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日本人は論理的思考を学ばない方がいい理由
論理的なんて言葉が一般的に使われるようになったのはいつからでしょうか?
パリ五輪にまつわる賛否両論(号泣だったり、飲酒喫煙だったり)が飛び交う言葉を眺めていて、もしかしたら左脳過多と言いますか、論理的思考により過ぎた結果なのではないかと思い至りました。
日本人は他国に比べて、元から論理的思考になりやすい人種です。なぜなら、日本語は母音をメインとし、母音は左脳をメインに使うからです。
ちなみに、母音をメインとしている言葉は、日本語とポリネシア語の2ヶ国語だと言われています。
つまり、日本語を母国語としているだけで、子音をメインとしている言語とは異なっているという事です。
ちなみに、子音をメインにした言語は、右脳をメインに使っているそうです。
日本人は他国の人たちと同じように脳を使わない方がいいという事になりそうです。
日本語と他国語の違いで顕著なのは、子供の泣き声です。
日本人は子供の泣き声に意味を見出そうとするため、気になってイライラしてしまいますが、他国の人たちは言語的な意味を見出そうとはせずに、BGM的な感覚で聞こえているため気にならないそうです。
あとは、虫の鳴き声を美しいと感じるのは、日本人とポリネシア人だけで鈴虫寺は雑音寺と呼ばれているそうです。
何が言いたいかというと、日本語をメインとしている段階ですでにグローバルスタンダードにはなれないという事です。
つまり、日本語を使っている段階で論理的思考よりなのに、さらに意識して論理的思考なんていうものを取り入れて、論理的思考ができる人は頭がいい的な風潮に流されてしまうと、日本人は左脳閉塞に陥り、妙に論理的であろうとするコメントで溢れかえる世の中になってしまいます。
日本人が左脳に寄りすぎている事を危惧していた作家がいます。
その名を安部公房といいます。
1991年発売のエッセイで、すでに左脳閉塞状態を危惧しておりました。
この本の内容を改めて思い返してみると、安部公房さんの危惧していた通りの世の中になってしまっているように思います。
そして、この本は文庫本なのになぜ3000円近くもするのでしょうか。
私、この本を中古本でかなりお安く買った記憶がございます。
なんとなく今の日本人がアンバランスだなと思えたのは、より左脳よりになってしまっているからではないでしょうか。
論理がまさり、感情や感覚が抑えられてしまった結果、変なところで爆発してしまうといいますか、ストレスを溜め込み続けていく。
論理と感情と感覚があまりにもアンバランスすぎる。
なんてことを言いながら、私は毎日、日本語を使って文章を書き続けているわけなのです。
私、完全なる右脳人間で、10代の頃は日本の映画が観られませんでした。
なぜかというと、日本語のセリフが全く耳に入ってこず、意味が全く分からなかったからです。海外の映画だと日本語の字幕が出るので、観られました。
40代になった今でも、若干、日本語は聞こえてくるけど、意味がわからないという瞬間があったりします。
なので、全員が全員論理的思考を学ばなくてもいいというわけではありませんが、日本人は左脳優位である人が多いと言われているので、ロジカルよりも芸術を目にした方が、バランスが取れるのではないでしょうか。
あるいは、安倍公房大先生の小説を読むというのもいいかもしれません。
なぜなら、安部公房という人物はデジタルな言語を使い、アナログな感覚を表現するというめちゃくちゃ稀有な事に挑戦し、やってのけた人物だからです。
読んだことのない方はぜひ読んでみてください!
初めての方におすすめの小説は「人間そっくり」です。
私は「密会」から入りました。この入り方はおすすめできるのかどうか甚だ疑問です。
音楽を聴いて、詩を詠むを趣味にしてみませんか?
もしかすると、バランスの取れた人生になるかもしれませんよ。
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