ドレスデン アルテ・マイスター絵画館への再訪
昨年末に、ドレスデンを訪れる機会があり、アルテ・マイスター絵画館を再訪した。
忘れないうちに備忘録を。
最初の訪問時の記事は、たくさんの博物館を纏めていた。
いつもは、その美術館で見た作品を備忘録として載せている。
しかし今回は、美術館内を歩きながら私が考えていたことを、このnoteの上で具現化してみたい。
というのも、私は今回、過去に見た別の美術館の作品を思い浮かべていた時間が、とても多かったからだ。
美術館に足を運ぶと、これはあの絵と同じ題材だとか、別の画家達の似ている絵に出会うことがある。
この美術館内で私が感動した作品は多いが、まずはヤン・ファン・エイクの祭壇画。
個人の依頼により、旅行用の祭壇画として描いたものだそうだ。
オーク材に描かれた祭壇画はとても小さいが、ヤン・ファン・エイクらしく細部描写がとにかく素晴らしい。
三角形の安定した構図と、奥行きの描き方に惚れ惚れしてしまう。
こんなに美しい絵が、個人の旅行用の祭壇画とは、何と贅沢な事だろう!
この作品は大広間ではなく、絨毯等の展示室に置かれているのだが、この部屋は遮光され、ガラスケースに入れられ大切に展示されている。
この絵を見た時に、私はフランクフルトのシュテーデル美術館にある、ルッカの聖母を思い出していた。
他にも、館内ではたくさんの似たもの同士を見つけた。
例えば、ルーベンスのパリスの審判。
この絵はたくさんのレプリカがあり、これと同じ構図の絵を、ロンドンのナショナルギャラリーで見たのだが、どこか違和感がある。
あれ?直っていないのでは?
そう、ナショナルギャラリーにある絵は、パリスの右脚が描き直されていると読んだことがある。
ここに飾られている絵は、修正前なのか、それともわざとこのように描いているのだろうか?
右脚の角度が違うだけで、随分イヤらしい絵になるものだなと、クスッと笑ってしまった。
こちらも、似たもの同士。
石炭のバスケットを持つ老婆は、マウリッツハイスの蝋燭を持つ老女と少年と、同一人物だろう。
石炭や蝋燭に照らされ、深い皺がより一層際立つが、その微笑みはとても優しい。
この美術館には、ルーベンスの部屋とも言える大きな広間がある。
そしてこちらは、レンブラントの作品が集められた広間。
ガニュメデスの略奪
泣き叫ぶ顔、そして恐怖のあまりお漏らししている。
自身と妻を描いた酒屋の放蕩息子の場所を尋ねたが、今回は貸出中のため見られず。
そして、他にも似たもの同士が。
ヴァランタン・ド・ブーローニュのいかさま賭博師達は、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのいかさま師とテーマが同じ。
お互いに目配せしているその目は、とても狡そう。
騙される男性が何も知らずに悩む姿が、より純朴そうに見える。
ジョルジョーネのヴィーナスは、ウフィツィ美術館のウルビーノのヴィーナスと比較される。
そして、マルテン・ファン・ファルケンボルフのバベルの塔は、美術史美術館のブリューゲルのそれと同じ題材。
フランツ・ハルスは、人の表情がとても豊かで面白い。
素朴な風景や馬、牛と言えばパウルス・ポッテル。
こちらはクラナッハの親子作品なので似ていて当然だが、同じテーマのアダムとイヴ。
私は、父作品のほうが好みだった。
特徴的な身体の線や顔の表情が、これぞクラナッハ!と感じる。
どちらの作品も、大きなクラナッハの部屋に展示されている。
ここに描かれた三組のカップルの絵も、不似合いなカップルを描いた作品として、またはお金で成り立つ関係として、頻繁に見かける。
この美術館には、二枚のフェルメール作品が展示されている。
取り持ち女の絵も、お金で成り立つ人間模様が描かれている。
そして、この美術館の宝、システィーナの聖母。
ラファエロの描く、柔らかそうな肌と、その顔立ちがとても好きだ。
ここまで見たところで、既に3時間以上経過していた。
さすがに喉が乾いて、館内のカフェでひと休み。
しかし、やっぱり飲み物だけでは終わらない。
甘いものは、いつだって大好き。
エネルギーを充分に補給し、引き続き古代美術のコーナーへ。
たくさんの彫刻作品が並ぶ。
以前訪れた時は、美しい庭園と噴水があった中庭は、現在工事中。
絵というものは、本当に凄い。
写真がない時代に、記録として描かれた絵。
それは肖像画や街の様子だけでなく、時には戦争も描かれる。
その絵がなければ知りえなかったことを、後世に伝えてくれている。
例えばこの一枚も、このツヴィンガーの中庭を描いたもの。
下の写真と比較しても、それほど大きな変化がないことに驚く。
工事が終われば、ここはまた同じ景色が広がる。
そのようにしてこの街は復興し、大切に守られてきたのだから。
ドレスデンの街の遠景。
今も同じ場所に、同じ建物がある。
絵は単に美しいと感じて鑑賞するのも楽しいけれど、その絵に隠された背景、意味、物語を知ると更に楽しいと思う。
美術館に飾られている絵を見て、これらの絵の伝えたいことを知りたくて、ギリシャ神話やキリスト教文化に触れる。
どんな人がこの絵を描いたのか、画家の人生を知りたくなる。
私が絵を鑑賞する時間は、一枚につき数十分だと思うが、画家は一枚絵を描くために、時には膨大な時間をかけて描く。
一生をかけて書き直しを続けることもあると聞く。
この人は、この絵を、何の目的で、何故このように描く必要があったのか。
この絵で何を伝えたかったのか。
一枚の絵は、実は図書館のように、たくさんの知識や歴史を伝えているのだと感じる。
こうして美術館に足を運ぶ機会が増える度に、似ている絵を目にする。
あの絵と似ている!この絵と同じ題材だ!と、まるでトランプのババ抜きのペア探しのよう。
同じ題材が頻繁に描かれるには、理由がある。
画家を惹きつける魅力。
人々を惹きつける魅力。
それを伝えるべき理由がある。
過去作品や、画家へのリスペクトやオマージュでもある。
ほんの少しの絵の知識と、そしてたくさんの妄想を加えながら、私は美術館をさまよう。
それが私の至福のひととき。
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