「失うこと」は幻想だと気づいた日
自分用の記録。
自分と向き合いながら立ち止まり気味で、でも着実に前に進みながら片付けという名の断捨離めいたことをやり続けている。
だからだろう、夢で「失うことが怖い」と誰かに零している自分の声を聴いた。
すると答えが返ってきた。
「物質とはエネルギーだ。それは失われることはない。形を変えるだけだ。」
エネルギー不変の法則。
理数系がからきしなわたしが胸を打たれた法則だ。
窓を開けた結果部屋の温度が変わるときに何が起こっているかを説明してくれた父のことばに目から鱗が落ちる思いだった。
難しい数式とかはわからない。
でも「一事が万事」ということばとともに、折に触れてわたしがこの宇宙を理解する杖となってくれた。
わたしが使うことがないまま物を保持し続けることは、その物を活(生)かしていない、ということは間違いない事実だ。
リユースするという道も、リサイクルするという道も見いだせないとき、物はわたしの手元で来ることのない「いつか」を待つ。
だけど。
捨てること。
手放すなんていうのはこちらの心理からの話であって、物としては確実に「捨てられる」のだ。
その「捨てる」ということが決して悲観すべき状態ではないことを自分の中にやっと落とし込めた。
それはその形が失われることはあっても、存在自体が消失するわけではない。
人が亡くなったとしても肉体とスピリット、そして魂それぞれで転生するように、物のエネルギーは形を変えて存在する。
悲しむべきことではなく、感謝して送り出すことなのかもしれない、と。
本当にそれが活かされる道に再び生まれられるように、感謝して今の形態を終了させることも大事なのではないかと。
そう、思えた。
これは気づきであるから、宇宙の法則としてどうなのかはわからない。
わたしが救われるための、単なる自分用の理屈なのかもしれない。
でも現実化のことやエネルギーとしてのお金の話などわたしが信じている、身を置いて生きている世界の話として非常に腑に落ちた。
だから、もしかしたらやっぱり誰かにとっても助けになるかもしれないとこのnoteの1ページに記しておく。
今日も独り言にお付き合いくださってありがとうございます。