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[歴史ノート]松戸清裕『ソ連史』

よう、オレだぜ。今回紹介するのはコイツだ。

本書の目次は以下の通り。

第1章 ロシア革命からスターリン体制へ
第2章 「大祖国戦争」の勝利と戦後のソ連
第3章 「非スターリン化」から「共産主義建設」へ
第4章 安定と停滞の時代
第5章 「雪どけ」以後のソ連のいくつかの特徴
第6章 ペレストロイカ・東側陣営の崩壊・連邦の解体

オレは読書する際に線を引き、考察や疑問のコメントを添えながら抜き書きするタイプだが、抜き書きを決意する時のポイントがいくつかある。

・その書籍の主張の核となっている箇所である
・自分の問題意識に新しい洞察を与える
・常識に依存した推論では導出できない知識を理論的に構成している
・単純にフレーズを気に入る

あたりだな。基本的には再読を前提とした意味合いが強く、「あの本にあんなことが書かれていたな」と思いだすのに役立ったりするぜ。

一国の歴史について概略的に書かれたものとなると、抜き書きの方針がやや変わっちまうぜ。なんらかの記述が「本当に事実であるか」の証明が省略されているからだ。その分野に自分は通じていないのだから、一つ一つの記述を検証したわけでもないのに、留保なしに歴史的記述の正当性を認めてしまえば、ニンゲンを不当に信頼しすぎることになる。「ニンゲンを疑え」というより、オレ自身がもともと持っていた偏見などを強化することに警戒心がある。

これが数学書なんかであれば、定理についての証明が真であるかどうかを確かめないと、次のページに書いてある内容が理解できなくなる、という事態が発生するので、じっくりと取り組まざるを得ない。それで歴史学者を志すつもりもないのに、概略的な歴史の一つ一つの記述を深掘りしていこうとすれば……なかなか読み終えることができなくなっちまうわけだ。

現地の言語を学ばなければ一次資料に当たることすらできない以上、厳密な意味でのファクトチェックは諦めなけりゃならねえ。その意味で(オレのようなパンダにとって)歴史書を読むことは小説を読むことに近しい。

歴史的事実における「客観性」ってヤツは非常に厄介な概念だ。たとえば魔女狩りなんかが分かりやすいだろう。ニンゲンどもがトチ狂って、無実のメスに不幸の原因をおっかぶせたりしてたわけだが、「皆がある出来事をどう捉えているか」という主観の総和は出来事の客観性を担保するわけではねえってことだな。しかもそれが大規模な社会現象となりゃ、その物理的現実を俯瞰することはもはや不可能で、まして過去のものとなれば、証言や記録のような誤謬や改竄の可能性が付きまとうものを参照する必要が出てくる。

それで? ある歴史書を評価したければ、数多ある他の歴史書と比較しなければならねえ。膨大な資料から出来事の成り立ちに大きな影響を与えた事件などを抽出し、それらをどのように配置するのか、どこにつながりを見出すのか、という著者の史観を評価する能力が読者に要請される。オレにそのような能力はない。したがって書籍の内容を軸にするのではなく、なぜその歴史を紐解く気になったのか、何を期待しているのか、という読み手の動機を軸に抜き書きせざるを得なくなるというわけだ。

もともとマルクス主義への否定的な関心からソ連史をつまみ食いしてきたんだが、今回のロシアによるウクライナ侵攻(2022年2月24日)を受けて、現在起きている侵略戦争が過去のいかなる歴史的要因の影響下にあるのかを掘り下げたくなったぜ。もっと言えば、「なぜ侵略戦争などというものが可能になるのか?」ってところか。

かなり前にリデル=ハートの『第二次世界大戦』を読んだ際、「ヒトラーは戦争に発展することを心から恐れていた」という趣旨の記述があり、意外さを覚えた記憶がある。当時のオレがいわゆる「独裁者」に抱いていたイメージは、極端に言えば、自惚れと疑心暗鬼に満ちたサディストで、追従の仕方を間違えて気分を損ねるとすぐ処刑される憂き目に合う、というものだったからだ。たとえばヘンリク・シェンキェーヴィチの『クオ・ワディス』中でペトロニウスによって語られる暴君ネロのイメージがそれに近しいな。

赤髯は臆病な犬だ。自分の権力が無限だということを承知しているくせに、何をするにもつとめてポーズを取りたがる。おまえも興奮がさめて少しは哲学的な思索ができるようになったかね。おれは一度ならずこういう考えが頭に浮かんだ。罪を犯す者が、たとえ皇帝のような権力の持ち主で、その権力が無限であることを確信していても、いつもきまってその罪を法律と正義と徳にかなったもののように見せかけようとしているのはなぜか、という考えだ……。なんのために、そういう手間をかけるのか。おれの考えでは、兄弟や母や妻を殺すのはアジアのどこかの小国の王のやることで、ローマの皇帝にはふさわしくないことだ。しかしかりにおれがそういう仕儀に立ち至ったとしても、元老院あてに弁明の手紙を書いたりはしない……。ところがネロは書くのだ――ネロはうわべを飾ることに汲々としている。同じ皇帝でもティベリウスは臆病者ではなかったが、それでも自分の犯した悪事については一々弁明している。これはなぜか。悪はなぜ徳に対して無意識に奇妙な敬意を表するのだろう。その理由についておれがどう思っているか、それがわかるか。おれの考えはこうだ。そういうことになるのは、悪行はみにくく、徳はうつくしいからだ。

シェンキェーヴィチ『クオ・ワディス(上)』木村彰一[訳]、岩波文庫、pp.90-91

武力を背景とした恐怖政治を敷く近代の独裁者にとって、武力を用いずに政治的目標を達成できるならば、それに越したことはない。まして肝心の武力を損耗する侵略戦争は自身の権力保持にとってリスクとなるし、強権的な弾圧や世論操作にも限界はあり、民衆に決定的に見放されれば、革命なり、暗殺なりで命を奪われるのは数多の歴史に綴られてきたことではある。

独裁者と言えど、政治的意思決定においては自分個人の思惑通りに事を運べない。そもそも独裁を可能とするためには支持者が必要で、連中にとって不利益しかもたらさない存在であれば、自ずと排除されることになる。

それは特に権力の委譲時に問題として顕在化するみたいだな。取り巻きたちは先代にくっついていたおかげで得られた便益を手放さないし、政治闘争で恨みも買っているからだ。軍事評論家である小泉悠氏が日本証券経済研究所の講演(プーチン・ロシアの『2024年問題』〜独裁色強まる内政と板挟みの外交〜)で述べていたことでもあるが、独裁はやめようにもやめられない面がある。

そこまでは理解できるとして、なぜ侵略戦争に踏み切ってしまったのか?

前置きが長くなった。言い方は悪いが、所詮は新書だ。オレが本書に期待したことは壮大な社会実験となった「共産主義の失敗の顛末」ではなく、「ロシア中央政府は連邦を構成する諸国に対してどんなことをしてきたのか」の整理だ。

 ソヴェト連邦は、平等な共和国によって自発的に結成された連邦とされた。この原則はソ連の存在する期間を通じて公式には放棄されることはなく、一九三六年に採択されたソ連憲法にも、一九七七年に採択されたソ連憲法にも、共和国は連邦から離脱する権利を有することが明記されていた。一九七七年の憲法制定をめぐる全人民討議では、共和国と自治共和国を廃止するか、共和国の主権を制限し、連邦から脱退する権利を剥奪するよう求める提案もなされたが、「正しくない結論」として退けられたのである。
 しかし、こうした原則は、連邦の実態とは一致していなかった。すべての共和国において政治権力を独占していた共産党の組織は全連邦で単一とされ、各共和国の党は全連邦党の支部と位置づけられた。そして共産党は、「民主集中制」と呼ばれる組織原則(自由な議論は許されるが、上位機関の下した決定には下位機関は完全に従属するという原則)を有していたから、共和国の党は連邦の党に従属する存在であった。ここから、連邦と共和国の間にも支配と従属の関係が生じたのであり、「平等な共和国による連邦」は実質を伴わなかったのである。

松戸清裕『ソ連史』ちくま新書、pp.26-27

色々と論文を読んでみたところ、ウクライナの場合、独立以後、アメリカが民主化を積極的に援助し、NATOとEUへの加盟を推進してきたそうだ。 NATO加盟には全会一致の必要があり、ヨーロッパの一部(特にドイツとフランス)は渋っていたものの、「絶対に認めない」というほどではなかった。安全保障上、ウクライナがロシアに取り込まれるのは欧州としては困るが、別にその時点でのロシアは今のような侵略をしていなかったし、ウクライナの加盟を認めることでロシアとの関係をこじれさせたくなかった、というのが大きい。2008年のブカレスト宣言では将来の加盟を認めている。

それで肝心のウクライナがずっと意思決定をしてこられなかったみたいだな。2010年に発足したヤヌコヴィチ政権下では、2008年にロシア・グルジア戦争が勃発したことを受けて非同盟政策のための法案を作ったりしたそうで、それが原因で反政府デモが過熱化し、ヤヌコヴィチは失脚したのちにロシアに亡命した。

 第二次大戦後、ソ連が東方諸国を自国の勢力圏としようとした理由は、社会主義を輸出することよりも、緩衝地帯を確保することであったという指摘がある。ドイツの侵攻は悪夢としてソ連指導部の記憶に留まり続けたのであり、ドイツ以東に「友好国」を作り出すことをソ連は強く求めた。そしてまた、ソ連が東欧の勢力圏を求めたのは「西側」への不信感と警戒心からでもあり、一九四六年三月のチャーチルの「鉄のカーテン」演説から一九四七年三月のトルーマン・ドクトリンと同年六月のマーシャル・プランの発表、そして一九四九年の北大西洋条約機構(NATO)結成に至る「西側」の対応は、ソ連にとって不信と警戒の正しさを示すものとして受けとめられた。

同書、p.83

かつてクリミア危機を予言した国際政治学者のジョン・ジョゼフ・ミアシャイマーが少し前に批判を受けていた。「2008年のロシア・グルジア戦争の時点でロシアは自国の安全保障に本気であることが分かったのだから、欧米諸国のリベラルな価値観に基づいたNATO東方拡大策や東欧のミサイル防衛システムの建設計画へのロシアの抗議を無視してウクライナを取り込もうとすれば、必ずウクライナ危機をもたらす、そしてそれは結果的に中国を利することになる、米国は中国との衝突を避けるためにもロシアを敵に回すべきではない、ウクライナをNATOとロシアの間の緩衝材となるような中立国としての立場を堅持できるように支援しろ」という趣旨の主張をしてきたらしい。これが総スカンを食った。

上記はあくまでオフェンシブ・リアリズムに基づいた見解で、「欧米諸国が戦略的判断を誤った」という見方は確かにできる。しかし、それはニンゲンを昆虫のような存在として見なす政治的リアリズムにおいて可能なのであり、その観点から倫理的な責任を追及することはできないだろう。(昆虫に倫理を説いても仕方ねえよな。)ロシア側に侵略を踏み切らせるだけの直接的な何かを仕掛けていたなら話が違ってくるが。

しかし、それにしても、以下の記述からは現在の侵略戦争と変わらぬ態度が伺える。ニンゲンはつくづく度し難い生き物だぜ。

 スターリン批判は、ソ連の圧力を背景に社会主義陣営を形成し「小スターリン」的な指導者が統治していた東欧諸国にも大きな衝撃を与えた。一九五六年十月にはポーランドで親ソ政権を批判する集会が開かれ、暴動につながった。これを受けて、ソ連の指導部には行き過ぎと見える動きがポーランド政権内でも起こったため、ソ連の指導部はこれを放置できず、フルシチョフ自らポーランドへ乗り込んで、ソ連が許容できる範囲内で対応するよう強く求めた。
 ポーランドでは、国民の信望のあるゴムウカをトップに据えることで収拾が図られたが、やはり暴動が起こっていたハンガリーでは、政権が暴動を抑えきれず、ハンガリー駐留ソ連軍に出動を要請した。ソ連軍の出動後、ナジを首相とする新政権が発足して事態の収拾を目指したが、ソ連指導部は、ナジには混乱を抑えられないのではないかとの不信を強め、より大規模な介入の準備を始めた。これに対しナジは、ソ連軍の再度の介入を恐れてワルシャワ条約機構(後述。これに基づきソ連軍が駐留していた)からの脱退を宣言したため、ソ連は大規模な第二次介入に踏み切り、ナジ政権を打倒した。

同書、pp.106-107

ソ連と国境を接しているアフガニスタンでは一九七八年四月のクーデタで共産主義建設を目指すタラキ政権が発足し、ソ連はこれを社会主義革命と認めていた。ところが一九七九年九月にタラキが殺害され、アミンが政権を掌握した。ソ連は、アミンがアメリカ合衆国との関係改善を求めているとの情報から、新政権が合衆国に接近してアフガニスタンが合衆国の対ソ前線基地となることを警戒し、アミン政権転覆のため軍事介入したと言われる。これに加えて、合衆国がこの頃までにソ連への態度を硬化させていて遠からず緊張緩和路線を放棄するとの見通しや、社会主義革命が起きたと認めた国の政権が倒されたのをソ連が放置することは同盟国を動揺させるとの懸念にも基づいていたとの指摘もある。

同書、pp.172-173

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