見出し画像

演奏速度の問題が呼び起こした「あるある言いたい!」ベートーヴェン「第九」初演200周年(2024年)

少し前からだが、演奏会やCDの新譜で演奏されるクラシック音楽の速さは、ひと昔前に比べて速い。

そのような演奏が登場した当初は「おいおい、速すぎだろ!」という違和感があったのだが、ビートが効いた音楽(クラシック音楽ではほとんど使わない表現だが)はメリハリがあって、それが刺激的で、爽快感もあって、長い間聴きならしてきた音楽(それはクラシックと言われるような古く変わりない伝統を受け継いできた音楽)が、まるで活きが良い、ピチピチした魚が跳ね回るように生まれ変わったて聞こえたのである。

そもそも、音楽の速さ(テンポ)というものが決まったのは、あの三角形で振り子がカチカチ鳴るメトロノームが発明されたことにより速度指定ができるようになったからである。

それ以前は世界中の誰もが決められた同じテンポで演奏できるということは、たぶんなかっただろう。演奏者が作曲家の演奏また指示する音楽を聴いて、それを記録ではなく記憶で受けついできたものは別として。

今の様に速度指定が楽譜に無かったから、クラシック音楽は様々なテンポで演奏される。例えば、モーツァルトの楽譜には速度記号がないから「きっとこうだったんだろうな」という想像や、「これがちょうどいいや」という個人的解釈が中心で行われる。

だから聴くほうも聞き手によって「これは速すぎる」とか「ちょうどいい」とか「遅すぎる」とかが違って意見が分かれる。そんな様々な解釈があり、印象が異なるということがクラシック音楽の面白みの重要なポイントだ。

その後、研究なども進んで速度記号は無いがこのテンポだった可能性が高い、ということがわかってきたりするのだが、そのほとんどがひと昔前に比べて速くなっているようだ。それが、「演奏会やCDの新譜で演奏されるクラシック音楽の速さは、ひと昔前に比べて速い」ということになっている。

テンポを決めるきっかけになった「メトロノーム」はベートーヴェンの時代にヨハン・ネポムク・メルツェルが特許を取り、世に広まった。

メルツェルはの友人でもあったベートーヴェンは、すでに作曲し終えた交響曲に対しても「メトロノーム」による速度を指定した。これにより、作曲者自身が望むテンポで、だれでも演奏することができるようになった、はずである。

しかし、どうもおかしいのである。「第九」に指定されたテンポは速すぎるのである。

「ベートーヴェンが、もしくは自筆譜を書き写す楽譜屋がテンポを書き間違えたのだろう」
「全然ロマンティックじゃないし、ただでさえ演奏が難しいのにこんな速さでは演奏ができない」

後世の指揮者たちはベートーヴェンが決めたテンポを無視した。ひと昔前まで演奏されていた「第九」。人類皆兄弟と高らかに歌い上げる「歓喜に寄す」はゆったりと雄大に高らかに歌い上げられるのがいい。

しかし、やっぱり出てくるのである。
「いや、ちゃんとベートーヴェンが指示した通りに演奏すべきでしょ」という人物が。

指揮者ベンジャミン・ザンダーは、ベートーヴェンの残したテンポを研究し、その指示通りに演奏したひとりである。

今回きいたのはそのテンポで録音されたCDであるが、果たしてその演奏は・・・・

ベートーヴェン/交響曲 第9番 ニ短調 op.125
指揮:ベンジャミン・ザンダー
S)ドミニク・ラベル Ms)ダンナ・フォルトゥナート
T)ブラッド・クレスウェル Br)デヴィッド・アーノルド
合唱)プロムジカ合唱団
演奏)ボストン・フィルハーモニック・オーケストラ

第1楽章の出だしから、もう忙しいほど速い。
あのモヤモヤした雰囲気の中から徐々に出てくる激しい音楽は何か強く訴えかけるものがある。
「私は皆に訴えたいことがあるのだ。だから最後まで心してじっくりと聞くように!」
とベートーヴェンが言っているようにわたしには聞こえる。

しかし、ベートーヴェンが指定したテンポで演奏されると物凄く速い。

これではまるで
「あるある言いたい!早く言いたい!」
と言っているような感じだ。

元々テンポが速い第2楽章はちょっと速いかな、という位なので飛ばすが。

その次は穏やかで心安らぐような第3楽章だ。
そんな心地よさのため、コンサートで聴いていると猛烈な睡魔が襲ってくるわけだが、いつもは約15分のおやすみタイムが、この演奏では約10分に短縮される。

つまり
「あるある言いたい!早く言いたい!」
が気になってしまっては、おやすみタイムにはならない。

そして、ついにあの第4楽章が始まる。「え、もう第4楽章なの?」と感じるほどだ。

当然ながら聴いたことが無いスピードで開始される音楽。指揮者や演奏者が狂ってしまったのかというほど恐ろしく、そして、こんな速さでよく演奏できるな、というように笑ってしまう。

ずっと我慢してきた「あるある言いたい!早く言いたい!」がもう少しで明らかになるようのか。

「バリトン・ソロ」を皮切りに声楽による「歓喜に寄す」が歌われる。

歓喜なのか狂乱なのか怒涛のスピードで進む合唱の末、「第九」が終わる。歌っていなくても体力が消耗されるようだ。

「あるある言いたい!早く言いたい!」で言いたかったのは「歓喜に寄す」の歌だったということか?
(まったく「あるある」になっていないが)

速い演奏は。ビートが効いて、メリハリがあって、それが刺激的で、爽快感があって。

しかしそれとは少し異次元の世界にあるようなこの演奏はまだ違和感を覚えるが、聴き続けるとそのうち理解できてくるかもしれない。そして、テンポというものは何なんだろうと考えさせられるきっかけにもなった。

ベートーヴェンがテンポ指示を間違えたのかどうか、それは今や明確にできないだろう。しかし、「第九」自体が破天荒な音楽である。そう考えれば、尋常ではない速いスピードで演奏されることをベートーヴェンは考えていた、としてもおかしくないのではないか。

早い乗り物と言えば馬しかない時代。現代に比べればまだまだのんびりとした時代。

「友よ、こんな音楽ではなく、もっと心地よい音楽を歌おう」
とシラーの詩にベートーヴェンが付け加えたメッセージ。

「友よ、こんなゆっくりした音楽ではなく、もっとスピードがあって刺激的で心地よい音楽を歌おう」

とベートーヴェンは現代並みのスピードを求めていたのだろうか。

最近の速いテンポの演奏、これは時代背景も影響しているかもしれない。

社会全体のテンポが速く、スピードアップ、生産性、効率化が重要であるし、映像は1.5倍速で視聴され、配達は翌日配送確約になっている。

タイパという言葉は、流行り言葉ではなく当たり前になっている。

「あるある言いたい!早く言いたい!」

これはレイザーラモンRGの長きにわたる鉄板ネタ。
ここでは速いスピードを形容するように使ってしまったが、音楽に乗せて「早く言いたい!」と言っておきながらずっと言わず「はよ言えや!」と周りに言われながら時間をかけて溜めて焦らす。
ようやく曲の最後にオチが出てくるという、スピードとかタイパを求める今の時代には即さない、逆のネタなのである。

それに大きく共感しながら、雄大に「歓喜に寄す」が高らかに歌い上げられる「第九」だけでなく、他の曲も昔の演奏を引っ張り出してきて「ほんと、遅いなぁ」とつぶやきながらも、じっくりとクラシック音楽を聴いてみたいと思う今日この頃である。

*********************

残念ながら今回聴いたCDは廃盤のようだが、2018年にフィルハーモニア管弦楽団を指揮した演奏が以下で聴ける。

ベンジャミン・ザンダーがTEDに出演したプレゼンテーションも必見。面白く、少しホロリとします。


いいなと思ったら応援しよう!