「自分に許可をだす」→「誰の許可もいらない人生」へ
なんとなくこの数日思っていたこと。
もしかしたら、その前からチラチラわたしの思考フィールドを横切っては消えていたもの。
そんな思いについて今日は書きます。
皆さん色んな信念があるし、色んな考えに沿って生きていらっしゃると思うので「こんな人もいるんだなぁ~」ぐらいに緩くお読みいただけるとわたしとしては本望です。
じゃあ、以下本題。
まさにその「信念」が関わるところかな、と思うのですが。
皆さん「エンジェル・ナンバー」や「数字のメッセージ」ということばをお聞きになったことはありますか?
もしくはジンクス・・・黒猫が前を横切ると不吉が起こるとか。夜爪を切ると親の死に目に会えないとか。
はい、わたしです。
夜は絶対に爪を切りません(笑)
そのおかげか母の死は見送ることができました。
エンジェルナンバーもその言葉を知ってからは時計や車のナンバーなどぞろ目を見るたびにネットでよく検索していました。もう何年も前の話です。
ジンクスはともかく、エンジェルナンバーなどはスピリチュアル的なことがお好きな方でしたらよくご存じだと思います。おそらくわたしより詳しいくらいに。
では、「この現実は自分自身が創造している」というようなことばは聞いたことがあるでしょうか。
それをご存じの方でゾロ目のナンバーや虹などの幸運のサインに一喜一憂している方はどれぐらいいらっしゃるでしょう。
わたしがゾロ目を気にしなくなったのもそのことがきっかけです。
「幸運のサインを見る(=スピリチュアリティの高い人?)」という人生を創造して、自分の本当の幸せを創造しているわけではない人生を終わりにしようと思ったのです。
本当に目から鱗でした。
確かに共通のサインを使って高次の存在がコンタクトしてきているというメッセージとして使うことはあると思います。
でも妊娠が実際の妊娠と想像妊娠が存在するように、自分でサインのようなものも創造できてしまうのです。
すべての存在が、物質がエネルギーである以上、実際コンタクトがあればエネルギーがわかると思うのですが(わたしも圧倒されました)。
サインという形ではないのではないかと思うのです。
人は自分の信念に従って現実を創造しています。
「1111のゾロ目だけはうまくいっているメッセージ」そう決めたら、折に触れて「1111」だけ見るようになる。
その価値観、法則を受け入れればそうなるし、意識しなければそうならない。
これはなにをしているかというと、自分で自分に許可を下ろしていることになります。
「大丈夫」
それだけのこと、自分で承認すればいいだけなのに現象として外側から認識しないと自信が持てないのです。
承認欲求が強い人を「構ってちゃん」と呼んで多くの人が嫌悪する傾向があるように感じていますが、穏やかなようであまり変わらないのかもしれません。
自分で自分に大丈夫って言えることは大切な一歩だと思います。
「大丈夫、それでいい」
「あなたは大切な人です」
それを外の現象に投影して、そういう現実を創造することで外から受け取る形でないと自己承認できないのであれば、それは一種のセルフジャッジだと思うのです。
もし、外からのサインで自分を信じていたのであれば、本当は自分で自分に許可をだしていたということをどうぞ許してください。
その上で自分のことを直接自分で「よし」としてください。
あなたは受け取る価値がある人です → わたしは受け取る価値がある人です
あなたは祝福されています → わたしは祝福されています
このように変換してみてください。
天使がいまあなたに語り掛けています(ほんとうかな?わたしなんかでも天使と繋がれるの?) → わたしは天使と繋がれる。天使がわたしに語りかけている。わたしがそう感じたときがそうなんだ!
自分自身が生きるのに、本当は誰の許可もいらないはずです。
幼いころ過保護だったり育児放棄だったりで身体やこころの自由を奪われて生きてきた方たちは萎縮したり強張ったりこころやからだの癖が抜けずに自然と周りの目を過剰に意識するようになってしまったかもしれません。
でも!
本当に自分らしく生きることに誰の許可もいらないんです。本当は。
自分を取り戻してください。
わたしがこころの自由を得て比較的静寂の中で生きられるようになったのと同じように。
今日もありがとうございました。
思ったように書けない部分もありましたが今日の精一杯です。
いい夜が訪れますように。