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わからないことを考える(うつ療養記)
別にビールが飲みたいわけじゃない。
ビールを飲めば幸せを感じられるはずである。という脳の覚えがまだ書き換えられないだけだ。
飲んでいても以前みたいに誤魔化すことが出来なくなってきている。
飲んでいてもちゃんと、この先どうなるのか、どうなっていったら良いのか、考えているようで考えていない時間が続く。
ぷつんと道が切れているような映像が浮かぶ。その先は考えられないし、考えたいと見せかけて考えたくないのか、考えても分からないのか、考えようとしていないだけなのか、やっぱりわからない。
分からない。
でも、
分からない、ということを分かっているのは健全な気もする。
不確定なものを受け入れられないのは生きづらい。
精神疾患の嫌なところは、全治何か月なのかが分からないことだ。
いま、どこのステージにいるのか、グラフにしたらどんな上がり下がりをしているのか、自分も他人も、医者も分からないことだ。
だから常に、何かを考えなくてはいけない気がしているのに、何をいつからどのように考えたらよいのかわからない。
冷静に考えらられるようになるまで、休養に専念すれば良いのだろうけど、その事を素直に受け入れられる性格なら鬱にはなってないのでは?
不透明なことを考えずにはいられない。
というよりむしろ、わからないことをあれこれ考えることが好きなだけなのかもしれない。というか、そうなんだ。この時間が好きでやっているだけなのだと思う。
よくわからない、他人からしたらどうでも良いことを無駄に小難しく考えて、「あぁ今日も解明できなかった」と言って寝る。解けない謎を残しておきたいだけという説が濃厚になってきた。
今でこそ自分のそういう嗜好に気付けたから良いけど、つい1年前まではわからない事に混乱し続けて、他人や外部の情報に答えを求めていたから、周囲からしたらはた迷惑で、私にとっても全く楽しくない問題だった。
答えより解き方が大事、勉強ができることより勉強の仕方を覚える方が大事。正誤より捉え方が大事。私の人生で最も大きな問題の正解はわからないが、問題に対する捉え方、考え方、解き方をやっと、理解することが出来たのかなとも思う。