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フロム 『愛するということ』 要点まとめ&感想 その①(第一章・第二章)
☆第一章「愛は技術か」
○ 「愛は技術である」前提を前面に押し出しているのは、西洋での大衆的な愛への捉え方に対する反論のため。
○ 勘違い ①「愛する」ではなく「愛される」という問題として捉えている。自分が人気者で魅力的になること。
○ 勘違い ②対象の問題であって能力の問題ではない。愛するにふさわしい相手を見つけたい。
○ 勘違いの理由 ①伝統的共同体・しきたり・社会的配慮から、自由恋愛への移行。
○ 勘違いの理由 ②消費社会や交換可能価値、市場原理の影響がある。
○ 勘違いの理由 ③恋に落ちるという体験と愛する人と、ともに生きるという持続性を混同している。
○ 「愛の失敗を克服する適切な方法は失敗の原因を調べ、そこから進んで愛の意味を学ぶことである。」
○ 技術習得のために ①理論に精通 ②経験を積んで習練・直感的な理解 ③究極の関心ごとであること
☆愛、それは人間の実存の問題に対する答え(第二章「愛の理論」) → かなり一般的な実存への解釈な気がする。
○ 人間は理性を発達させている。過去や未来を意識し限界を知っている。
○ 孤立の経験から不安、恥、罪悪感が生まれる。孤独の牢獄から抜け出したい。
○ アダムとイブ→「孤立した存在であることは知りながら、いまだ愛によって結ばれることがない。」
○ いかに孤立を克服、合一を達成するか?解決策の記録が人類の歴史。どの程度、個人として自立しているか?
○ 興奮状態に基づいた合一 → 強烈であり、人格全体に起きる。長続きせず断続的・周期的に起きる。
○ 幼児の場合は母…。揺籃期の人類は自然を崇拝する、祝祭的な儀式、セックスなど。現代は酒や麻薬…。
○ 同調に基づいた合一 → 集団・慣習・しきたり・信仰への同調。独裁体制でも民主的な国家でも。
○ 同調を強制されているわけではなく自ら欲している。「これは他のものとは違います」というキャッチコピー。
○ 啓蒙主義の時代 → カントなど「自分自身こそが目的であって自分はけっして他人の手段ではない。」
○ 現代 → 個性を失った人間の平等と標準化。仕事も娯楽も型どおり。創造的な活動は良い。
○ 生産活動、祝祭的な融合、集団への同調は実存の問題に対する部分的な回答。
○ 「完全な答えは人間どうしの一体化、他者との融合、すなわち愛にある。」
○ 共棲的結合 → 母親と胎児、サディズム・マゾヒズムと支配・服従の関係
○ 成熟した愛 → 自分の全体性と個性を保ったままでの結合。行動であり実践。駆り立てられてではなく。
○ 愛は能動的な活動であり、「落ちる」ものではなく「自ら踏み込む」ものである。
○ 与えるという行為は生命力の表現であるから、その豊さ実感して喜びをおぼえることができる。
○ 与えることが与えられることになるのは、相手を単なる対象として扱うのではなく、純粋かつ生産的に関わったとき。
○ 愛の要素①(配慮) → 愛する者の生命と成長を積極的に気にかける、何かのために働く、何かを育てる。
○ 愛の要素②(責任) → 他の人間が何かを求めてきたときに応じる用意があるということ
○ 愛の要素③(尊重) → 尊重がかけると支配や所有へ。唯一無二の存在、その人らしい成長発展を気づかう。
○ 愛の要素④(知) → 相手を知る必要。人間の秘密を知ること。結合の体験へと飛び込む。客観的に知る。
○ 成熟した人間 → 自分の力を生産的に発達させる人、自分でそのために働いた者以外は欲しがらない人
→ 全知全能というナルシズム的な夢を捨てた人
→ 純粋に生産的な活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人
○ フロイト → 愛は性衝動の表出と昇華、性的欲望の目的は緊張を取り除くこと。生物学的唯物論の立場より。
○ フロム → 性的欲望は愛と合一への欲求の現れ。フロイトは性の精神生物学的な側面を見落としている。
→ 「フロイトの洞察を生理学の次元から生物学・実存的次元へと移しかえ修正しつつ深め…」
☆親子の愛 (第二章「愛の理論」) → 発達理論から捉えた愛について語っている
○ 赤ん坊(ナルシズムの状態) → 子供(生きているだけで愛される) → 思春期(愛すること・自己中心主義の克服)
○ 父の愛 → 条件付き、後継者としてふさわしい息子…。服従と愛の喪失のバランスをコントロールできる。
○ フロイトのいう超自我× → 内面化して取り込むのではなく母性的良心と父親的良心を築く。
○ フロムによれば、この母性原理と父性原理が正常に発達しないと神経症的発達になるらしい。
☆愛の対象 (第二章「愛の理論」) → 特定の人間に対する関係ではなく、世界全体に対する態度、性格の方向性
a.友愛
○ 「汝のごとく汝の隣人を愛せ」というように、人類全体に対する愛であり排他的なところが全く無い。
○ 自分の役に立たないものを愛するときにこそ愛は開花する。同情には理解と同一化の要素が含まれている。
○ 自分を愛することは助けを必要としている不安定で脆弱な人間を愛することでもある。
b.母性愛
○ 子どもの生命の肯定①成長を保護するための気遣いと責任②「生きることへの愛」の感覚を子どもに与える態度
○ 子どもを愛する心理 → ①本能に由来②自分の一部と感じるナルシズム③超越への欲求
○ ナルシズム傾向、支配的、所有欲の強い母親は子どもが離れていく段階になっても愛情深い母親でいられない。
○ 徹底した利他主義、全てを与え、愛する者の幸福以外何も望まない能力が求められる。別離に耐えられるか。
c.恋愛
○ 他の人間と完全に融合したい、一つになりたいという強い願望。排他的である。
○ 恋に「落ちる」という劇的な体験、他人同士だった2人の間の壁が突然崩れ落ちるという体験と混同されがち。
○ たいていの人の場合、自分自身も他人もすぐに知りつくしてしまう。孤立を克服しようとして様々なことを試みるが。
○ 恋愛が同時に友愛でないときは、その合一束の間しか持続しない。
○ 性的に惹かれ合うふたりは依然として離れ離れのままだ。排他性は所有欲に基づく執着だと誤解されている。
○ 互いに相手を同一化し孤立の問題を解決しようとする。しかし、彼らふたり以外のすべての人から孤立している。
○ 愛は本質的には意志に基づいた行為であるべき。決意であり決断であり約束である。
○ 私たちは絶対者という一者の一部であるが、唯一無二の存在でもある。
d.自己愛 → 利己主義と自己愛は違う
○ 人間そのものを愛することは特定の人間を愛することの前提、生産的に愛せるなら、自分のことも愛している。
○ 利己的な人間 → 本当の自己を愛せないことをなんとか埋め合わせてごまかそうとしている。
○ 非利己主義 → 母親が非利己的だと、子どもは母親を失望させてはならないという重荷を課される。
e.神への愛 → 親に対する愛と密接な関係にある。宗教の発達過程と成熟には関係性がある。
○ 自然との結びつき、動物を崇拝→自分の作った偶像を崇拝→人間の姿をした神→母権的→父権的
○ 父権的な宗教では、規律や掟を作り、それに従うことを要求している。ユダヤ・キリスト・イスラムなど。
○ ただ、母親的な側面が残っている。カトリックの教会と処女マリア。ルターの教義など。
○ 神への愛の特徴は父権的な側面と母権的な側面の比重によって決まる。
○ 横暴で嫉妬深い神(ノアの洪水・イクサの殺害)
→ 神も正義という原理に縛られる(ノアとの契約・アブラハムの要求)
→ 正義・真理・愛という原理や統一原理の象徴へ(モーゼへの啓示)
○ 神の名前はない。実在もしない。神についての知の否定。非神学思想、否定神学、弁証法神学。
○ 神を愛すること → 最大限の愛する能力を獲得したいと願うこと、神が象徴しているものを実現したいと望むこと。
○ 有神論的体系 → 人間を超越した精神世界が実在すると仮定。
○ 非有神論的体系(初期仏教・道教) → 精神世界は存在しない。愛や理性や正義が実在する。
○ 東洋と西洋の宗教の違いは論理的概念にある。西洋は思考、東洋は体験。
○ アリストレテス論理学(数理論理学?)と逆説論理学(ヘラクレイトス・ヘーゲル・マルクス・弁証法・インド哲学)
○ バラモン哲学 → 二元論×多様性○で統一を模索、2つが対立しているからではなく、知覚する側の問題。 → 思考は矛盾においてしか世界を知覚できない。
○ 逆説論理学の結論 → 正しい信仰ではなく正しい行い。思考ではなく行為。教義と科学より人間を変えること。
○ 西洋思想→教義と科学を発展させカトリックを生んだ 逆説的思考→寛容と自己変革のための努力を生んだ。
☆ここまでの感想
新しい訳が出たので読んでみたくなった。『自由からの闘争』は難しそうだったけど、こちらなら気軽だなと思って。帯にある弘中アナと谷川俊太郎の感想…。この本を本当に読んだんだろうか…。
「愛は技術である」という前提のその前の話に遡って掘り下げるアプローチが存在しても良いかもとは思った。実存主義以外からの視点があっても良いかな。
消費社会論に反論するわけでもないけれど少し古い認識のようにも感じる。男女という区別についてもジェンダー論的にはどうなのか。フロムの「男女という二極性の問題」と主張するところに、異性愛主義的なところがいま的には問題ありそう。「性格にも男性的・女性的という違いがある」とか「男性性の未発達」いうのも今でこそ間違いだと指摘できる気がするけど。これらは社会的に規定づけられたものでしかないのでは?
マルクスとフロイトに影響を受けているという割には一神教的な感覚が強い。まあ、それこそフロムは西洋の人だし当たり前か…。海外では宗教が一般的だし。現代日本は宗教の分析については射程に入らないなあという感じ。生育歴も宗教も、自立と発達と父と母の内面化がポイントかなと思った。それはフロイトから受け継いでいるところだろうなあ。
純フロイト的に愛を語るなら、転移とか、恋愛は幼児期の原型を反復するとか、そういう生物学的な唯物論の立場からということになるのだろうけど、それに比べたらフロムは説得力のある豊かなまとめ方をしていると思う。
どうでもいいけど、「現代人はみな「九時五時人間」であり…」との表現…。えっ、残業ない設定か、うらやましい。モーゼでモーゼ効果を思い出した。理系だとそっちのイメージしかない。