見ているようで、見ていない「非注意的盲目」とは
皆さん、こんなことは無いでしょうか。
家の近所の建物がある時取り壊されていて、更地になっている。あれ、ここには前に、何が建っていたっけ?知っているはずなのに、まったく思い出せない時。
こんな事例も教えてもらいました。例えば、ローソンのロゴ。
そうそう、あれです。コンビニのローソン。これね、何も見ずに皆さん、絵を描くことってできますか?ちなみに私、自慢じゃないですけど、一切思い出せなかった!!ふふんっ
ロゴ、見てますよね?おそらくしょっちゅう目には入れてるはずなんです。
な、の、に!!
絵、描ける人少ないんではないかしら。え?私だけ??青くて、白くて…えっと…どんなやっけ??
見ているようで見ていない
そう、私たち人間の観察力なんてよほど訓練された人でなければ、こんなもんなんではないでしょうか。ごめんなさい。そう思っています。これらの例はいずれも、毎日、目にしているであろうものであっても、そこに注意をしていないと、ほとんど思い出せないということを表しています。
非注意的盲目
心理学の用語ではこんな風にいうようです。
先週土曜に行った、小学校6年生のK君との作文のレッスン。テーマのひとつが「見るちから」の鍛え方。でした。
そう、作文を書くためには見ることが大事。
その時の様子、その時の自分の気持ち…見ようとして見ていないと、人って全然見えない。見えていない。見えないと、書けない。うちっかわに何も入っていないから。
とはいえ、この見る力、ですよ。一体どうやって鍛えればいいのでしょうか。
視点を定めて観察する
いろいろありますが、私的有効な方法のひとつに、
視点を定める
というのがあります。
例えば散歩に出る時に
・今日は小学生に着目してみよう
と決めて、出発をする。そうすると、歩いている時に子供の姿を探すでしょう。そうするともしかすると、
・意外とこのエリアは子供がいない
・この時間帯に下校しているんだなぁ
そんなことが見えてくるかもしれないし、何日間か続けていると、いつも見かけるあの子、今日は見なかったなーとか、そんなことも気づくかもしれない。
意識した上で観察する
そうすることで、普段は待ち得なかった新しい視野が得られるかもしれないと思っています。
書く力を鍛える!ために。って別に難しいこと考えずとも、特別なことをしなくても、少し意識の向け方を変えるだけでできることがたくさんありそうじゃないですか??
さてさて、明日はみなさん、「何に着目して」過ごしてみましょうか。これって別にね、何らかの物質である必要はありません。「うれしいと感じた瞬間」とか「人にありがとうと言った回数」とか、そういう目に見えないものに敢えて目を向けたってOKなんです。むしろそっちの方がおもしろい気づきがありそうって個人的には思います◎
道端に咲く花?お、それもいいじゃないですか。そういえば私は今日、アジサイを発見しましたよ。そろそろ咲き始めるんですね。
見る力を養う具体的かつ簡単な方法。ぜひお試しあれ。