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第1話 はじまりは勢い
〜ちょいと一週間のつもりで飛んで〜
『癌の新薬治験に参加するので大阪の宿泊施設に入った。治験点滴の副反応か、今ちょっと体調を崩してしまって色々と大変なので身の回りの世話を手伝ってもらえないか?』
と、末期癌のアニから言われ、とにかく駆けつけた、というのが始まりだった。
『一週間もあればオレの体調も戻ると思うので、それまでよろしく!』
と本人は言っていた。
スーダラ節の『ちょいと一杯のつもりで呑んで〜』くらいのノリで『ちょいと1週間のつもりで飛んで〜』
いつのまにやら72日である。
本音と建前
何故、
アニの『実弟の嫁』であるワタシが駆けつけたのか、と言うと、
アニは生涯独身で、元気だった昔から実弟家族であるワタシ達とよく行動を共にし、
また独身貴族よろしく、ひとりでフラッと海外旅行に出かけては、行く先々から珍しいお土産を贈ってきてくれたり、
何より、
高齢で古民家に一人暮らしの義父の事を、同じ敷地内にある大きな倉庫を自分でコツコツ人が住めるように改築し、そこへ住み、付かず離れず、義父の様子を見守るなど、ワタシ達の分まで親孝行を担ってくれていた。
そんな、ワタシ達が受けてきた数々の恩義に、今こそ報いたいと思った。迷いはなかった。
三兄弟末っ子の三男坊であるワタシの夫は、次男坊であるこのアニと昔から本当に仲が良かった。
その上夫は優しく、とことん情に厚い。
そんな夫が、
末期癌のアニから『単身大阪に行く』と連絡を受けた時、
『俺、仕事辞める!辞めてアンちゃんの世話をしに大阪に行く!!』
と半べそをかきながら言い出した。
夫はアニより3つ年下だ。3つ年若とは言え、5年前に定年退職、今は再雇用で働いている。
この年齢で、働きたくても働けない人がゴマンといる中で、ワンチャン再就職出来たとして、全て1から…という苦労を思えば、
『再雇用』という手に覚えのある仕事を続けていられるこの有り難い環境を、実兄のためとはいえ簡単に手放すなんて勿体ない!
それにその有難い立場も残りあと9ヶ月なのだ。
ワタシは、
アナタには満期まで仕事を全うして欲しい。
大丈夫!大阪にはワタシが行く。
だから心配いらない!!
と言ったのだった。
・・・とかなんとか、
格好つけて宣言したワタシだったが、
実を言えばワタシはその時、
『血迷ってんじゃないよ〜。野郎ひとりが行ったところで何が出来るってんだい?だいたいね、お給料、貰えるうちは働かんかい!!』
と、夫のお給金で成り立っている今の暮らしが立ち行かなくなるかもしれない危機感を覚え、とっさにワタシが行く!という言葉が口をついて出てしまっただけだったのだ。
夫から半狂乱の感謝の言葉を受けながら、生ぬるい笑顔を向けつつ、旅行用に取っておいた試供品の化粧品や着替えをスーツケースに詰め込み、
まぁ言っても、
『一週間から10日ほどの間』だし、
まぁそれくらいなら、
『大したことないだろう』とたかをくくり、
こうしてワタシは、
飛行機の片道チケットを取り、
急ぎアニのもとへ、
正に「飛んで」来たのであった。
まさかこれから72日間も、
家を空ける事になろうとは、
この時のワタシは、想像だにしていなかったのである。