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【物語に生き、物語に殺される】

我々は理解できないモノに出会うと、
物語を通してそれを理解しようとする。

だから人生を考える際に多くの人が
宗教という物語を通して理解しようとする。

だから消費者にとって倫理的だと思える
製造過程を製品の横に張り付ける。

だから理不尽な世界に苦しめられている
自分たちを救済する英雄の物語に染まっていく。

「ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する」
ではいくつかの事例を用いてそのことを我々に示してくれている。人は簡単に事実を事実として理解することはできないのだと。


そして直近この本が改めて注目を集めた。
日本で物語が人々を扇動し、そして多くの人々の運命を変えてしまうような出来事があったためだ。以前も取り上げた兵庫知事選挙だ。

現在斎藤元知事の選挙活動をめぐり、
様々な議論がSNSを飛び交っている。

 
そしてそれに伴い各々が自分にとって
都合の良い物語を基に思考し、
今回の件を理解しようとしている。

「知事は利権の闇に立ち向かい、
そのために追い込まれたのだ」
「今回の選挙は貶められた英雄の復活劇だ」
「野蛮なデモを見た県民が正しい行いをした」
「愚かな県民が騙されて、誤った選択をした」
「ネットがついにTVや新聞という
既存メディアに打ち勝った」
「知事の裏には与党の大物が裏を引いている」
「知事が問題のある人物と裏で手を組み、
卑怯な戦術で勝った」
「ネットは馬鹿な大衆をだますことに
活用されている」
「ある大学の卒業生は自分を
目立たせるを優先する」

今回の件を発端とする私が目にした物語は大体こんなものだ。恐らくもっとあるのだろうが。
それぞれが密接に絡み合い、分岐や収束を繰り返し紡がれている。

各種の物語について私はそれが真実なのかどうかを判断を下すことはできない。そしてそんなことが出来る人物はこの世に存在しない。

得た情報を脳内で解釈し、それを語っているだけだ。どんな人物でも団体でもそれは変わらない。

二つ言えることがあるとすれば、恐らく上の中に完全な正解はないであろうこと。そして今起こっている争いは決して善悪の戦いではないということだ。

人はある大きな二軸の対立に直面すると自然とこう考える「果たしてどちらが善人で、どちらが悪人なのだろうか?」もしくは「どちらが正しくて
どちらが過ちなのだろうか?」

この対立は人間が古来から信じてきた物語だ。
それによりわれらに正義ありと命を捨てて戦いに臨み悪だと断定した相手を排除してきた。
何回でも何人でも。

私たちはその枠組みから逃れることはできない。
第三、第四の選択肢がそこにはあるのかもしれないのに。白黒ついた物語の方が分かりやすいからだ。勧善懲悪という言葉が示すように。

もちろん、今回の件でも可能な限りの事実が立証され、責任ある立場の人間は罪に問われ、罰を受けるべきだと思う。しかしそれを無理に白黒の二軸で捉えようとすると本質を見誤ってしまう。

誰にとっても分かりやすくそして
誰にとっても都合の良い
物語など存在しないのだから。



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