コロナ渦で気づく、本質の話。

最近、仕事仲間や子どものいる友人と話す時間が増えた。
なにせいつもより少し時間があるので。
で、「学校の選択」が話題にのぼる現象が起きています。


つまらなかったり辛かったり思考停止になっている子どもの時間、義務的に学校と名の付く場所に通う15歳くらいまでのほとんどは必要なんだろうか?
特に小学生くらいの、自分では選択できない時期は親が決めることだけど、日本の子どもたちの幸せ度数、極端に低いですよね。


今、免疫力向上が叫ばれて久しい世の中で、食べ物や規則正しさ、運動などの「きちんとする」指導が入ってくる。でもとにかく楽しむことや個々の気持ちには触れられない(「笑うこと」が心と体を丈夫にすると内科医のおおたわ史絵先生もおっしゃっている!)。


学校の楽しい時間は休み時間と給食。あとの6時間はどこへ?


「だまって背筋を伸ばして机につき授業を聞きなさい」「得意な科目はいいから苦手なことがみんなと同じくらいできるようにがんばりなさい」「習っていないことは取り入れてはいけません」という横並びに個性をつぶす指導は、何の役に立つのだろう。
一昔前はこれでよかったのだということは理解できます。高学歴で大きな会社に入ることが目的だったわたしたちの世代はまだ、これが当たり前。縛り付けられることこそバネ。考え足掻いて何かが育ち芽生えた時代でした。


でもこれからさらに変わっていく境目の今想像できるのは、仕事は自分次第でいかようにも作れるということ。兵隊の役割りはみんな、AIがやってくれるのです。


魔法のステッキが一人一つ渡され、あとは呪文次第。自分のてのひらで道を開く時代は、今ほんの一握りが選ぶ道と逆転する。そんな将来が待っている子どもたちの教育環境は、一昔前と同じでいいはずがない。


それなら、明るい時間は山や川で思い切り地球の不思議を探したり、工夫して壊れにくい秘密基地を作ったり、食事になる魚を釣って調理したり、タブレットで遠くの友達と通信しても楽しい。その中に理科や社会の学習は潜んでいるのではないか。算数や国語など、もちろん必要な授業もやいやではなく集中できる時間で吸収したら?


みんなと同じになるまでがんばるんじゃなくて、みんな違う得意なことを見つける作業をさせたい。


こんな妄想で盛り上がっているわけです。
でも、きっとうちの園長先生はやりますよ。わたしも自分事なので全力で持てるコネクションを使いまくって計画書も作るし、このチャンスを逃さないぞって言ったもん勝ちだと思っている今日このごろです。


五味太郎さんも「本質」の話をされていますね。
わたしごときの妄想よりずっと説得力があるのでシェア。


https://withnews.jp/article/f0200405003qq000000000000000W09w10101qq000020833A?_gl=1*ekrkpr*_ga*d01ybEJObDdmM0VkelVsM3J0S0VYVEFaQ0QxR1FBNDVoNkNCOE5rOU95aGI4SGtnck1FSVNUTEFPaWkteFRMaw

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