無気力
桜が満開に咲き誇る春を迎えた日、私は大学に進学した。
場所は、東京都内に位置する「玉川学園」。幼稚園から大学院まで一つのキャンパスに集まる、広範囲な敷地を持つ学校である。
数多の教育者を輩出したことで知られ、人間教育に力を注いでいる。また、タレント・ミュージシャンのDAIGO氏、女優の藤田朋子氏、『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した小説家の村田沙耶香氏など、数々の有名人・著名人を輩出したことでも知られている。
その学校に位置する「玉川大学」でキャンパスライフをスタートした。
高校での生活とは違い、自分で計画を練って授業と課外活動のバランスを取らなければならない。社会に向けての第一歩となる心構えをここで学んでいく。
この大学とは少し不思議な巡り合わせがあった。中学生の頃にNHKの中学英語講座『基礎英語3』のラジオを教材として英語学習に活用していた。『基礎英語3』を担当した講師が佐藤久美子氏だった。児童英語教育を専門とし、脳科学に基づいた科学的アプローチでどうすれば子供の英語力を伸ばすことができるかについて研究にあたってきた人物である。佐藤先生がラジオ英語の講師を担当したのだから、偶然の賜物だった。
私が所属した学部は「リベラルアーツ学部リベラルアーツ学科」。日本語でいえば「教養」学部といってもいいだろう。
リベラルアーツは、古代ギリシャに生まれた学問の技法である。良い意味で人間を束縛から解放し、自由な発想を持って生きるための力を養うことが学部の目標にあたる。
自由七科と呼ばれ、言語系3学(文法、論理、修辞)と数学系4学(算術、幾何、天文、音楽)に各々分かれている。
これらの学問をバランスよく学ぶことは、世の中に新しいものを生み出すための創造力を養うことができる。
かつて、アップル社のコンピュータを開発して世界中にIT革命を起こしたスティーブ・ジョブズ氏は、大学時代のリベラルアーツ教育の一つである修辞学を学んだことがインスピレーションにつながった。この話は誰しも知っていることであろう。
大学では1、2年次でクラス制を設けていた。一個人と異なる価値観を持った多様な人々と触れ合うことで、話す力・議論する力が育まれると考えたものだ。
この頃から、私はなぜか言葉の発達の遅れなど学習に支障をきたすような症状が出始めていた。とどのつまり、自分の思ったことが口に出ない。
例えば、ある授業でディベートをする機会があった。その時、ディベートの意味がさっぱり分からなかったのだ。
思い当たる節があるとすれば高校時代。古典の授業でディベートがあった。しかし、その場で負けを認めてしまった。
相手からの質疑に全く理解できていない。先生から「何か意見はありませんか?」と聞かれて、「ないです。」と答えた。その時点で、将棋のいうところの「負けました。」と言ったようなものだ。
各々が自分の意見を述べて白熱した議論を展開することがディベートの目的なのに、それすら分かっていなかったそうだ。
大学の授業でも露わになった。テーマの決定についても頓珍漢なものを挙げてしまい、友人から「意味が分からん。」と言われてしまうほどだ。
後から知ったことだが、理想的なディベートの形としては、ジャーナリストの田原総一朗氏が司会を務める『朝まで生テレビ』や『激論!クロスファイア』のような場を作り上げることだと理解した。少し極端な例だが、ディベートの価値は互いの意見をぶつけ合いながら、解決策を見出すためにある。だから学者や評論家がそれぞれの知見を引き出しつつ、最良の手を見つけていかなくてはならない。場数を踏まなければ有意義な議論ができない。ディベートの意味すら理解していない私はなんたる恥辱であろうか。
以降、私は人との距離ををますます避けるようになった。大学の授業が終わってもサークルに入らず、家に帰ってこもるばかりだった。
幼少時代に受けた心の傷に悩み、学習能力が無いことに目を背けていた私は、ひたすら逃げ回るしかなかった。自分の無知蒙昧や無教養を他人にさらけ出すことさえ極端に恐れた。
「こんな私では、どんな仕事にも就くことができない。いくら勉強しても、学習能力もコミュニケーション能力もないのでは、まともな道は用意されていない。」
マイナスな感情に囚われた私は、自分の城に閉じこもるように身を屈めてしまった。やる気を失った目で空を見上げていた。とてつもない無気力状態にあった。
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