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ベートーヴェンを敬愛したリストの知られざる作品を聴いた
フランツ・リストはベートーヴェンを敬愛していた。
それはベートーヴェンが残した大きな実績である9つの交響曲を、ピアノで演奏するために編曲したことからもわかるのだが、それを凌ぐような大きな作品をリストは作っていた。
作品自体だけでなく、その作品の背景にあるストーリーも、リストのベートーヴェンへの思いが溢れるものである。
しかし、その作品はほとんど知られていない。
今回、その珍しい作品を聴いてみた。
リスト作曲
ボン・ベートーヴェン記念像除幕式のための祝典カンタータ
(ベートーヴェン・カンタータ)
ベートーヴェンの生まれ故郷「ボン」の面目
1827年、ベートーヴェンはウィーンで56年の生涯を終えた。
若きベートーヴェンは、ハイドンの弟子になるためにボンからウィーンへ旅立ったが、その後ボンに戻ることは無かった。
ウィーンで大活躍をしたベートーヴェンは、まるでウィーンの人間のようにも思える。
様々な音楽の師匠から音楽の知識を得て、革新的な作品を作り上げていったのは「音楽の都ウィーン」という環境の中で行われていたからである。
そして今なお永遠の眠りについている場所はウィーン中央墓地である。
1835年、ベートーヴェン生誕75周年となる1845年に向けてベートーヴェンの銅像を建てようという計画が立ち上がる。
その場所はウィーンではなく、ボンであった。
ウィーンでさえベートーヴェンの銅像はまだなかったのだが、それは、ベートーヴェンが生まれ、音楽の基礎を育んだ場所としてのボンの意地であったのかもしれない。
ベートーヴェン像を建てる計画がスタート
ベートーヴェン像を建てるための組織が作られ、資金を集める活動が始まった。
「ピアノの魔術師」として大人気のピアニストであったフランツ・リストも、ベートーヴェンの銅像を建てる活動に賛同した。
敬愛していたベートーヴェンの銅像を建てるとなれば、それは当然のことだろう。
大作曲家ベートーヴェンのためなら、と思う人は世に中にたくさんいるので、きっと資金も簡単に集まりそうだ。
しかし、なかなか資金が集まらなかったという。
このことを知ったリストは、自ら出演するチャリティコンサートを開催して資金集めに協力した。
それでも十分な資金が集まらないので、ついには自身のポケットマネーを「ポン」と出してしまったという。
その額は恐らく今でいう数千万円にあたると思われる。
さすが、リストは当時の大人気ピアニストであったことがわかる。
それだけではなく、リストは完成するベートーヴェン像の除幕式にあわせて開催される音楽祭のために、自ら作品を作ることになった。
それはピアノ作品ではなく、声楽を伴った大規模な管弦楽作品であった。
長い間忘れられていた作品
この作品、ほとんど演奏される機会はなく、CDやレコードとして出ている数も極めて少ない。
そのため、この作品の存在自体を知らないという方も多いはずだ。
大作曲家「リスト」が作曲した、大作曲家「ベートーヴェン」のための音楽なのに、である。
それはなぜか?
その作品は、ベートーヴェン像の除幕を記念する演奏会で、作曲者であるリスト自身の指揮で華々しく演奏されたのだが、「この式典のためだけに演奏される作品」という明確な目的があったからだろう。
つまり、演奏されてしまえば「お役御免」になるわけだ。
楽譜も初期の手書きのものしか残っていなかったらしいのだが、これらが再編されて演奏できる状態にまでになったのが1988年のこと。
140年以上も忘れられ、眠っていた幻の作品なのである。
リストの極めて初期の管弦楽作品
リストと言えば優れたピアニストであり、優れたピアノ作品の作曲家である。
後期になれば「交響詩」などの管弦楽作品も作曲するようになるのだが、ベートーヴェンの生誕75周年にあたる1845年以前、リストはまだ管弦楽を伴う作品はほとんど発表されていなかった。
それなのに突如、管弦楽に加えて声楽を伴う大規模な作品を作り上げた。
これは、リストが尊敬していたベートーヴェンの生誕75周年という記念の年を祝うこと、そして何と言ってもベートーヴェンの銅像が初めて建てられるという、これまた大規模な出来事にふさわしい作品にする必要があった。
それならピアノ作品だけでは足らない、もっともっとベートーヴェンを称えるような内容の作品にしなければならない。
そのためには編成が大きい管弦楽と、ベートーヴェンを称える詩を加える必要があると考えたはずである。
そういう思いが凝縮された作品であるといっても過言ではない。
ベートーヴェンへの敬愛が溢れた作品
「カンタータ」とは、イタリア語の「歌う(cantare)」からくるように、声楽を伴う作品である。
バッハが多く作品を残しているような教会で歌われるための性格もある。
そしてリストの時代には、何か大きな行事に際して、それ自体や、ゆかりのもの、人物を称える性格のものになっていた。
ベートーヴェンの銅像除幕式には「カンタータ」という形式がピッタリであった。
採用された詩(オスカー・ベルンハルト・ヴォルフによる)は、ベートーヴェンを天才として、英雄として称え、そして人類と神を結びつける存在としてまで高めている内容になっている。
音楽は、リストのではあるものの、やはりベートーヴェンに敬意を表してであろう、第4部にはベートーヴェンのピアノ三重奏曲「大公」の第3楽章の美しい旋律がうまく取り入れられていて、感動的な音楽になっている。
ベートーヴェンの交響曲の編曲だけでなく、ベートーヴェンへの敬愛を深く感じる素晴らしい作品によって、そして金銭面も含めてリストが多大なる協力をしたベートーヴェンの銅像は、直立して前をしっかり見据えた凛々しいで、今も建っている。
ところで、このベートーヴェンの銅像を建てるために協力した作曲家はリストだけでなく、シューマンもその名を連ねていた。彼も作品を作ったが、その後改定されて、現在では「幻想曲 ハ長調op.17」として残っている。
こちらには、ベートーヴェンの歌曲「遥かなる恋人に」の旋律が引用されている。
シューマンはライン川に投身自殺を図った後、療養所に収容され、そこで亡くなったが、その場所はベートーヴェンの生まれ故郷ボンであり、クララとともに今もボンの墓地で眠っている。
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S)ディアナ・ダムラウ T)イェルク・デュルミュラー B)ゲオルク・ツェッペンフェルト
合唱)ケルナー・カントライ
演奏)WDRカペラ・コロニエンシス
指揮)ブルーノ・ヴァイル
2000年10月4日 ボン・ベートーヴェンハレ(ライブ)
simonschmid614によるPixabayからの画像