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生きやすくなりたいなら、適度に他者への興味をなくすこと

現代の生きにくさの最大の要因は、人の目を極度に気にしなくてはいけなくなったことがあげられます。

SNSで晒されたり、炎上したりといったことを目の当たりにして、本人にとっては何気ない発信が思いもよらない波紋を広げてしまう。
見知らぬ何者かに常に監視されているような息苦しさが、どんどんと濃さを増していっている様に思えてなりません。

自分の世界を広げられるはずのウェブの世界で、なぜか息苦しくて閉塞感を感じてしまうという悪循環はいつから生まれたのでしょうか。

と思ったりもするのですが、実はこれって自分が作り出した幻想に過ぎないのではないかと思っています。

SNSで見かけた一部の世界が自分にも起こりうるんじゃないかと思ってしまう。
誹謗中傷で自らの命を絶った有名人を見て、そんな状況が自分の身にも起こるんじゃなかと思ってしまう。
私は過去にブログに書いた記事が、プチプチ炎上すると言いますか、色々な人たちの反対意見を頂いたことがあります。
私はSNSで見かけた状況を身を持って体感しました。
そして得た結論としては、私ごときのプチプチ炎上くらいでは日常に害を及ぼすようなことは起こらないです。

スマホの登場により、24時間ネットで誰かと繋がっている状態になってしまってから、ウェブの世界と現実世界がリンクしており、仮想現実で怒ることが現実化するように思えてしまいますが、実際はネットはネット、現実は現実です。

明日は我が身と言いますが、ネット上で誰かの身に起こったことはほぼ自分の身には起こりません。
炎上することもないですし、バズることもほぼありません。
なんなら、SNSを一切やらなければ、SNS上で起こった出来事を自分が経験することはありません。
そんなものですが、過剰に人の目を気にしなくてはならないような風潮から逃れられないと思っている人が多くいます。

バズも炎上もプチプチくらいで体験することで、まぁ、こんなもんだよね。と思えると、人の目を気にする必要がないことが分かります。
はっきり言えば、SNSは世間ではなく、ごく一部の人たちのごく一部の意見でしかありません。

今の世の中を生きやすくしようと思うなら、適度に人に対して興味を持たないことです。

希望も失望もなく、周囲の人たちも世間も事象でしかなく、自分の力ではどうしようもないですし、どうにかする必要もないものです。

自分らしくというワードに惹かれながら、マニュアルだったり、誰かの意見やソースといったものを気にする時点で、なんだか矛盾した世の中です。

そう、世の中はつまり矛盾だらけなんです。整合性のあるものなんてほとんどないんです。人なんていう矛盾だらけのものが作り出した社会という世界で、なんだかよく分からない世間の目なんて、気にしても仕方ないですし、そんなものは幻想です。

ガンダムの名言に、「ジオンとの戦いは、まだまだ困難を極めるという時、我々は学ぶべき人を次々と失ってゆく。寒い時代だと思わんか?」というものがあります。

現代は寒い時代ではなく、余剰に繋がり過ぎている、ある種の熱狂の時代ではないでしょうか。
過剰な時代だからこそ、個人としては寒さを伴うような割り切り方が必要なのだと思います。

つまり、何が言いたいのかというと、適度に人に興味ない人と一緒にいるとめちゃくちゃ楽だよね。という話です。

そういうものに私はなりたい。

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ハリー
最後までお読みいただきありがとうございます それだけでとても嬉しいです ただ読んでくれただけで イヤ本当に読んでくれただけで十分です 本当に嘘じゃないよ