シリーズ日英対訳『エッシャー通りの赤いポスト』コラム 個性とは何か①
同調圧力と個性
個性とは何だろうか。その答えは人によって捉え方が異なるため、一概に言えない。
私たちは日常生活を過ごしていくなかで、心の中で物足りなさやモヤモヤしたものを感じながら生きている。一方で有名な芸能人や企業経営者など世の中に影響を与える人々の目覚ましい活躍ぶりを見ていると、持ち前のキャラクターや独自の思考法を活かして「人間らしさ」を発揮している。面白い人だなと思うことがあるだろう。個性的な生き方をしていて憧れを抱くことも少なくない。
映画『エッシャー通りの赤いポスト』に登場する人物は、どの人も強烈な個性を発揮して演技する姿が目に映る。殺気立った訳ありの女・安子。夫の遺志を継ぎ俳優を志す未亡人・切子。レズビアンギャングと名乗る浴衣姿の女性劇団員たち。小林監督を愛するが故に「小林監督心中クラブ」を結成した女性ファンの面々。映画プロデューサーお墨付きの実力派の現役女優たち。自分が望む魅力的な映像作品を構想するも最後に自暴自棄になり「バカになる」鬼才の映画監督・小林。それぞれのキャラの持ち味を活かし、「個性」を活かした演技を繰り広げる。
翻って、現代社会に生きる人々はどうか。社会面では長きにわたる経済の低迷、雇用環境の変化、急速なデジタル社会の到来、感染症の流行などが相次ぐ。生活面では家計のひっ迫、仕事上の人間関係における悩み、学校でのいじめや不登校の問題、子育てや介護などの大変さ、老後の不安といった問題が山積している。そうした息苦しい社会の中で「私たちはどう生きていけばいいのか。」と悩む人が多い。
個を活かした生き方を実践している人を見ると、「私もあの人のようになりたい。」と心の中で思う。だが、それができない。家族や世間がなかなか認めてくれないからだ。
日本は同調圧力が最も強い国である。故に人の生き方に対する物差し・慣習・価値観があまりにも狭い。少しでも世間から外れるような人を異質だと決めつける。急速な社会の変化に適応できない。こういった事情が人々にとって息苦しい状況に立たされているのだ。
ジャーナリストの岡田豊氏は2011年3月11日に発生した東日本大震災における日本人の対応についての海外メディアの報道事例を挙げた上でこのように指摘する。
「同質性が高いから混乱が起きにくい」という日本人の気質は確かに利点がある。しかし、「個性を我慢しなければならない」という世間からの圧力は日本人の生き方の物差しを狭めることになる。このような社会的価値観が人々の「個」を軽視しているに違いない。
「他人の顔色をうかがう」という視点にフォーカスしてみればどうか。瀬奈梨々香役として出演した女優・鈴木ふみ奈氏はGREE NEWSのインタビューに応じ、自身の外見と内面のギャップに苦悩したことを語っている。
凛々しい目と端正かつ力強い表情から察するに、侮ってはいけないほどの存在感を放つ。しかし、それとは裏腹に他人の顔色をうかがいがちな八方美人のタイプだと自覚する。故に2つのギャップをどう活かしていけばよいのか。鈴木氏は悩みながらも「強めの役」作りに軸足を置くことで乗り越えてきた。この性質を映画やドラマなどの役作りに活かし、俳優としての活路を見出そうとしている。「個の力」を遺憾なく発揮したのである。
ほんとうの自分をみつけるための「個人主義」
ドキュメンタリー番組を手掛けるメディアプロデューサーの丸山俊一氏はワクワクする人生を全うするために個人主義に学ぶことが重要だとした上で次のように指摘する。
「みんな同じ」という同調圧力に縛られ、不自由な思いをしている人にとってはさぞ悩ましいことだろう。しかし、「ワクワクする人生」を送るためには個人主義に学び、自分の人生を自分の手で切り開いていく必要があるのだ。
「君の人生の主役になれ!」
映画の中の物語の終盤に安子はこう言い放つ。「人生のエキストラでいいのか。立ち上がれ!」つまり「人生の主役になれ!」と叫んでいる。この台詞は若者が成熟した大人になるために、人生の物語をどう描いていくかを考えるヒントになる。確かに上の世代の大人の論理と価値観に従って生きていれば楽かもしれない。しかし、令和時代を迎えた今、世界は急速に変化している。従来の常識や価値観は転換期を迎えた。だからこそ、若者だけでなく大人たちもこれからどのような人生を歩んでいくかを考えなくてならない。
教育者の鳥羽和久氏は物わかりのいい大人になるのはつまらないとした上でこう指摘する。
繰り返すが、上の世代の大人たちが用意したレールに乗ればよいという時代は終焉した。これからの時代を面白く生きていきたい人は自分独特の生き方を確立する必要がある。それは人それぞれに眠っている好奇心を呼び起こすことだ。
安子は狂喜乱舞な人間になった背景に親子関係が起因する。大人の言動に反発し、「もうこの世から消してやる!」という感情が芽生えてしまったかもしれない。果たして、これは個性といえるのか?賛否は分かれるであろう。
実際に、安子役を演じた女優・藤丸千氏はスポーツ報知のインタビューに応じ、自身の性格は切子と同じというものの、「殺気だったワケありの女性」のキャラクターを率先して演じてみたかったという。
安子は、表向きでは破天荒で感情を爆発させる一方、内面は繊細で人を傷つけるうちに自分も傷ついてしまう。藤丸氏は性格と真逆である安子役に果敢に挑戦してきた。新米といえども手抜きは一切しない。俳優業は演技を通じて自己アピールをし続けなければ次の仕事が来る保障がない厳しい世界だ。覚悟のうえで飛び込んだ藤丸氏は映画やドラマなどに出演する機会を貴重なものとしながら、己の「個性」を探求している。他の俳優とは比べずとも、自身の強みを武器にして「個の力」を発揮するために奔走しているのだ。
鳥羽氏の指摘どおり、できない理由を言い訳ばかりにしてきた先に独特な生き方は確立できない。藤丸氏も自我を捨てて「個性派俳優」として飛躍しようと奮闘するのである。
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