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私を受け止める
1、思考の使い方の気づき
下書きで止まってしまっていただけれど、自分のメモ書きを見たら、
その時の気持ち、情景が浮かんできました。
自分の心と頭の間で巻き起こっていることに、今日は気づいて見つめてみました。
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心で浮かんだことは、言葉で浮かぶことよりも、イメージや景色で出てくる方が多い
です。これは多分、私の傾向。
心に浮かんだことを、心に広げて感じる暇もなく、私の頭の中に
『言葉』が追いかけてくるような感覚です。
(音楽、がずっとなっていることもある)
その言葉は、思考(〜と感じるべき、〜するべき、〜思うべき)に
改竄されているような気がします。
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思い通りに、思考が心をコントロールしたいのかな?
圧というか、チェック体制がすごい(笑)
自分の不快な感覚の大きなところの1つです。
ふと思い浮かぶ光景がいくつかあります。
お母さんは私のことよりもお兄ちゃんのことが好きなんだ、と信じていた時、
あまりに苦しくて、その証拠(のようなもの)を見つけるたびに、苦しくて、
押し潰されそうで。
悲しい出来事があって、でもそれを、お父さんお母さんに言えなくて、
何年も1人で抱え込んでいた時、
苦しくて苦しくて、苦しすぎて、いつしか心のままに感じることを止めたのかも
しれません。
頭で考えて、なんとかその苦しみを真正面から受け止めないように、
苦しさを紛らわせるために、考えて、考えて、考えていたのかもしれません。
感じたままだと、心が壊れてしまうから。
そう思うと、私の思考は、私のことを守ってくれたようにも思います。
(思考って、ついつい敵視してしまうんだけれど)
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気づくと、一旦立ち止まれます。
まずは『気づく』ことが大事だなあ、と思います。
『またやっちゃった』と失敗と思うのではなく、
『悪いこと』と責めるのでもなく、ただ、そういう状態なんだなあ、と眺める。
私の理想は、『心』が先で、『ありのままの私の心が感じたピュアな思い』を、
受け止めて、大切に感じて、その上で、たとえばやりたいことであれば、
(お花を飾りたいとか、寝っ転がりたいとか)
きびきび、キチキチ、(今じゃなくない?)(効率悪くない?)とか、
思考でジャッジしないで、
叶えてあげる方法を考えるのに、今まで育て上げてきた?発達してきた?(笑)
思考を存分に使ってあげたいな。
そんなことをふと思いました。