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みんなサイヤ人じゃん、って思ってた。
とある投稿をみて、「わーすごい人だな~」と思った。
でも同時に、「すごい人だから私とは違う世界の人だな。」
っと思って線引きしていていることに気づいた。
尊敬はしつつ、自分はそちらにいけないと思っているし、
行こうとしてなかった気がする。
別世界。別人種。才能のある人。
「みんな同じ人間だから」というけれど、
レベルが離れてるとなかなかそうは思えないことのほうが多い。
戦闘力違いすぎて、みんなサイヤ人なんじゃないかと思うときもある。
私もサイヤ人になるには、
アレもコレもできるようになって、それであのスキルも必要で…
と頭の中で算段が始まって、余りにも果てしない道のりに感じて
それだけで、早くも疲れる。サイヤ人てすごいな~~って。
(自分のこと書いたけど、何もしてないのに疲れてて面白いw)
わたしがサイヤ人になるには、
何かを変える一歩を踏み出さなきゃいけない。
「わたしは!!!これから!!!頑張るんだ!!成し遂げるんだ!!厳しい戦いにも打ち勝つ!!!!!」
みたいな気持ちで踏み出さなきゃいけないと思っていた。
だから周りのすごい人たちのことが
「戦いを勝ち抜いた猛者(サイヤ人)」に見えていて。
だから、一歩の気持ちも重たかった。
まず私は厳しい戦いに行きたくないし。
誰に勝つとか負けるとかも疲れちゃうから嫌だし。
でも、私に見えてる猛者たちは多分全然そんな気持ちで始めたんじゃなくて
「楽しくできることから始めたらこうなってました。」っていう感じが多い。
…そんな無邪気な子供みたいな感じなんだ??
もし、「打ち勝つぜ!!!成し遂げる!!!!」気持ちで一歩踏み出すと、
そういう物事ばっかり目について、そういう方ばっかり選んじゃって
結果的に戦闘狂みたいに戦う日常になってしまうらしい。
話を戻すと、自分から「すごい人」へ境界線を引いてしまうけど
「すごい」は結果でしかなくて最初からそこをゴールにしてた人は少ない
境界線から一歩踏み出すことに勇気はあんまりいらない
楽しそう~~の気持ちで、勇気がいらないことから始めればいい
「困難にも打ち勝つぜ!!!戦うぜ!!!!」みたいな気持ちで鼻息荒くして一歩を踏み出さない
みたいな感じかな。
彼らはサイヤ人じゃなくて無邪気な子供なんだ、、、
でも子供って、
吸収力スポンジ並だし
楽しいと思ったら永遠に遊んでるし
時折みせる集中力はとんでもないから
実際無敵ですよね。
よく「自分が得意なこと」とか「人は苦手だけど自分が苦じゃないこと」
っていうワークがあるけど、こういう事なんだなと一人納得しました。
私が目指すべきはサイヤ人じゃなくて無邪気な子供。