身体は自分の生き様
きっかけはXで流れてきたオーボエ奏者の首元。
とっても膨らんでいる。
コメントにオーボエはたくさん息を吸わないといけないから、こんなふうになってくるとあった。
素敵、と思った。
ギターを弾く手
この前、友人のすすめで「運転者」という本を読んだ。
その中に、ギターを弾く男性がでてきた。
わたしもギターを弾き始めたときに、ギターの指先が硬くなってくるのを感じて、でもそれをはじめはちょっと受け入れられなかった。
というのも、昔から指の爪だけはほんとうによく褒められるもんだから、
それが変わってしまうのがこわかったのかもしれない。
でも、そんなとき
「いいじゃないですか」と言ってくれた人がいて
たった一言なんだけど
なんていうか、そっか、いっか。と腑に落ちたことがある。
好きなことで、自分が変わってしまうのは悪くないかも
そう思った。
身体から生き様を変える?
身体から生き様を考えるなら、たぶんわたしの今の満足度は60パーセントくらい笑。
今年中に、なんなら上半期中に120パーセントにしてみせる!!
去年から今年にかけて、身体の癖で痛みと歪みが発生して、よりからだと心の関係に意識を向けるようになった。
今までの自分は自分を生きていただろうか。
我慢してはいなかったか。
抑え込んではいなかったか。
実際、からだが猫背だと顎から背骨、骨盤にかけてのS字カーブがうまく描けていないから呼吸がしづらい。
身体的にも、精神的にも
呼吸ができるってほんとうに大切でほんとうにすごいこと
今ひしひしと感じている。
そして
身体が生き様を表してるなら、身体から生き様も変えられる
と勝手に思ってる今日この頃。
幸せな生き様を刻もう
どうせなら、楽しいほうがいい。
どうせなら、幸せなほうがいい。
前述したギターを弾く手のように、「好き」を身体に刻みたい。
好きな人、好きなこと、好きな場所、好きな出来事、
「好き」に染まりたい
どうせならと無意識にでてきたのは、
「どうせ死ぬんだから」というフレーズが頭にあったからかもしれない。
(ネガティブじゃなくて、ポジティブな意味で)
明日がくることが当たり前じゃないから
嫌なことで埋め尽くされる毎日より
嫌なことを身体に覚えさせる日より
なによりも
自分を大切に。
わたしもあなたも心も身体もぜんぶぜんぶ大切に。
そう願う。
おまけ
「どうせ死ぬんだから」が印象に残りすぎたので、そのきっかけになった歌を載せておわりにしようと思います。
よかったら聴いてみてください。
本日もお読みいただきありがとうございました!!