共生とは?
harmoniaへ、ようこそ!!
harmoniaは、harmony(共生)とacademia(研究場所)を掛け合わせた、人・動物・自然が共生できる社会づくりのための前段階として、共生の理想像や地球の未来についてみんなで考えるためのコミュニティです。
みなさん、お元気でお過ごしですか。私は、一昨日久しぶりに高校の学年全員に会えて、みんな元気そうでとても嬉しかったです。また二時間くらい多摩川の河川敷をサイクリングをして、いい汗をかけました。
さて、今回は「共生とは?」という内容で、現時点でなぎさが思っていることを書いていこうと思います!
harmoniaが考える共生
まず、自己紹介の記事でharmoniaが考える共生についてこんな風に書きました。
「VISION 私たちは、人・動物・自然が共生する社会を目指しています。人や動物は自然の一部と認識しています。それぞれが抱えている問題を解決していくためには相手が生きているから自分も生きていけるという共に相手を生かしあう生き方を目指していくことが大切だと思っています。」
今、わたしが考える共生像
現時点のわたしが思い描いている共生像は、人間が持続可能な生活を選び、動物や自然のことを想って生活できる、それによって動物や自然の営みが崩れないという姿です。つまり、共生には人間の心が変わることが不可欠なのです。わたしは、人間が他の動物や自然がつくる世界に収まろうとするなら、共生できるんじゃないかと思っています。なぜなら、動物や自然がつくる世界は、どの瞬間も時代も完璧で美しいと感じるからです。
共存じゃないのは、共存だと共に暮らす相手に関心をもとうとせず、必ずしも存在することを求めていないから、一緒に生きる相手への意識が薄れるんじゃないかと思うからです。人間の持つ自己中心性には、相手のことを想うことが必要なんだと思います。
共生が必要だと思った背景
端的に言えば、わたしが共生を必要だと思うのは動物のためです。
わたしには人間が嫌いな時期がありました。ここでキリスト教のいう人間と他の生き物について、少し話そうと思います。日本だとキリスト教と関わりが薄い人が多いので書こうかどうしようか迷ったのですが、わたしはいつも考える時に教会や学校の礼拝で話された内容と重ねて考えることが多いので、書こうと思います。最初の方は、キリスト教の話ばっかりになってしまうのですが、読んでくれたらわたしの考え方がわかるんじゃないかなと思います!
キリスト教では人間誰しもが罪を持っていて、その本質である原罪とは神に心が向いていない自己中心な心だと教えています。これを知ってから、わたしは人間には完璧な人なんていないんだと思うようになりました。そして、聖書の創世記には、神がこの世界を創造していく様子が書かれていて、人間以外の生きものを全部創った最後に人間を創造しました。神は人間に、彼らを支配する立場を与えて、管理するように命じたと書いてあります。↓
聖書箇所 創世記1:24~31
1:24 ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。
1:25 神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。
1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
1:29 ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。
1:30 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。
1:31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
しかし、いま人間は彼らを管理することができず、自らの手で壊し続けています。人間にはそういう自己中さがあって、他の動物を窮地に追いやっていることに怒りと落胆し、わたしは人間が嫌いになりました。人間に希望を見出せなくなって、人間なんて存在しなければいいのにとも思うようにもなりました。目の前の人に対してそう思うわけじゃないんですが、それくらい人間と未来を悲観的に捉えていました。
未来がよくなるかは分からないけど、諦めたら動物の未来は悪くなる一方だということはわかっていました。そこでわたしは、人間をただす・変える必要があると考えるようになりました。壊すのは人間だけど、そんな人間をただす・変えるのも人間だからです。
『サピエンス全史』には、人類は食欲など本能的に生き残るために、他の生き物を絶滅させてきたため、祖先は調和して暮らしていたなどと信じてはならないと書いてあります。やはり、意識的に共生をしようとする必要があるのではないでしょうか。
こんな経緯でわたしは人間と他の動物どちらも暮らすためには、共生が必要だと考えるようになりました。
最後に
なにを美しいと思うかは一人一人違います。このまえ、Twitterでこんな呟きをしました。
「わたしが動物や自然に美しさを感じるのは、人間がそうじゃないから。最近人間の美しい部分も見てきたけれど、まだ本当か分からない。だから私は、もっと色んな人間を見る必要があると思った。」
わたし自身、なぜ動物や自然を美しいと感じるのか、また美しいものと美しくないものの区別がまだ分かっていません。人間には美しい部分もあれば美しくない部分もあります。Twitterでは人間と書いてありますが、自然や動物も自分の目で見る必要があります。『「自然との共生」というウソ』という本には、共生と叫ぶ人の多くは、過去に自分が見た原風景を取り戻したいだけだと書いてありました。
わたしがシロクマを通して動物を助けたいと思ったのも、メディアを通してです。
もしかしたら、わたしが今思っていることは動物のためになっていないかもしれません。ですが、わたしが彼らのために尽くしていきたいという想いは、絶対に一生変わりません。だから、彼らのために共生の中身をもっと柔軟に深く考えていきたいと思っています。
ちなみに、Twitterで共生と共存を使っている方がどちらも同じくらいいたので、みなさんはどっちか理由も一緒にコメント欄で教えて欲しいです!
どんな未来であっても、みんな一緒に生きる。 それなら、今から私たちといっしょに未来をつくりましょう。環境・共生に関心がある・なしに関わらず、”あなた”のコメント待っています☺︎
次の投稿は3月14日。テーマは「ゲーム理論で考えるコモン(仮)」です。
では、次の投稿でお会いしましょう〜!
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覗いてみてください!
2.28 なぎさ