一番にならなければいけないんだよと彼は言った。
尊敬していた人がいた。
頭が抜群に良く、しかし、それを社会の問題点を解決するビジネスを生み出す事に使い、持続可能な社会、弱者救済、社会をより良くする仕組みを金融の分野で取り組む起業家だった。
彼は、利益を生み出す事業と社会をより良くする理想とを、絶妙なバランスで構成し、社会のためになって、利益も生み出す。これまでになかったビジネスを生み出していた。
その尊敬する人と話していた時。
福祉と育児は無償が基本と語る彼の論点に不思議なものを感じた。
ケアすること、育むこと、長く女性の仕事だと社会に定義され、黙々と取り組んできた先人たちの歴史があるため、即座に否定することは難しいけれど、どうしてそれらを無償で受け取れるものだと彼は思っているのだろうと。
確かに、人を気遣う気持ち、人を助けること、調和を保つために心を砕くこと、これらを貨幣価値に換算する方法は存在していない。
とても不思議な世の中だな、と思う。
また、ある時、尊敬する彼は言った。
「1番にならなくていいと歌うヒット曲があるけれど、1番にはならなければいけないんです。」と。
日本の中で、何か新しい事を展開しようとする時、「他にはどんな企業がこの取り組みをしているのですか?」と必ず聞かれると彼は言った。日本には典型的な横並び主義の世界があると。
だからこそ、自身の組織がナンバー1でなければ見向きもされないのだとも。
この言葉を聞いた時も、不思議だなと思った。
これからは多様性の世界になり、圧倒的な力とマスで勝ち抜いていくモデルはもう維持できない。
でも、彼のように海外で高等教育を受けてビジネスを立ち上げている人が直面する世界には、1番であることは意味を持つということに。
1番とは、貨幣価値に換算して1番という意味なんだろうか。
そもそも、私は実際の自分達の労働力ですら、きちんと評価されていないと思っている。
私達は、私達の能力を一度貨幣に変換し、貨幣のカタチから何か別のモノを手にしなければならない。
個々が持っている様々な能力を一定の貨幣基準に換算してしまうこと自体に無理があるのではないかと。
本質的な価値を、一度貨幣に変換し、相対的な価値基準にゆだねるから、不平等は解消されないのではないかと。
誰もが自分の絶対的価値観を信頼し、直接的にそのものの価値を見極めれば、もっとシンプルに世界は廻っていき、自分にとっての一番に心から感動し、他者にとっての一番を心から祝福する、そんな世の中になるのではないかと。
世の中からお金がなくなるのは、いつになるのだろうと、ぼんやり思いを巡らせながら。
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