかった1ヶ月だった。
◆3月
まさかの人事異動の嵐に見舞われた年度末だった。
以前より変わらず、毎週木曜日のスナックアイランドを続けながら、
しかし業務量の多さでバタバタしていた1ヶ月。
そして、マンネリ感をずっと感じていたこともあって、この時期から転職を具体的に検討していくことになる。
そんな中、新年度の2週間前に予想もしていなかった異動内示を見た。
新卒4年目にして人事異動がないことでマンネリ化が否めなかったから、ちょうどいい機会だと思った。
1人で抱え込んで、1人寂しく残業する日も少なくなかったし、それを見ていた他部署の先輩方が異動を喜んでくれた。
「おーーー、それはご栄転だ。」
「行きたかった上対馬に動けていいじゃないか。」
そんな風に喜んでくれていて、数年抱えていた気負いから解放された。
桜が散る光景と新たな職場の名札をセットにしてみたら、綺麗に写って見えた。春の桜がぼくを新天地に呼んでいるようだった。
◆4月
そして、新天地で新年度を迎えた。
新しく赴任した職場は現在構えている住居から車で片道1時間25分を費やす。
「そんなの無理だろう。」「さっさと諦めて引っ越したら?」
などの周囲の言葉を振り切り、2拠点生活に近い働き方を始めた。
新天地には以前から携わっているコミュニティ拠点・ハトバがあり、そこのメンバーと一緒に過ごす時間が増えていった。
新しい職場の環境と自ら向き合う高齢者の方々が変わり、慣れることを重きを置いた1ヶ月でもあった。
また、NHK長崎の番組に離島公務員として出演することになり、ロケ取材で長崎市内に行き、ロケ会場のスナックで久しぶりにスナックつしまを開店した。
そんな新天地で迎えた4月の終わりから、ぼくは瀬戸内海への旅に出ることになるのだ。
◆5月
今年の5月は10連休があって、その長い休日を使って、瀬戸内海の島々と関西方面を旅した。
広島県大崎上島町→愛媛県今治市→愛媛県上島町と渡り歩き、その後大阪市内と神戸・新長田を街歩きした。
その後大阪市内と神戸・新長田を街歩きした。
公務員仲間や公務員を応援する方々と出会う中で、世の中と組織の中で生きていくことの難しさを共有し、そして明日への展望を語り合えたのは、本当に大事な時間だった。
そして、実はこの10日間で1ヶ月分の手取りくらいのお金を使った投資で、これから自分のキャリアを考えるヒントをもらえた10連休だった。
そんな中、NHK長崎の新番組「ニシノハテ革命」が放送された。
離島に生きる1人の公務員としては、初めてTVに出て、思った以上に良い反響があって嬉しかった。
ただの1人の公務員だからこそできることはたくさんあるし、もっと世の中を動かして良くしていきたいと思った。
それに、これまで自身が公務員として繰り返し言ってきたことがTVで流れて、積み重ねの大事さを感じる機会だった。
◆6月
ジメジメした梅雨は、ぼくが特に苦手とする季節だ。
しかし、長距離通勤と2拠点生活っぽいことを始めてから、頭の切り替えと日頃から関わる方々が増えたことで、ここ数年に比べてアクティブに動けた気がする。
住んでいる地域では劇団の練習が、通って働く地域では祭りの準備やイベントの手伝いがそれぞれあった。
そして、異動先の新天地では、梅やビワなどの果物やきゅうりといった野菜や佃煮など、多種多様なものをいただいた。
地域に根ざして生きているという感覚と物をいただく幸せが交差する瞬間に出会えて、ぼくは本当に人に恵まれていると感じた。
◆7月
7月入ってすぐに、先輩公務員の送別会に参加した。
対馬がどこの地域よりも恵まれていると語った学芸員を対馬から見送る立場になって、5年目の時間の早さを感じつつ、島に生きる人間として自信を持って見送りたいと思った。
そして、数年携わっている貝口ビアパークの海開き。
地域に根差したを具現化しているこのプロジェクトには頭が上がらないし、さらに関わっていきたいと思った。
7月中旬には長崎の公務員有志で東彼杵町に合宿に行った。
新たな出会いや対馬からの再会など、THE長崎メンバーの繋がりを再確認できる機会だった。
離島にいるとどうしても長崎感が薄れてしまうけど、離島が多い県だからこそ、また長崎本土でもアクションを展開していきたいと思う。
そして、7月には講演依頼が入り、対馬の地域福祉の現状について全国各地の方々にお伝えした。
◆8月
8月はぼくの誕生月で、一番ホットな1ヶ月だった。
島内2ヶ所で開催された祭りを手伝ったり、劇団の練習に取り組み始めた1ヶ月だった。
コロナ禍で27歳の誕生日は1人で祝ったが、実家から名前入りの日本酒が届いて嬉しかった。
劇団公演に向けて焦りが出はじめたのもこの時期。
誕生日だからって気をよくしている暇はなかった。
◆9月
この月は台風が付き物で、台風対応があった。
長距離通勤しているため、消防団には合流できず、庁舎内待機という対応となった。
庁舎内で夜を明かすという初めての経験だったが、管理職の方々とともに情報交換しながら務め上げることができた。
そして、10月末の劇団主演作の公演に向けて、練習のギアを上げていった。
また、合間を縫っては、対馬地球大学に来られた大学生のフィールドワークや11月上旬の佐須奈にぎわい祭りの準備をしていた。
誕生日翌月はモチベーションが上がっているのがあっという間の1ヶ月だった。
◆10月
この1ヶ月はなんと言っても大変な月だった。
10月末に公演された対馬市民劇団漁火「こっぽうもん〜賀島兵介物語〜」の稽古に追われた。
2週間くらい前になると、練習はほぼ毎日で、時には練習後にも劇団員が自宅に集うなど、劇団活動が活発だった。
そんな中、10月上旬には日本離島センター主催の島づくり人材養成大学に参加することになった。
島根県の離島は初めてで、隠岐諸島・西ノ島で数日を過ごした。
対馬以外の全国各地の離島メンバーに出会い、各々の島での苦労や葛藤、やる気に溢れた想いを共有できたことが嬉しかった。
そして、離島と公務員を、離島と離島をつなげたいと日々活動してきたが、その点と線が、さらに広がっていったと思う。
10月の公演も拍手喝采で幕を閉じ、自身の成長を感じる1ヶ月だった。
新作で主演を務め上げたことが何よりも大きな自信になった。
◆11月
劇団の公演が終わり、すぐに佐須奈にぎわい祭りがやってきた。
4月の異動先の佐須奈地区の取り組みに携わりたいと思い、事務局として祭りを運営していた。
地に足つけて、地元の喜怒哀楽の場面に向き合う、貴重な経験をさせてもらった。
また、11月中旬には対馬グローカル大学のweb講義の依頼を受けて、対馬の地域社会福祉と題して、様々な対馬の地域課題と取り組みについてお話しさせていただいた。
また、取り組みとして紹介した貝口ビアパークに九州大学の学生さんと佐須奈で防災に向き合う武田さんをアテンドすることになった。
地域に溶け込む一方で、全体を見る視野が狭くなっていると実感する1ヶ月だった。
◆12月
そして迎える、2022年最後の1ヶ月。
昨年と同じく、12月上旬には大学時代の後輩が対馬に来島、対馬島内をアテンドした。
久しぶりの島内アテンドで、新鮮さを取り戻した気がするし、楽しかった。
クリスマスは、2拠点それぞれで過ごした。
男子だらけだったが、ぼくを取り巻く人たちの面白みと暖かさを感じることができたクリスマスだった。
そして、今年の年末は東京に帰ってきている。
2022年のキーワードはこれだ。
◆人事異動を機に始まった、島内2拠点生活
4月の人事異動で、車で片道1時間25分を通勤する生活が始まった。
それと同時に、赴任先の佐須奈のコミュニティ拠点に顔を出す機会が増えて、ある意味2拠点生活のようなスタイルを確立した。
夏には祭り等の行事の手伝いで、数日間自宅に帰らないこともあった。
対馬は日本の有人島で3番目に大きな離島で、それを感じながら飽きずに対馬で暮らしつづけられる面白さは絶品だ。
その面白さを、これからもっと多くの方々に伝えていきたい。
◆地域に根ざす活動とマンネリ化
今年は、劇団の主演や祭りの事務局を務めることができ、地元の方々が抱える苦労さや泥臭さを直に浴びることができた。
それはとても貴重なことで、地域に根ざすということはそういうことなのだと思う。
一方で、島外に出る機会やオンライン活動を含めて島外の方々と関わる機会が減って、マンネリ化が生まれてしまった。
視野が狭くなっているのではという不安が遮ることもあった。
島内での動きと島外での動きを両立していければと思っている。
◆公務員であり続ける決意
8月の誕生日を機に、20代は公務員であるという決意をした。
・地域に根ざしたことをしたい。
・人と人、人と地域、地域と地域をつなぐハブでありたい。
・地域を売り出すスポークスマンでありたい。
この3つの私のビジョンを踏まえて、これら全て網羅できるのは公務員だと思ったし、これまで以上に貫き通せばいいと思えた。
これが2022年で一番大きなことだった。
◆みんな居場所としての自宅
昨年12月から平屋の一軒家を借りている。
正月から年末まで多くの知人や友人、中には初対面の方々も自宅に泊まりにきた。
実際に他者を自宅に招き入れることで、新たな企画や人とのつながりが生まれた。
それはみんなにとっての居場所にもなっているし、居場所をまたどこかに作ることにもつながっているのだ。
このことは、また追々綴っていくつもりだ。
◆メディア等の成果物
(TV・新聞)
・NHK長崎「ニシノハテ革命」出演
・西日本新聞(12月11日朝刊)「地域の偉人に信念重ね」掲載
(執筆)
・地域づくり11月号【特集】プラスワンで地域を作る若手公務員(2)
(講義)
・特定非営利活動法人エブリワンズ・ストーリー7月研修会
・対馬グローカル大学web講義(11月24日)
今年は公務員という肩書きでメディアに出ることが多かった。
細々としている活動と人生を見てくれている人がいるんだなと改めて感謝したいし、もっと多くの事柄を伝えていけるよう精進していきたい。
2023年を想う。
今年は入庁してから節目の5年目。
やっと目に見える形で結果が出てきた1年だったと思います。
しかし、これだけでは終わりません。対馬での日々はこれからも続きます。
来年はこれらの取り組みを継続しながら、より一層積み重ねを大事にしていきたいと思います。
皆さま、新年もよろしくお願いいたします。
2022/12/31 針谷 広己(長崎県 対馬市)