【コラム】食い意地がはっている話
小さい頃に、「お前は食い意地がはっているな」と怒られたことがありました。
怒られた?実際にはそうじゃないかもしれませんが、とにかく、そのときのわたしときたら愕然としたものでした。
「ごはんをたくさん、残さず食べる」ことは、子どもの頃のわたしにとって自慢できることのひとつだったからです。
四人家族だったころ、食卓に大皿で野菜炒めがどんと出されることが多くありました。
父と弟は野菜が苦手なので、あたりまえのように、肉類が先になくなっていくことになります。
わたしは野菜も肉も好きでしたが、そりゃあ肉だってたんまり食べたいので、大急ぎで自分のお皿に食べるぶんを盛っていきます。
この頃から、「急いで食べなければなくなっちゃう!」という強迫観念のようなものが根付いていました。
あとは弟が少食で、母親が言うに事欠いては「いらなかったら食べなければいい」と告げていたことに反抗したかったのかもしれません。
ある種、わたしは弟よりたくさん食べてえらいんだ!と思っていたかったのかもしれない。
当時、明日食べる食べ物に困るほど困窮していたような覚えはありません(わたしがそう錯覚していただけかもしれませんが)、けれどもどこか、食事のとき、わたしはずっと焦燥に駆られていました。
急がなきゃ、いっぱい食べなくちゃ、残したらだめ、できるだけたくさん。
誰に急かされているわけでもないのに、無自覚に、無意識に、そんな気持ちでいっぱいだったのです。
実はこれ、いまもそうで、一人暮らしをしているにもかかわらず、「ああ、早く食べないと…」と思ってしまうことがあります。
深呼吸して落ち着いて、よく噛んで食べる、とか、タイマーで20分くらい測って、ゆっくりゆっくり食べる訓練をしたりしました。
閑話休題。
さて、そんな食事時大急ぎ大慌て野郎のわたしに宛てられた言葉が「食い意地がはっている」でした。
最初は言葉の意味がわからず、でもニュアンスとして悪いことなんだろうな、という漠然とした理解だけがありました。
「他の人からそんなふうに思われたくないでしょ、気をつけなさい」という尾ひれみたいな言葉もくっついて、ああ、やっぱり悪い意味なんだなと確信したように記憶しています。
自己開示が苦手だった当時のわたしは、「だって急がないとお肉なくなるじゃん!」とか「残さず食べたほうがいいじゃん!」とか、そんな反論はできませんでした。
傍から見ればたしかに、おいしいものを我先に山ほど食べようとする、食い意地の張っている傲慢な子どもにしか見えなかったと思います。
よそ行きのときには気をつけなさい、程度の意味だったとしても、「わたしは食い意地がはってるんだ…」という強いショックが残りました。効果音で言うと、「がーん」という音がずっと残っているようなイメージ。
食い意地の張っている子どもことわたしことYは、それでもごはんを残さず食べることをやめませんでした。
ちょっと悲しい気持ちはありましたが、たくさん食べることで喜んでくれる人のほうが多かったからです。
そうやってすくすくと、縦にも横にも大きくなってゆくのでありました……
😢
そうして時は流れて現在です。
一人暮らしになり、食べるものも量もタイミングも自由に決められるようになった頃、友達のひとりと食事の話になりました。
友達のおうちに招待されて、ダイニングテーブルの上でぼんやり壁紙を眺めていました。
薄緑色のやわらかな色遣い、きれいに塗られたような感じだなあとか、少し珍しい色合いだったので、そんなことを覚えています。
そんなとき、食事を用意してくれていたお友達がおもしろおかしそうに言いました。
「あたしさあ、食い意地はってるからさあ、三食もおやつも全部食べたいねんな~」
マジか、と思いました。
小さいころのあの「がーん」が、一気に薄緑色に塗り替えられたような感覚でした。
いいんだ、そんな使い方しても!べつに悪いことじゃないんだ!おいしいな、と思うものをできるだけたくさん食べたいって思ってもいいんだ!
そりゃあそうです、人生一回なんですから、一日三食もりもり食べて、ついでにおいしいおやつやアイスも食べたいに決まっています。
それがたとえ「食い意地が張っている」と思われたとしても、だってたくさん食べたいんですもの!
友達にはめちゃくちゃ感謝しました(とっても不思議がっていた)。なんだかんだ言って、わたしは食事が大好きです。食い意地がはっているので、パンもアイスもクッキーもぜんぶ食べたいです。
そう声高に言える日が来ればいいなと思いながら、今日も朝昼晩三食、もりもり食べています!