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アイゼナッハ①ドイツ人の心の故郷

アイゼナッハ Eisenach
日本語ではアイゼナハとも書かれるようだが、アイゼナッハのほうがより近い発音のような気がするので、この記事ではアイゼナッハとして記載したい。

アイゼナッハは、チューリンゲン州にある小さな街。
バッハやルター、そしてゲーテにも関係があり、更には世界遺産に指定されている見事なヴァルトブルク城が、この街を有名にしている。
この街は、歴史的に大きな役割を担ってきた。

カールス広場

駅を降り、旧市街に向かって歩くこと8分、かつての城壁の一部がお出迎え。

その城壁の隣には、ニコライ教会が建つ。

教会前にあるカールス広場には、マルティン・ルターの像が、堂々と建てられている。
宗教改革の中心人物ルター。
1498年から4年間、彼はラテン語の勉強のため、この街に住んでいた。

ルターハウス

当時彼が下宿をしていた家は今も残り、博物館として使われている。
この博物館については、別の記事に纏めたい。
更に彼は、この街にあるヴァルトブルク城に滞在した10ヶ月の間に、聖書の翻訳を完成させた。

ラテン語学校

ルターやバッハも通ったというラテン語学校は、今も残っている。

二人の名前が大きく掲げられている

ゲオルグ教会

音楽の父バッハは、1685年3月21日この街で生まれた。
彼が洗礼を受けた教会と、その洗礼盤は今も大切に保存されている。

教会入り口にはバッハ像
洗礼盤

バッハ博物館

バッハの父が購入したというこの家。
バッハが生まれた家は別の場所らしいが、残念ながら今はその建物はないそうだ。
博物館については、別記事にて纏めたい。

博物館前のバッハ像

ヴァルトブルク城

山の頂きに堂々と聳え立つお城は、元々1067年に要塞として造られた。
ドイツで最も有名ともいえるノイシュバンシュタイン城は、このお城を参考に造られたと言われている。

お城からの見晴らしは素晴らしい
お城の中庭

お城の内部はオーディオガイド、もしくはツアーにて見学ができる。
私はツアーに参加したのだが、ガイドさんは
様々なエピソードを紹介して下さり、説明も丁寧だったのでとても面白かった。
要塞は次第にお城として豪華に増築を繰り返し、13世紀に入ってからは、ワーグナーのオペラ、タンホイザーに出て来る歌合戦の舞台としても有名となった。

歌合戦の間

人がいなくなる瞬間が全く見つけられない
歌合戦を描いた絵

また、このお城は聖エリザベトが住んだ場所。お城の中にはエリザベトの間があり、室内一面がモザイク装飾されており、大変豪華だ。

壁のモザイク画は、彼女の一生を表している。彼女はハンガリー王女として生まれ、4歳の時には既に、ルードヴィヒと婚約をしていた。
幼い子供の姿の、二人の婚約の場面。

貧しい人々を助けたエリザベト。
時には高価な財産までもを、貧しい人々に与えてしまう事すらあったそうだ。
そのため、その行為を厳しく禁止されてしまったそう。
しかし彼女はこっそりと街に出ては、貧しい人々への施しを止めることはなかったそうだ。
それについてはある逸話が残っており、そのお話はお城のギャラリーの壁に描かれている。
それはこんなお話だ。

ある日、彼女はいつものように籠をパンで一杯にして街へ出た。
しかし、たまたまその姿を夫に見つかってしまい、慌ててその籠を隠した。
また慈善活動をしているのではと咎められ、籠の中身を見せるように問い詰められてしまう。
しかしその途端に、彼女が持っていたパンは、薔薇に変わったというのだ。
そのことから、この街では薔薇が大切にされているそうだ。

夫ルードヴィヒの死後、城を追われた彼女は、子供を連れてアイゼナッハの街で暮らした。
彼女の功績は他にも、マールブルクに病院を作った事も挙げられる。
その生涯をかけ慈善活動を続けた彼女は、24歳でこの世を去り、死後列聖された。

子供達を連れてお城を去る様子

お城の3階部分にあたる祝宴の間は、とても見事だ。
ルードヴィヒ2世は、ノイシュバンシュタイン城の中にも、この部屋を参考にして歌人の間を造らせた。
たしかに、ノイシュバンシュタイン城とよく似ている。

ルターの匿われていた部屋
宗教改革の主導者ルターは、このお城に匿われている10ヶ月ほどの間に、聖書のドイツ語訳を完成させた。
彼の精神状態も、体調も思わしくなかったそうで、一種の撹乱状態になってしまう事もあったとか。
翻訳をしている間に、彼の前に現れたという悪魔に向かってインクの壺を投げつけたそうで、そのシミが今も壁に残っている。

暖炉の側のシミがその名残だそう
クラナッハ作 ルター夫妻

ガイドさんのお話によると、お城は三十年戦争の後、ほぼ廃墟に近い状態になっていたそうだ。
ゲーテは廃墟と化したお城を見て、必ずここを復活させなければならないと、強く訴えたそうだ。
ゲーテによってこのお城が再発見されなかったら、今もここは廃墟のままだったかもしれない。
歌合戦の間もかつての物語だっただろうし、後にワーグナーがこのお城を見る事もなかった。
もしかしたら、ノイシュバンシュタイン城も造られなかったかもしれない。
ルターが聖書を翻訳したあの小さな部屋も、こうして人の目に触れることはなかっただろう。

後に世界遺産になる価値のあるものが、このような経緯を経て救われたと考えると、ゲーテという存在の大きさを実感すると共に、その心を掴んだお城の存在は、やはり特別な物だったのだろうと思う。

お城から街までの下りは、森の中を散歩した。
旧市街までは、2キロほど。
気持ちの良いお散歩コースだ。

旧市街

旧市街は小さいながらも古い建物や木組の家が多く残り、お散歩するにはちょうど良い。
こちらのピンク色の建物は、旧市庁舎。

そしてこちらの写真中央の家は、市内で一番狭い建物。
その大きさは、両脇の建物と比較しても桁違いに小さい。

ホテル

今回の滞在は、カールス広場前のVienna House by Wyndham Thüringer Hof Eisenach。

ホテルの窓からは、緑あふれるカールス広場、そして教会が見渡せた。
それが気分を落ち着けてくれたようで、とても快適な滞在となった。

街の至る所には、薔薇が咲いていた。
これは、聖エリザベトに対しての敬意だろうか。
人々を助けたエリザベトは、お城を追われてしまった。
しかしこのお城と街は、何かに守られているからこそ、今があるのではないだろうか。
それはもしかしたら、慈悲深い聖エリザベトかもしれない。

長い歴史の中、ドイツの重要人物を育てた街、そしてその重要な役割を担ったお城。
ガイドさんのお話では、この場所はドイツという国の地理的な中心地であるだけでなく、ドイツ人にとっての心のふるさととも言える場所なのだそうだ。
今も多くの観光客を惹きつけて止まないのは、こうした魅力が詰まっているからだろう。
私もその魅力に惹かれて、この街にやって来た一人なのだから。

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聖エリザベトが病院を作った街、マールブルクについてはこちら。

ノイシュバンシュタイン城についてはこちら。

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