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人生の目的の見つけ方

きっかけ:退職と引っ越し、その後の生活について先輩に相談をしたら勧め
     られた。
読んだ日:2021年4月
学べる事:考えすぎている人、人生が悪い方に大きく傾いた人にオススメし            ます。人生の意識改革に一役買う本です。

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【何も見えていなかったサラリーマン時代】

「実は何も見えていなかった」
「ただ、なんとなく生きていた」

「自分とつながれていない」その事実を認め、そこからもう一度、自分と向き合うことによって、自分とのつながりを深めてきた。そのつながりが深まるにつれ、本当の意味で自分の人生を生きる歓びに目覚め、人生が、面白いように拓けていった。そして、自分のハートとつながることが、僕の人生の道しるべとなった。「自分の人生を生きる」とは、自分の本質(愛)を輝かせることだと思っている。本書では、48歳で大企業をリストラされた筆者が、どのように自分のハートを取り戻し、自分とのつながりを深めてきたのか、そのプロセスが書かれている。

【人生を変えた体験】

新卒でIBMに入社し、出世コースを目指したもののそこから外れていた当時の僕は、「まあ、このまま、なんとか50歳まで日本IBMで働いて、その後、先輩が勤める関連会社の部長ポジションで出向、もしくは転職。そこでなんとか60歳まで働いて、退職金で住宅ローンを完済し、それからどこかの会社に転職して5年働き、年金生活になるのかな」と未来のことを考えていた。

リストラ宣告や刺激的な出会いにより人生が変わったと言われるが、衝撃的な出来事や素晴らしいご縁があっても変わらない人は全く変わらないかもしれないし、衝撃的な何かやご縁がなくても変われる人は変わるだろう。結局、変わるか変わらないかは自分次第なのだ。

リストラは突然やってきた、人事異動で競合他社からやってきた新しい上長から単刀直入にリストラ宣告を受けた。当時の筆者48歳。プライベートでは離婚した直後で、貯金はほとんどなかった。しかも、息子がまだ中学生だったため、当面は教育費を払わなくてはならなかった。息子と前妻が住むマンションの住宅ローンの多額の返済金が残っていた。特別有給休暇などが残っていた筆者は、収入を得つつ、将来の方向性を考える時間を4ヵ月も与えられた。そんな時、グローバルチーム元上長でかつ親友のトム・スミスから、米国アリゾナ州フェニックスで行われる結婚式への招待状が届いた。勇気のいる決断だったが、直感的に参加することにした。フェニックスから車で2時間ほどのところに、以前から行きたかった米国の有名な聖地、セドナがあることを思い出した。セドナは、レッドロックと呼ばれる赤茶色の岩山に囲まれた静かな街。ボルテックスと呼ばれるエネルギースポットが点在する。帰国の前日に、ボルテックスの一つ「ベルロック」という岩山に登った。登ってそこから見える壮大な景色をただ眺めていたところ、突然、すごいエネルギーが大地から僕の足の裏へと入ってきたのがわかった。突如、根拠のない自信に満ち溢れてきた。まさに自分は何でもできる感覚の状態だ。その瞬間、自分の中でもやもやしていた何かが吹っ切れ、「もう退職しよう。自分の人生を生きよう!」と決意した。

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(出典:pixabay.com)

セドナから帰国後、具体的に何をするか悩んでいたので、何人かに相談した友人の一人、佐藤光紀さん(セプテーニ・ホールディングス代表取締役社長)のアドバイスが心に刺さった。「勝屋さんは人と人をつなげるのが得意だから、”プロフェッショナルコネクター”という職業をつくってみるのはどうですか?」佐藤さんがくれた職業をつくるという原点が、自分の人生を生きる僕に繋がっていく。
プロフェッショナルコネクターとは何なのか?独立して一年ぐらい経ったとき、ようやく僕の気持ちを表す言葉が降りてきたのだ。

つながりにより、人が輝くお手伝いをする

ここで言う「つながり」の意味は、その人が自分の心につながることだ。人が自分の心につながったときに、表情は変わり、その人が輝き始める。その輝きが周りの人を幸せにする力になる。

【役割を降りてワクワクする想定外の人生へ】

自分の人生を生きられない一つの要因は、いつの間にか「役割が自分だ」と思い込んでいることではないかと僕は考えている。家庭においては良い夫みたいに「この場ではこういう自分」、また「あの場ではああいう自分」というように、無意識のうちに人や場に自分を合わせて生きてきたのだ。それを続けているうちに、いつしか自分が主体ではなく、役割が主になってきて、次第に自分の本来の生き方と乖離が生じてきていたのだ。

思えばよしとされた道をなんとなく歩いてきたという人は多いのではないだろうか。「自分はどうしたいのか?」なんて考えもせず、社会はそういうものだと思い込ませ、社会に無理に同調していたのではないだろうか。思い返せば、自分の意思があるようで、実は周りの目をとても気にしていた。周りに自分を合わせていたこと、恐怖の中で駆り立てられるように選択をしていたこと。両親を始め、学校、社会通念、周りの人や環境により、知らぬ間にさまざまな通念が少しずつ覆いかぶさることで、「何者かになろう」「足りない自分を何かで埋めよう」と頑張っていた。

【自分という木を大きく育てるために】

人を木に例えて話をしたい。ここでは、幹や枝や葉の部分が「行動(Doing)」で、花や実を「行動した結果や成果(Have)」と例えている。限界を超えて頑張りすぎると、だんだんと疲弊して、やる気がなくなる。それは、木も根もやせ細り、枯れてしまいそうになる状態だ。木の土から上の部分は自分の外側の世界、つまりDoing/Haveのように成果や結果がある。目に見える世界である。一方、地上からは見えない根の部分がその人の人間的な器、すなわち「在り方(Being)」を表している。この根の部分がとても大切である。でも、大切だからこそ、普段、目にすることができない。この根を育てるためには、この章にも書かれている「観念/思い込み」を外すことだろう。それに、前述の僕が自分の存在を許したことのように、「許し」は肥やしになる。また、お金、時間、人、環境などを理由にして、自分に制限をかけていることを「許可」することも大切である。小さいことからでもいいので、少しずつ自分の探求を叶えると制限の枠が広がり、自由になり、想像力も高まるだろう。「癒し」も大切だ。つらいとき、そして寂しいとき、自分のために泣いてあげる、怒ってあげる。普段の生活では抑えている感情を開放してあげることは、とても効果的だと思う。断捨離もそうだが、まず捨てる。そうしたら自分に必要なものが入ってくる。

【本当の苦しみは歓びと表裏一体である】

人間は苦しむために生まれてきているのではない。いちいち苦しむために何か事象が起きるのではない。もちろん、何かを越えるための苦しさは当然ある。例えば、「仕事を辞められない」と悶々としている人がいるとする。この場合、そもそも「仕事は辞められない」ということが思い込みの可能性が高い。なぜならば、本当は、辞められるから。本当に辞めたかったら、おそらく辞めるのではないだろうか。無理矢理会社に留まらせることなんて、誰にもできないからだ。次に、辞められない理由として、「お金がなくなる」「家族に迷惑がかかる」などと外側にある何かを使う。そして、「もっともらしく」辞められないと言うだろう。けれど、本当の本当は辞めたくなかったりするのだ。たとえ、そこが嫌だとしても、慣れ親しんだ世界はエゴにとっては安全地帯なのだ。「辞める、辞めない」の二者択一でも葛藤が生まれる。しかし、「辞めたかったら、辞めていい」と自分自身に許可が出せれば、ニュートラルに「どうしようかな?」「どうしたいかな?」と自分の本音を探ることができる。本音がわからないときは、無理にどうするかを決めない。そういう自分の状態を許す。自分を許せない自分も許す。


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