シリーズ日英対訳『エッシャー通りの赤いポスト』コラム 個性とは何か ②
殻を破るということ
映画『エッシャー通りの赤いポスト』に出演するキャストたちは小林正監督が監修する映画「マスク」のオーディションに応募する。学歴や職歴も関係ない。応募者はそれぞれ抱えてきた思いや心の葛藤を伝え、演技でアピールするのだ。それぞれの「個性」を輝かせる場である。
現実の世界ではどうか。中学や高校などの学校で同調圧力に縛られ、自分軸の生き方が確立できないまま進路を迎えた人々は多いはずだ。卒業後に就職して生計を立てる者がいれば、大学に進学した者もいる。
特に大学でキャンパスライフを送っている学生は社会人になるまで自分の殻を破り、人生の主役になるための礎を築くことが重要になってくる。では、現代の大学生はどう考えているのだろうか。
元共同通信社記者で東京理科大学教授・宮武久佳氏は大学生と接する中で、彼らが同調圧力に敏感であるがゆえに表向きでは見せない孤独や生きづらさを抱えているのだと指摘する。
中学や高校と同様に集団主義に合わせざるをえない。「出る杭は打たれる」「他人の顔をうかがう」といった同調圧力に怯える。大学に入っても、個性を出していいのか否かの基準が見えない。そういった事情で大学生には内なる悩みがあるのではないかという視点である。宮武氏は比較的自由な環境で学べる大学にいるからこそ、自分の人生を生きるための指針を持つべきだとする。
経済的な自立は現下日本の経済を見れば、明らかに低迷しているため、困難を極めている。生活苦に悩んでいる人が多い。映画『エッシャー通りの赤いポスト』に出演する俳優たちは当然のごとく芸能一本だけでは食べることができないと考えている。そのため、アルバイトをしながら生計を立てている人もいる。それでも、一流の芸能人に憧れを持ち、「あの人のような生き方をしてみたい」という夢に向かって俳優業に奔走するのである。経済的繁栄も目指すとともに。
一方で精神的な自立は親や古びた価値観を持った大人の常識に従うのではなく、自分独特の生き方を模索することだ。大学生活という僥倖に恵まれた若者たちにとっては「個の力」を磨いていく良いチャンスであるということだ。
幸せになるには「機嫌のいい状態」を目指す
さらに宮武氏は幸福のあり方についても言及する。
人間は「幸福になる義務」がある。そのためには人が「機嫌の良い状態」を目指さなくてはならない。「機嫌が良い」とは自分独特の考え方で人生を面白く楽しく生きていくことができている時の状態だ。それが一番の幸せなのではないか。
映画『エッシャー通りの赤いポスト』に登場するキャストはどの人も個性的なキャラを持っている。その個性をオーディションで存分に発揮し、主役の座を競い合う。彼らにとっては主体性を取り戻し、自分の人生に潤いをもたらす「機嫌の良い状態」といえるであろう。
人脈もお金も「個の力」が大切
ビジネスの世界でも「個の力」が重要な指標となりうる時代に突入している。農林中央金庫バリューインベストメンツ株式会社CIOで金融投資家の奥野一成氏はIT全盛期を迎え、「組織の時代」から「個人の時代」に移り変わったと主張する。
スマホ一つで情報発信が可能となった時代において、企業も個人も自分で責任をとってビジネスを手掛ける。人やお金を引き寄せるためには「個の力」を強化しなくてはならない。とどのつまり「尖った才能」を持つ人間こそが人もお金もついてくる。だから自分の得意分野を活かして、人生の主役を勝ち取るのだ。
山岡竜弘氏が演じる小林正監督は「鬼才」と呼ばれ、鑑賞者を引き込むほどの独創的な映画製作を心がけている。映画「仮面」では演技経験を問わず新人俳優を募集して新鮮味あふれる映画に仕上げようと試みる。応募者がそれぞれの演技で見せる「個性」を出し、競い合うことで、それらの演技を見た小林監督は作品の中に取り入れ、観る者に刺激を与える構想を練っている。もっとも物語の終盤には小林監督が自暴自棄になって最後に「バカになる」のだが。
個性あふれるキャラを結集して面白い映画にしようという「付加価値」を与えること。すなわち、人の役に立つような作品を目指すものだといえる。社会に大きなインパクトを与えることで新しい価値観を創造しようと考えているのだ。これも個人的なビジネスにおいて重要な要素になるのではないか。
情熱的モチベーションとダークホース的な生き方
個人の時代において人々が豊かな人生を歩むためにはモチベーションが大切になってくる。ハーバード教育大学院で個性学研究所所長を務めるトッド・ロース氏と神経科学者のオギ・オーガス氏は個々のやる気を引き起こすための環境が学校でも職場でも整っていないと指摘する。
ここで重要なのは学校や組織が「あなたの個性は重要ではない」という点である。「我々の言う通りに従っていればいい」という圧力がかかり、ルールに沿って日々の仕事に黙々と向き合うしかない。効率性を重視するため、画一的なモチベーションでやればよいということだ。これでは才能が開花しないうえに面白いことを世の中に生み出そうにもやる気が損なわれる。味気ない人生になってしまう。学校での勉強が面白くない。仕事でも自分の特性を発揮できない。満足感を得られずに途方に暮れるのも当然だといえよう。
「好き」を極めよう
では、どうするべきか?トッド・ローズ氏は続ける。
「ダークホース」とは「型破りな成功をした人」という意味だ。個々の人生にとって何が大切なのか、あるいはどういう分野が得意と感じるかを発見することであろう。たとえ自分で見つけられなくても、他人によって人の才能を見抜き、それを開花させることもある。自分の持っている強みが常識を超越し、社会に新しい価値観を創造することになる。「本来の自分は人生の中でこのようなことをやってみたかった。」と気づいた時、いつのまにか成功しているということになる。ダークホース的な思考法を取り入れるためには「本来の自分の姿」を想像し、「自制心、決意、不屈の精神、熱意、グリッド(やり抜く力)」を意地でも貫く。これは「個人の時代」にとって欠かせない信念である。
要するに、自分の好きなことを活かして生きる人は成功する。あるいは他人の目によって才能が見つかり、結果的に「好きなこと」になり、成功する。どちらの方法でも、最高の人生をつくることができるのだ。
映画に登場する個性あふれるキャラを持つ登場人物はそれぞれ世間の常識に疑問を持ち、想いをぶつけるためにオーディションに望んでいる。
安子が「人生のエキストラでいいんか!?」の叫びは主役を取り戻すための闘いという意味を込めた台詞であろう。「私たちレズビアンギャングよ!わかってんの!!」と声を揃える劇団員たちは性の多様性を尊重するという意味を含んだ決め台詞を言う。小林心中クラブのメンバーは小林監督に「I love you ♬ 君はなんて愛おしいんだ♬ そばにいたいよ♬」と尾崎豊のように愛の讃歌を歌い、「我らは小林様とともにあり。」と突然キリリと襟を正し、忠誠を誓う。
「主役が好き」「レズビアンが好き」「小林が好き」といった具合にそれぞれ「好きなこと」がある。だからこそ、どの人も心の底から人生を変えたいという意欲が湧いてくるのだ。
幸せな人生を送るカギは「人・本・旅」にあり
とはいえ、好きなことを見つけるのはなかなか難しい。そこで具体的な方法は何か。それは「人・本・旅」である。
ライフネット生命創業者の出口治明氏は人生を楽しく面白く生きるためにはこれらの3つの要素が重要と説く。
もちろん学生に限らず、社会人になっても学び直しを行う環境が整いつつある。しかし、大学に通学できる人々にとって時間的余裕があり、濃密な人生を送るためのリソースが大学に揃っているため、学生にとっては特権といえよう。学生生活を楽しみつつ、その先の社会人生活において充実した人生を送り続けるためには「人・本・旅」を意識して取り組むことだ。出口氏も古希を過ぎてもなお「毎日が勉強」と心得ている。
「人」とは自分の興味のある人に会うことだ。企業経営者、芸能人、作家、学者。どのような人でも構わない。自分より優れた人、憧れの的である人、尊敬の念を持つ人に出会うことで人生を変える道しるべになる。
「本」とはたくさん本を読むことだ。読書によって自分の世界観を広げることができる。自分の関心の幅が広がる。多様な価値観を楽しめる。利点は豊富にある。
「旅」とは自分の知らない場所に行ってみることだ。「旅」といっても遠出をする必要はない。映画館や劇場、珍しいカフェ、近場の観光名所、アイドルのコンサート会場など多々ある。それらの場所に足を運ぶことで人生の充足感を得るためのヒントを探ることができる。
出口氏はたくさん人に出会い、たくさん本を読み、たくさん旅をすることで人生に潤いを取り戻し、その中で好きなことが発見できる可能性があると力説する。
個人軸に沿った生き方は「人・本・旅」というシンプルな方法から探してみるのも一興であろう。