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大学院と授業について感じたこと8選【秋学期折り返し】

ハロウィンの時期になり、ボストンもずいぶん冷え込んできました。

さて、先日Xに下記のポストをしたところ、一定の反響がありました。

同様の内容を、少し説明を補足しながらnoteにも再掲しておきます。
(Xの場合古いポストは追うのが難しくなりますし、字数制限上いくつか言葉足らずになった部分があるので)


① アウトプットを中心に据えた学びが基本

私の通っていた日本の大学では、授業時間を講義に使い、その後試験でその定着度を測る、という教育法が一般的でした。

しかし、アメリカの大学院(*)では、授業時間は基本的にディスカッションに使われます。ディスカッションをするには当然知識が必要なので、それらは事前にリーディング、動画などの課題というかたちで生徒に共有されています。

そのため予習量は必然的に日本の大学より多くなるのですが、逆に言うと授業後の勉強量はそこまで多くありません。期末試験はない科目がほとんどで、授業内容は授業でディスカッションしたら終わりというパターンも多いです(もちろん、エッセイやレポートのかたちで復習が求められることはあります)。

このギャップは日本式の教育を受けてきた身からすると、予習量の多さに圧倒されると同時に、期末試験などがない中でどう学びを自分の中に定着させるべきか悩むことがあります。

この点については考えていることがあるので、また投稿したいと思います。

(*)正確には、恐らくアメリカのプロフェッショナルスクール(職業大学院)ではという方が正しいかもしれません。また私の経験上、日本の大学(学部)とケネディスクール(修士)を比較しているので必ずしも的確な比較ではないことをご了承ください。

② 学校と生徒間の秀逸な相互フィードバック体制

学校や教官と生徒の間のフィードバックシステムは、少なくとも私の通っていた大学と比較するとはるかに整備されているように感じます。これによって生徒視点でははるかに満足度が高まっていると感じます(教官視点で見ると負担とも言えますが)。

具体的には下記のようなシステムがあります。

  • 学校は過去の授業に対する生徒からの評価を公開しており、それを踏まえて授業を選択することができます(下の画像は例です)

  • 生徒はいつでも教官とのオフィスアワー(1:1のセッション)を設定(する依頼を)することができ、フィードバックや個人的な相談に使える。

  • 個別の授業にとどまらず、修士のプログラムチームは生徒からのフィードバックを毎年回収しており、それに合わせて毎年カリキュラムをアップデートしています。(たとえば私のコースでは毎年のように必修科目が変ったり、指導法が変ったり、1クラスの規模が変ったりします。)

授業評価アンケートの結果

③ 「パーティシペーション」なる一長一短の評価法

日本の大学では、一般的に出席、中間/期末試験、レポートが主要な成績評価指標だと思います。

一方で、ケネディスクールでは、上記に加えて授業中の発言が成績に加味されることが大半です。授業にもよりますが、概ね15~40%がクラスでの発言に充てられています

このシステムはアメリカ式の教育の大きな特色だとクラスメイトから聞いていますが、多くの長所と短所を併せ持つシステムだと感じています。

(これについて書くと長くなるので投稿を改めますが、)簡潔に書くと、長所としては、発言を課すことで予習をしっかりやる原動力になる、講義内容を深く理解する後押しになる、生徒間の双方向的学びを促進できる、などがあります。一方で、短所としては、発言を課すことで発言そのものが目標になりかねない、生徒の多様な学び方を尊重できない、授業の進みが安定しない、などがあります。

④ 膨大な課題に追われて溺れるのは簡単

①でも述べましたが、予習や課題の量は(特に英語が母語でない生徒にとっては)かなり多く、全てを完璧にやろうとすると睡眠時間(+精神の安寧)が確保できなくなります

言われたことを全てやる、というマインドセットでは正直持たない仕組みになっていると感じるので、いかに頭を使って「何をやらないか」を考えることが極めて重要になってきます。これについてもまだ投稿します。(追記:下にリンクを貼りました)

⑤ 刺激的で尊敬できる同年代のクラスメイト

これはアメリカの大学院に限った話ではないと思いますが、世界中から集まる優秀な学生からの学びは想像以上に大きいです。ケネディスクールの私のプログラム(公共政策: MPP)には50人程度のクラスがありますが、クラスメイトは本当にみな多様なかたちで優秀であり、いつも勉強しています。人それぞれ違う強みがありますが、例としては:

  • あらゆる教官の問いに対して発言できる(=頭の回転が速い)生徒

  • あらゆる話題に精通していて、何かしらの意見を持っている生徒

  • 常に明るく、クラス全員と関係を築ける生徒

  • 日本のこととてつもなく深く知っている生徒(!!)

などがいます。

⑥ 学生たちの社交性には本当に脱帽

いわゆる典型的なアメリカの学生、というイメージに近いですが、クラスメイトをはじめ学生たちのSocial activityへの入れ込みようは本当に尊敬します笑。

2日に1回は何かしらクラスで集まっている印象があります(クラスメイトの誕生会、ピクニック、軽い飲み会、などなど)。さらに外部の友人たちも含めたパーティーの数もとても多いです。

私は(特にアメリカでは)そこまで社交的なタイプではないのでほどほどに参加するスタイルですが、ほぼ全てのイベントに顔を出しているような生徒も多く、いったいどうやってそのエネルギーと勉強時間を保っているのか本当に不思議になります。

⑦ やっぱり英語は聞き取れるだけではだめ

よく留学する人々への英語のアドバイスとして、「スピーキングは聞き手が何とか理解してくれるけれど、リスニングは教官の言っていることを止めるわけにはいかないのでリスニングを頑張った方がいいよ」といったものがあると思います。

これはもちろん正しいのですが、こちらに来て③で触れた様なパーティシペーションスタイルの授業を経験していると、やはり「聞いてわかる」だけでは圧倒的に不十分だと実感させられます。

最近、授業の事前課題(簡単なエッセイのようなもの)の出来がよかったということで、何人かの教官から授業中にその場でクラスに内容を説明してくれと指名されたことがありました。もちろんこれは嬉しいことですし、頑張って話すのですが、どうも自分がエッセイを書いた時の論理的な流れを流暢にアウトプットするのが難しく、なんとも歯がゆい思いをしています。(もちろんこちらに来てからも日々スピーキングは練習していますが…)

リスニングに負けずとも劣らない要素だなと思います。

⑧ 人種による疎外感より「アメリカを知らない」という距離感

よくある留学の悩みとして、「欧米人ばかりでアジア人(日本人)が疎外感を感じる」というものがあると思います。実際、私のクラスもアメリカ人は70%程度いますし、日本人は50人中2人ですので圧倒的に少数派です。

ただ、正直どこの生徒かというのは見た目ではわかりません。見た目がインド系でも完全にアメリカ生まれ・アメリカ育ちの場合もあれば、逆もあります。またアメリカ人と言っても黒人・白人・ヒスパニック・アジア系など多様で、正直「誰がマジョリティなのか」は明らかではありません。(もちろん疎外感がゼロといえばうそになりますが)

それよりも、クラスメイトと話していて疎外感を感じることがあるのは、「アメリカを知らない」時だと感じます。

アメリカの有名な曲や番組、タレントを知らない、歴史や政治家を知らないがために、クラスメイトとの会話についていけないことも多いです。

これは正直、今から頑張ったところでアメリカで生まれ育ったレベルの知識はつけられませんし、つける必要もないと思っています。ただ、疎外感を感じることがあるのは確かで、ここにどう向き合っていくかはまだ答えが出ていません。


ということで、学校と授業について、最近思ったことをまとめてみました。

ではまた。

(追記)アメリカでの生活や文化に驚いたことは下にまとめました。



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