ティーンエイジャーだった私の拠り所となってくれた、ART-SCHOOLの音楽
ART-SCHOOL TOUR 2024『Today Forever』
@YEBISU YA PRO
6月22日の土曜日、午前中で仕事を終わらせ、土砂降りの雨の中、日本海側から岡山市街まで、車を走らせた。車内のBGMは、ART-SCHOOL、ではなく、数日前から観始めた、『ぺえちゃんねる』をきっかけで聴き始めた、ちゃんみな。
この後ライブだというのに、なぜか、聴けなかった。
久しぶりに腰を据えて聴くことに、少しの不安があったのかもしれない。
最もART-SCHOOLを聴いていた頃
私が最もARTを聴いていたのは、14歳の中学2年生から、大学中退する頃。
所謂、ティーンエイジャーという世代だ。
30年の人生の中で、1番、苦しかった。普通になれないことを恥じていた。家族の問題、友人関係の問題、自身への問題。どこからこの虚しさは湧いてくるんだというくらい、胸を掻きむしりたくなるような寂しさ。
周りに馴染もうと必死にクールなフリをしながら、
(誰か、誰でもいいから、抱きしめてほしい)
と願っていた。空っぽな自分にも、人生にも絶望していた頃だ。
離れた期間
それから、ひきこもり、その他症状からも、いくつかのサポートを受け何とか立ち直り、亀の速度ながらも自立も果たし、夫と出逢い、結婚をした。
遅ればせながらも、『普通の大人』になれたような気がしてほっとした。少しだけ、劣等感が和らいだ。好きな分野だけど、夢中になれるわけでもなく、お金のためにと続けている仕事をして、優しくて、愛情を示してくれる夫と穏やかな日々を送るうち、気が付けばARTを聴かなくなっていた。
一時期、音楽を全く聴かなかった時期があったこともあるが、ARTを聴くと、その当時の苦しみや虚しさが蘇ってくるような気がしたし、20代半ばを過ぎた頃、久しぶりにYOUTUBEで聴いた時、楽曲の中に存在する痛々しさが、若さゆえの、自分の中では過ぎ去ったもののように感じ、今の自分に馴染まないと思ったからだ。
青春と呼ばれる時代に、1番愛し、1番聴いていた拠り所のような音楽から、私は卒業するんだな、と思い、1つの季節が終わりを迎える時のように、寂しく感じたのを覚えている。
もう聴かないかもしれないけれど、ずっとずっと大切だと、その時も思った。
ライブに出かけ、再び聴き始めたきっかけ
じゃあ今になって、なぜ、車で3時間かけてライブを観に行ったのか。
ちょうど4月、『家主』の音がどうしても生で聴きたくて、大阪へ1泊2日の小旅行をした。1人で。単独で遠出をするなんて、(勝手に)罪悪感があったが、行きたい気持ちが勝り相談したところ、夫も、「いいんじゃない」と快く送り出してくれた。
自分なりに勇気を出して出かけたライブは、最高の最高の最高だった。ルーティーンになった日常に、その日1日、鮮やかな色が差したようだった。浮かれてホテルで1人打ち上げをした。
ライブの翌日、Googleマップで出てきた、雰囲気に惹かれたカフェに並んでいる時、聞こえてきた店内のBGMが、とても聴き覚えのあるものだった。
………、思い出した、The Cureだ。
そして、滅多に洋楽を聴かない私がなぜ、Cureを知り、愛して聴いていたかというと…、
それは、ART-SCHOOLの影響だった。
ART-SCHOOLの木下さんが(愛を込めて、リッキーと書かせて下さい)雑誌か何らかの媒体のインタビューで、Cureの名前が出たのだと思う。当時は、好きなアーティストの好きだと公言しているアーティストの曲を追って、レンタルショップでCDを借りたり、まだマイナーな存在だったYOUTUBEで聴いたりした。自分だけの宝物が増えていくような感覚、同級生への一種の優越感もあり、嬉しかったのを覚えている。
『Just Like Heaven』。
視界がパッと明るくなって、体が反応した。Apple MusicですぐにCureを調べ、聴き、その後ART-SCHOOLを久しぶりに聴いた。『BABY ACID BABY』のアルバムだったかな。20代半ばに聴いた時とは、また感触が違っていて、今度は自分にすんなり馴染んだ気がした。時々、苦しかった時のことを思い出したけれど、20代半ばの時よりも、苦しくて黒歴史のように思っていた過去の自分のことも、少し愛おしく思えていたからかもしれない。帰りの高速バスの中で、ARTを聴きながら帰った。緩やかな幸福感があり、不思議な気持ちだった。
大阪に行ったことで、県外にライブに出かけるハードルが下がり、ARTのホームページを見ると、ギターの戸高さん(愛を込めて、トディと書かせて下さい)のART加入20周年を祝うライブツアーが組まれていることを知り、すぐに応募した。
ホームページで、ライブ開催へ込めたリッキーとトディのコメントを読んで、目の奥がギュ、とした。
無事当選し、ライブの日が近づくにつれて、本当に行くのだろうか、と思った。楽しみなんだけれど、なぜかライブの日当日になっても、ほとんどARTの曲を聴けなかった。無意識的に、過去の自分の感覚に戻ってしまうような気がして、怖かったのかもしれない。当日は、仕事を定時で終え、ともかく車を走らせた。岡山に近づくにつれ、雨は強くなっていき視界も悪かった。私は、ART-SCHOOLのライブの日らしいと思ってしまった。初めて行ったARTのライブも、土砂降りの雨で、Tシャツがずぶ濡れになったことを思い出した。
ART-SCHOOL TOUR 2024『Today Forever』
@YEBISU YA PRO
YEBISU YA PRO。
17:00。会場に着くと、ちょうど開場したところで、自分の整理番号がすでに呼ばれた後だった。慌てて中に入った。久しぶりのライブハウス、飲み物の受け渡しなど1人まごつきながら、演奏が始まるまでの時間、内心そわそわしながら待った。
隣には、高校生くらいだろうか、ステージをじっと見つめていた女の子が印象的だった。
17:30。ステージが暗くなり、ライブが開演した。
『サッドマシーン』。
1曲目を聴いた瞬間、私の中に、予想だにしない、さまざまな感情が駆け巡った。なんだろう?懐かしい、ではない。ステージの真ん中で歌うリッキーの姿を見て、目の奥から熱い涙がじわりと滲んだ。胸に込み上げる想いがあった。
(ああ、この人は留まり続けているんだ。過去の私のような、ティーンエイジャーの子たちの拠り所となるために)という想い。もう1つは、感謝だった。
人生の2番目か3番目くらいのどん底にいた時、ART-SCHOOLに出逢い、間違いなく、人生で1番聴いた。イヤホンをして、家でも出先でも、爆音で聴いた。(音漏れがすごかったかもしれない)聴いていても、生きることに対しては、苦しいままだった。
だけど、ART-SCHOOLの作り出す音楽に、自分が感じていた生きにくさ、虚しさ、寂しさが、美しさを持って映し出されているように感じた。そばにいてくれた。拠り所となってくれた。それは結局、救われたと同じことだった。
ART-SCHOOLの音楽は、いつも、私のそばにいて、拠り所となってくれたから、人生で最も困難だった10代を生き延びることができたと本気で思っている。そんな感謝の想いが溢れて、ここに来られてよかった、と心の底から思った。
1曲1曲の終わりに、リッキーが客席に向かって「ありがとう」と伝えてくれるのが、とても印象的だった。ほぼ、全ての曲だったと思う。今まで、私が行ったライブや観た動画でのARTのライブの、ひんやりと張り詰めた空気イメージとは変化していた。
MCで、トディが、
「リッキーは、楽しくなってくると声がよく出るようになる、って発見したから、つい、楽しくしようとしちゃう」
というようなことを話していたり、リッキーが一言二言話して、しん、と静かな間が生まれた時、
トディ「僕たち、MC、下手なんですよ」「(リッキーを指して)感情表現が苦手なんです」
リッキー「…そうかなあ?」トディ「いや!!絶対そうでしょ」
と笑ってやり取りをしているのを見て、メンバー間の信頼関係も見えて、何だか無性に嬉しかった。私の中のART-SCHOOLは、美しく、悲しく、それゆえに現実離れしているイメージがあったが、そのやりとりを見て、同じ時間を生きている、生身の人なんだと思った。(これは、私が好きなアーティストをどこか神格化してしまって、忘れてしまっている、というだけのことだと思うが)
大好きな『Flowers』が聴けて嬉しかった。『real love/slow down』がこんなにもライブ化けする曲だとは知らなかった。『ロリータキルズミー』は、ART-SCHOOLが唯一無二の存在だと言わしめる曲だと思った。詳しいセットリストは、他の方が書かれた記事を読んで頂けたらと思う。
ここにこられて、本当に良かった
ライブ後、物販でToday ForeverツアーのTシャツを買い、興奮冷めやらぬまま、車の中ですぐに着替えた。そして、ついにサブスク配信が解禁となった、『Requiem for Innocence』をすぐさまライブラリに入れた。1曲目『BOY MEET GARL』のイントロのギターリフを聴いた時の心の高揚感は、ここ2・3年、感じたことのないものだった。最高だ、最高だ、最高だった………。1人何度も呟いていた。
出発から帰宅まで、何度も何度も繰り返し聴いた。そしてライブを終えた今も、自分の中のメインアルバムの1つとなっている。 聴かなかった期間にリリースされた楽曲も、少しずつ、少しずつ、自分に慣らしながら聴いている。
20代半ば、私はもう、ARTを聴けないかもしれない、と思い、悲しかった。自分が成長したのだ、と思うことにした。だけど、30歳になった今、私は再び、ART-SCHOOLを聴いている。10代の頃の苦しさ、虚しさを懐かしく思う反面、それらはずっと私の中にあり、根底にある【生きにくさ】は今も持ち続けているから、こんなにも、ART-SCHOOLの音楽が私の中に浸透するのだと思った。
誰といても、どこにいても、どれだけ人に恵まれていると感じても、幸せを感じる瞬間が増えたとしても。心の奥底には、静かな湖の水面を、1人、ただただ見つめているような、それは【孤独】かもしれない。【得られなかったと感じる愛情】かもしれない。その欠落した部分、心象風景は、多分死ぬまでずっと、全てではなくとも、心の中に在り続けるのだと思った。
八木仁平さん主催の『自己理解プログラム』を受講し、自分も含め、現代に生きる人たちが抱えている生きにくさに対し、マインドフルネスや思考の観点からアプローチすることで、自分らしく、自分だけの人生を生きられるようになるサポートを、人生をかけてやっていくと決め、今、学びを深めている。私も、自分の生きにくさに向き合っていく覚悟ができたのだ。それから、ART-SCHOOLの音楽を求め、聴いた。楽曲の中に、希望や水面がキラキラときらめくような、輝きを感じながら。
『子供たちのシェルターになるような音楽をやりたい』インタビュー記事を読んだのは、ライブの後だけれど、まさしく、ライブで見たリッキーの姿から感じたことだった。そして、恐れ多いとは思いつつ、私も、生きにくさを抱える、まだ見ぬ誰かの役に立っていく、という志として、繋がりを感じた。
愛おしさと感謝をかかえて
人生で1番、苦しくて、消えたくて、もがいて、孤独を感じていた10代。
1番、そばにいてくれて、拠り所となってくれた愛おしい音楽の存在は、私が人生で得た素晴らしいものの中で、自分を形作るど真ん中にあるものだ。感謝しかない。大人になって、ある程度、自由にお金を使えるようになった。なるべくCDを買い、ライブに足を運びたい。微々たるものだけれど応援したいし、自分もリッキーの姿や、ARTの音楽に心震わせていたい。
これからも、ART-SCHOOLの音楽と共にありたい。今は、とにかくそんな思いです。