グリム童話XI グリムの世界 カッセル
カッセル訪問の目的の一つは、グリムの世界 Grimmweltという博物館。
グリム童話の誕生は、1812年。
2005年には、ユネスコの世界記憶遺産として登録された。
かつてヘッセン方伯の宮殿内にあったグリム博物館は、展示品が増えて手狭になり、代わってこの博物館が2015年に建てられた。
博物館近くのグリム広場には、グリム兄弟の像がある。
グリム兄弟はハーナウで生まれ、大学時代はマールブルク、そして人生の多く30年余りをこのカッセルで過ごした。
そして、グリム童話が生まれたのも、この地。(グリム兄弟とは、主に次男ヤーコプと三男ヴィルヘルム。ヤーコプを長男としている資料もあるが、亡くなった長男がいる)
博物館は見晴らしの良い場所にあり、グリムガーデンと名付けられた庭では、大勢の人々が思い思いに寛いでいた。
私達も木陰のリクライニングチェアで、ケーキをいただき、青空の下のんびり過ごした。
さっそく博物館へ。
入り口には、大きなおもちゃやミニシアター。
奥には、カフェやショップも併設されている。
こちらが展示室への入り口。
展示品は、アルファベットの頭文字によって示されている。
グリム兄弟の功績は、民話を収集した事にスポットが当てられがちだが、大学教授として、またドイツ語辞典の作成に貢献した言語学者である。
館内をアルファベットを使った展示にするとは、気の利いた演出だ。
最初こ展示室はZ。
これはZettel、紙片・メモ用紙という意味。
壁一面に、メモ用紙が整然と並べられ、一つ一つに言葉の説明が書き込まれていた。
パソコンもない時代、手書きをするだけでも大変だ。
このような努力があり、一冊の辞典が出来上がったのだ。
たくさんの人々との交流があったグリム兄弟。
その主たる人々だけでも、これだけの人数。
次は、ドイツ語辞典のコーナー。
ドイツ語辞典の初版がこちら。
1852年-54年にかけて分割出版され、第一巻のAからBIERMOLKEまではヤーコプが執筆。
辞典作成作業は10年程で完成すると想定されていたが、彼らは何と21年もの間この作業に時間を費やす事になった。
ヴィルヘルムは、1859年12月に亡くなるまでこの作業を続け、Dの言葉を完成させた。
ヤーコプはその4年後に亡くなったが、A、B、C、Eを、そしてFの文字は「Frucht」(果物)まで完成させていたそうだ。
ヤーコプは、こんな言葉を残している。
"私がこれまでに引き受けた仕事の中で、ドイツ語辞典ほど困難なものはない"
このように、ドイツ語辞典の作成はグリム兄弟最大のプロジェクトだった。
彼らは、約32万語の言葉を辞典に掲載し、これは現在でも最も包括的なドイツ語辞典として使用されている。
彼らがこの作業に取り掛かったのは1838年。
当時、ドイツにはまだ40近くの州があり、言葉も統一されていなかったそうだ。
ドイツ語辞典編纂の長い歴史を辿る部屋。
ドイツ語辞典最後の編纂は、2015年。
ドイツ語で使われるウムラウトも、ヤーコプが作ったそうだ。
ヴィルヘルムは、ルーン文字(ゲルマン諸語の表記に使用された古い文字体系)研究の先駆者だったそう。
そして、いよいよグリム童話のコーナー。
グリム童話は、グリム兄弟によって集められた童話集。
その発行部数は、聖書に次ぐ多さだと言われており、世界160ヵ国以上の国々で、それぞれの言葉に訳され読まれ続けている。
日本語版も見つけた。
1812年に初版を出版した時は、グリム童話という名ではなく、子供たちと家庭の童話、と名付けられた。
実は、この初版は不評だったそう。
民話をまとめた本は、世間からはその価値を見出してもらえなかったようだ。
そのため、挿絵を加えた第二版を作った。
この挿絵は、六男のルードヴィッヒ・エミールが担当している。
初めて挿絵が加えられた童話集が、こちら。
その他にも、面白い展示が。
汚い言葉(罵り言葉や粗野な言葉)を大きなスピーカーに向かって話すと、古い時代の言葉が返ってくるというヘンテコな装置。
これは、グリム兄弟がこのような言葉についても集めていた事が由来のようだ。
彼らの生活に焦点を当てたコーナーでは、パスポートや家具、ゲッティンゲン大学教授として勤務時の様子、そしてヤーコプの乳歯等も展示されていた。
別コーナーでは、グリム童話の世界を再現した家や森、人形劇や模型などが展示され、ゲーム感覚で触れ合う事ができる。
あちこちで子供達が走り回り、楽しそうだ。
Hのコーナーには、大きなオブジェが飾られており、Holzwurzel(木の根)のHを表すようだ。
グリム兄弟は、自分達の仕事をルーツ研究と呼んでいたそうで、Wurzelforschung (ルーツ研究)のWurzelが、この作品の意味するところらしい。
言葉の起源と関係を追い、民話を集めたことも、彼らにとってはゲルマン語のルーツ、ひいては自分たちの言語文化を研究するという目標のためだったという。
さて、私達は博物館入り口で、あるスタッフのかたに声を掛けて頂いた。
丁寧な説明の後、また何でも聞いてと言ってその場を離れて行かれた。
館内を見学している間に、私達はある一つの疑問が湧いた。
Duden(ドイツ語の正しい綴りを示す正書法辞典)を作ったコンラート・ドゥーデンは、グリム兄弟と同じ頃に生きていた。
彼らは知り合いで、お互いに影響を与えあったのだろうか。
例のスタッフのかたを探し、ようやく彼を見つける事ができたので、早速質問を投げかけてみた。
すると彼は、目を輝かせた。
私達は彼の案内に感謝していたのだが、彼もまた、このグリムの世界を楽しんでいる私達の存在を喜んで下さり、わざわざ館内の見所まで引き連れ説明をして下さった。
グリム童話では、継母が悪者として描かれる事が多い。
それは、家族愛の裏返しなのだそうだ。
家族の愛が深ければ深いほど、新たな絆である継母との関係は一線を画すもの。
継母を悪者に仕立てることで、実母との強い愛が強調されるというわけだ。
スタッフのかたは、ウインクをしながらこんな事を言った。
しかし現代において悪役といえば、継母よりも、義理の母のほうが多いかもしれないね。
グリム童話の世界観が、一気にドロドロしたドラマの雰囲気になってしまい、私達は思わず笑った。
最後には彼から握手を求められ、どの街から来たのかと聞かれ、世間話まで始まった。
見学後、博物館の出口で、またしても彼がやって来た。
彼は係のかたに、私達にプレゼントをあげたいと頼みに来られたのだ。
本来は子供達にプレゼントされるであろう可愛らしい缶バッチを、私達は彼から受け取った。
彼は、こう言った。
普段は、こんなに詳しく案内することはないんだ。
でも今日は君達に会えて嬉しくて、つい話し過ぎたよ。
私達はこのようにして、この缶バッチを手にした。
この小さな缶バッチには、一日分の嬉しさが、ギュッと詰まっている。
楽しい一日が終わった。
私の中にはどっしりと、グリム兄弟が成し遂げた偉業の重さが残った。
目的達成のための、凄まじい執念。
私は何に対して、ここまでの拘りや信念を持っているだろうか。
情熱を捧げられる対象を持ち続けたグリム兄弟を、ほんの少し羨ましく感じたのだった。
グリム兄弟が学んだ街マールブルク
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