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フロム 『愛するということ』 要点まとめ&感想 その②(第三章・第四章)
☆第三章「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」
「2人の人間が自分達の存在の中心で意志を通じ合うとき、すなわち、それぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき、初めて愛が生まれる。…(略)…そうした経験にもとづく愛は、絶え間ない挑戦である。」
○ 西洋文明の社会構造とそこから生まれた精神が愛の発達を促進するか?資本主義による疎外が生じている。
○ 個人は集団にしがみつくことで身の安全を確保しようとし…(略)…誰もが孤独で…。
○ 孤独への鎮痛剤 → 機械的な仕事の手順、娯楽の画一化、交換と消費
○ 愛は性的快楽から生まれる → 技術的な問題で人間の問題を解決できるわけではない。
○ フロム → 愛は異常すれすれというフロイトの転移性恋愛の考えには批判的。
○ フロイト → 19世紀唯物論、第一次世界大戦後の時代、資本主義の前提としての欲望という考えに合致
○ マルクス → 19世紀唯物論とは異なる。心理現象は本能的なものでなく生活の実践でと社会構造に決定。
○ サリヴァン → 「共通の目的を追求するために自分の行動を相手が表明する欲求に合わせる」チームの愛。
○ 性的満足としての愛とチームワークとしての愛は現代西洋社会の崩壊した愛、病んだ愛の「正常な姿」である。
○ 病んだ愛 情緒的に未発達な場合(母や父の役割を求める)
殻にこもる(他人が何を考えているのか分からない不安で、確定させたいが故に怒鳴る相手を好む)
偶像崇拝(自分の能力を愛する人に投影する。新たな偶像を探すことを繰り返しているだけ。)
感傷的な愛(空想の中で、過去や未来の中で経験した気になる)
投射(相手を非難する、子供に過度な期待をする)
○ 現代人の目標 → 「人格のパッケージ」をできるだけ高い値段で売ること。公平な交換と消費に満足を得る。
○ 最近の宗教 → 成功を追いかける疎外された社会で生存競争に適した人間になるための心理的な仕掛け。
※「人々が孤独に気づかないようにさまざまな鎮痛剤を提供する」に関しては若干、状況もいまと違う気がする。
→ 消費だけでなく、表現ができる時代。自分の頭で考える自由な発想をむしろ強要されてすらいる。
→ 自分自身を表現すること、それを受けて誰かが消費することについてどう捉えるか?
※フロムの推奨する愛というものが抽象的すぎてよく分からない
→ 誰かと心の底から通じ合えたと感じるのは幻想か?それこそが大事なのか?
→ 恋愛は多かれ少なかれ転移性恋愛なのではないか?チームワークとしての愛でもよくない?
→ 「最も根本的な人間的欲求、すなわち超越と合一の憧れに気づかない」とあるが…
→ そう捉えると物事の把握がスッキリするのはその通りだが、本当にそこだけを強調して良いのだろうか?
※最近では技術の発展が社会構造を変えるという見方も強まっていないか?構造の問題と技術の問題。
※さとり世代や寝そべり族、オルタナティブな生き方を求める若者に「成功を追い求める」みたいな意識は少ない?
☆第四章「愛の習練」
「人を愛するためには、ある程度のナルシズムから抜け出ていることが必要であるから、謙虚さと客観性と理性を育てなければならない。自分の生活全体をこの目的に捧げなければならない。謙虚さや客観性を場面によって使い分けることはできないが、愛も同様である。他人を客観的に見ることができなければ、自分の家族を客観的に見ることもできない。その逆も同様である。他人を客観的に見ることができなければ、自分の家族を客観的に見ることもできない。また、どういう時に自分が客観的でないかについて敏感でならなければならない。他人とその行動について自分が抱いているイメージ、すなわちナルシズムによって歪められたイメージとこちらの関心や要求や恐怖に関わりなく存在している。その他人のありのままの姿とを区別できなければならない。」
「愛の性質を分析するということは、今日、愛が全般的に欠けていることを発見し、愛の不在の原因となっている社会的な諸条件を批判することである。例外的・個人的な現象としてではなく、社会的な現象としても、愛の可能性を信じることは人間の本性そのものへの洞察に基づいた、理にかなった信念なのである。」
○ 技術の習練 → 規律・集中・忍耐・最大限の関心を抱くこと・全生活を技術の習練と関連づける。
○ 現代人はあらゆる規律に懐疑的であるが、規律が自分の意志の表現となるようにする。
○ 何もせずに1人でいられるようにすること。1人でいられる能力こそ愛する能力の前提条件。
○ 集中する(何も考えずじっとする・会話の内容・何をするにしても集中する・相手の話を聞き適切に応答する)
○ 自分に対して敏感に、平静でありながらも注意を怠らない、何が起きたか自問、変化に気づく、合理化しない。
○ 完成された健康な人間の精神がどのようなものであるかを知らなくてはいけない。教育という意味でも重要だ。
○ 客観的にものを見てナルシズムを克服する。自分の中にある欲望と恐怖が作り上げたイメージと区別する。
○ 人間関係も国際関係も相手に対する自分のイメージと現実との間で歪められている。
○ 客観的に考える能力には理性と謙虚さが必要となる。
○ 生産的な活動は根拠のあるビジョン、大多数の意見とは無関係な自らの生産的な観察と思考に根ざす。
○ 確信を抱くときの確かさや手応えのある理にかなった信念を信じて行動する。
○ 自分に自己や芯があること、その人の基本的な態度や人格の核心部分や愛が信頼に値し変化しないと確信。
○ 自分の愛に対する信念、他人の可能性を信じる。条件が整えば成長するし、そうでなければ枯れる。
○ 他人を信じることは人類全体の可能性を信じることに繋がる。
○ 権力に対する理にかなった信念など存在せず、権力に対する屈服だけがある。
○ 信念を持つには勇気がいる。ある価値に全てをかける勇気である。
○ 意識の上では愛されないことを恐れているが無意識の中で愛することを恐れている。
○ 生活の全ての面で能動性を持つこと。相手を退屈させないこと。赤の他人と身内の分業はあり得ない。
○ 市場における公平の倫理規範と愛は異なる。黄金律の倫理の元来の意味は公平ではない。
○ 多くの職業が生産を重視し貪欲に消費しようとする精神が社会を支配しているので人を愛せる人は例外的。
フロイトにかなり批判的であること、マルクスを頻繁に引用しているところに独自性を感じた。西洋近代と実存主義という視点から愛をテーマに体系的にまとめている意義深い書籍といえるが、目新しい観点を得ることはできなかった。全体を通してかなりオーソドックスで一般的な見方をしていることは分かったが、フロムの骨格を継承しつつも捉え方をアップデートする必要性を感じる。では具体的にどこがそう感じるのか?そこを議論すると面白いかもしれない。