やる気と我が家の子どもたち
「うちの子はやる気が無いんです」
というご相談をうけることが、よくあります。
もうね、子育て陣にとって目に浮かぶようなキーワードですよね、やる気って。
成長していくにつれて、人は自分のしたいこと以外のこともしていかなければなりません。人間ですから。
そこで親子の戦いは始まるのです。
「どうしてこの子はやる気がないんだろう」
我が家には中学一年生になる長男がいます。
例に漏れず、4年生の年9歳の壁でしっかり現れました。
,,,どうして急にこんなに無気力になったんだ😨
まるで別人のようだ。。。
それまでは金太郎貨物から地理、世界遺産など、それは幸せそうに生き生きと好奇心の花を咲かせていました。
無邪気な好奇心は時には大人は圧倒されるけれど、何だか手助けしたいと感じるものです。
ところがやってきた無気力シーズン。
彼は中央に天剋地冲がしっかり巡っていたのです。
そして次の年は継続。
色々言葉をかけても届いた感覚は全くなく、とても気になります。気になるのですが、暖簾に腕押しの感覚。
そのときの私はどうしたかと言うと、とりあえず精神的に追い詰めてしまうダンスをやめるように伝え(弟がぐんぐん伸びて追い越していったこともあり)、
良き師を探し出しました。
これがなかなか見つからなかったのですが6年生の年の融合条件だらけの年に見つかったというのも偶然ではないはずです。
そして、「耐え」です。
その頃に読んだネガティブケイパビリティの本は今でも宝物で、人は簡単に解決しない状況に耐える力を持つことも大切だと言い聞かせるようになりました。
子どもは自分とは別の人間ですから、私がいくら頑張っても問題は解決しないことを学んだ気がします。
やる気がない
頑張りなさい
これを言って責めることは酷なことです。
そこを責めても追い込んでしまうだけなので、一旦なるようになると諦める方がまだマシだとよく本を拝読している鳥羽先生もおっしゃいます。
やる気がない
という状況って、そんな簡単な言葉で片付けられない問題や想いを持っていることがほとんど。
親の安易な言葉でその子の内面にレッテルを貼ってしまうことに。
ちゃんと話してくれないとわからない。
のですが
子どもたちは10代になろうとも、自分の葛藤を親に語れるような自分独自の言葉を持っていません。
そして頭の中もてんてこ舞いです。
そもそも大人だって自分の想いを語れることが少ないですから、子どもたちに求めることはそもそも無謀なのです。
最近のいわゆる理解のある親は、すぐに子どもの意志を聞いて尊重しようとします。
でもそれって実は子どもが自分で決めたんだからって、その年齢で果たせるはずのない責任を押しつけてるだけなんじゃないのって思うんですよね。
自分の考えや思いも語れないのに子に求めて責任を押しつけていないか。
私は立派なお子さんのいるご家庭こそ立ち止まってみてはと思ってしまうのですが、へそ曲がりでしょうか💦
長男は去年の融合条件の年に良き出会いの連続の結果、立ち直って大きく成長しました。
今年はまた分離条件ですが、淡々と無気力にならずに物事に取り組んでいます😊
そして、4年生の9歳の壁の中にある次男です。
今年は西に天剋地冲。
物凄く苦しそうです。
周りの人たちに支えられていることが2度目の母、今回は見えています。
私に出来ることは何か。
彼の意志の芽生えを待ちながら、安心拠点になる。
そして、頑張ることを試し始める背中を押すことです。
その壊れた心に風を通してあげたいなぁって思っています。
やる気のない子はいなくて、やる気が出ない状況なんだって、ちょっと言葉遊びみたいな感じもありますが、そうやって信じて待っているところです。