【そして新時代へ】
直近文章を書く度に「世界」がどうのだったり
「社会」がどうのと、大きい言葉を使ってしまう
語彙力の無い自分に恨めしい気持ちを頂きつつも
それでも今日は新しい世界の到来を感じてしまう。
本日2024年11月17日は兵庫県知事選挙が行われた日だが、マスメディアの当初の予測を裏切り、
前知事の再当選という結果となった。(注1)
前知事の斎藤氏はパワハラ及びそれを発端とする
自殺報道などもあり苦戦を予想されたが、
結果は快勝と言ってもよい内容だ。
ネット(X)では、「既得権益と闘い、メディアに
陥れられた斎藤氏がメディアに反旗を翻した若年層の支持により勝利した」というストーリーがまことしやかに語られている。
真実は分からない。確かにパワハラ報道後に
「実は斎藤氏は兵庫県の既得権益に切り込んだことで、偏向報道によって追い詰められている」という報道(注2)も流れていたのは確かだ。
そういったストーリーはいつしかテレビや新聞を主としたオールドメディアとSNSを動画配信サイトを中心としたニューメディアの対決というより大きな流れに集約されたように見える。
色々書いたが、私が言いたいことは
オールドメディアが覇権を握った世界が
終わりを迎えつつあるのではないか?
ということだ。
選挙結果に対して「新しい時代」がどうのと大げさな題名をつけたのは、今回の選挙結果と似たような事象がいま様々なところで起きており、今回の件も大きな流れの一部だと感じるからだ。
既に比較論が出ているが、アメリカでの選挙もTVなどメディアの予想を裏切り、トランプ氏が圧倒的な支持を得て再選を果たした。(注3)
オールドメディアが支持する層に対して、
有権者そして視聴者がNoを突き付ける。
今回の結果はその流れに似ている。
本当は両者とも深ぼると複雑な
要因が重なった上での結果で、
そう単純な二軸の話ではないのだろう。
しかしその複雑性に対する議論は行われず
大衆を無知だと見下し好き勝手するオールドメディアと開かれた民衆による活動が反映されるニューメディアという事実から飛躍した潮流が産まれるはずだ。
肝心なのは事実としての複雑性ではなく
分かりやすい対立軸、物語がどのように
大衆に理解されるかだ。
その認識が固定してしまうともう止まらない。
その流れはエンタメ化し、人々の脳裏に刻みこまれ、決着がつくまで進み続けてしまう。
私自身いわゆるオールドメディアははっきり言って大嫌いだ。様々な報道や経営姿勢に驕りと無責任さが垣間見える。直近オールドメディアが非難されまくっている様は痛快だと思う。
だからと言ってネット上のポピュリズムを支持したい訳ではない。ニューメディアでもフェイクニュースなどは流れ、扇動者が人々を都合の良い方向に導いてしまう。
このままでは醜悪なオールドメディアが醜悪なニューメディアに取って代わられるだけではないのだろうか。
新時代がやってくるが、それが果たして良い時代となるかはこれからの私たちが感情や印象ではなく事実に即し、己を律することが出来るかにかかっているのではないだろうか?
(注1)
(注2)
(注3)