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小さい頃のコンプレックスとヨガスートラ

最近ヨガのTeacher Trainingを受けていて、講師のOliviaに「ヨガスートラを学んでいて、どう思う?」と聞かれた。


なんとなくそのときに、私は子ども時代のことを思い出して、それを伝えたの。


小さい頃から私は、自分が人と違う意見や感覚を持っていることが嫌だった。
クラスの中心的な女の子たちみたいになりたいのに、全然感覚が違くて(例えば周りを気にせずに騒いだり、思ったことをはっきり言ったりができなかった)
それがとてもコンプレックスだった。

友達と一緒にいても、友達に感覚をすり合わせなきゃいけないことが多かった。

私はいいと思っていた髪型が、周りからは男の子みたいと言われたり、
体に出てきた不調が、外側に原因があるんじゃなくて自分の心の方にあるんじゃないかと思っても、それを受け入れられないと思って言えなかったり。


人といるのはいつも緊張した。
私がみんなを好きなように、みんなは私を好きじゃないという感覚があったし、私は「誰より誰が好き」という感覚より、「みんなそれぞれ自分にとって違った感覚で大切」という感覚が強かった。
人とディベートをするときも、相手側の意見や、その人がその意見に辿り着くまでの過程も理解できたし、その人がその意見に固執する理由も理解できた。


なんとなくそんなことが多くて、でもそれって、周りと違うってことは私は人より劣ってるのかな?と思ってコンプレックスだった。
だんだんそれがおかしな方向に行って、自分が一番頭いいって思うようになっていったけど笑
そう思うのもそれはそれでしんどかった。



ヨガスートラを読んでいると、その私の感覚を全て許容されていくような感じがする。


私が感じていた、「自分と人とに差がなくて、結局全部一緒で、全部が必要な存在で、好きも嫌いもない」みたいなことが当たり前のことみたいに書かれているし、体の内側から外側に変化が起こる(怪我とか熱とか病気とかね)ということも書かれている。

心と体が密接に関わり合っていることや、人との関係性のこと、自分の心の中でどんな動きがあって、それがどんなものなのか。


全部言葉にしていいんだ、おかしくないんだ、って教えてくれる。



私がヨガを始めたのは、人と違うことをしてキラキラ感を出し続けたかったからなんだけど、それが徐々に私の内側に作用していって、始めてから8年?9年?たった今になって初めてちゃんとヨガを学んだら、私がヨガに辿り着いた理由がすごくわかるような感じがする。




 Oliviaにそれを伝えたら、Oliviaが


子どもって初心なだけではなくて、まっさらな瞳、叡智を持っている。

人には、背景がある。
人生の表側があれば、裏側がある。
体のことについて解剖学を学ばなければいけないけれど、
感情についてのことって本能的に自分の中から浮かび上がることだから、それを知ることが何よりも重要なこと。

はるかが元々持っていた感覚やその頃の小さなはるかが、今ヨガスートラを学ぶ中で、あなた自身の先生になってくれている。



って言ってくれて、なんかそれ聞いてて泣きそうになっちゃった。



多分こういうことって私だけじゃなくていろんな人が心の中に抱えていると思うんだけれど、私、自分自身を今この場所に導いて来れて良かったなと思った。

ありがとうって思う機会が増えると、起こった全部のことが自分のための人生の一瞬であると感じることができる。
昔悩んでいたことも、今日ここでこれを伝えられたことも、例えば隣の部屋の人が今めちゃめちゃドラム叩いててすげーうるさいってことも(笑)、ありがとうって思う回数が人生で増えれば増えるほど、全部自分にとってプラスなんやなって思える。


ヨガしてスートラして、色々実践してたら、そんな風に心の置き所を設置できた。



そんなんが、なんだかすごく幸せだし、やっぱり人生って修行の道のりだなって思う。

はい、今日もがんばろー!


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