元カレseason1との軌跡をゲームと共に語りたい。
大学1回生から3回生の夏まで元カレseason1(以下、K先輩)とのお付き合いは続いた。振り返ってみると短い、たった2年間しか付き合っていない。
しかも3つの県を電車で乗り継いで行かないと辿り着けない距離の遠距離恋愛。せめて声でも聞きたいしと当時流行っていたウィルコムを契約した。あの時代、カップルでウィルコムを持つ人は多かったと思う。あとはお互いにパソコンが使えたのでSkypeを利用していた。
月に1度泊りで会いに行く。K先輩が土日が休みの仕事だったため金曜日の終電であっちの家に向かった。K先輩が夕食を作ってくれる間、相変わらずの散らかり放題の家の寝る場所と明らかなゴミを集めて掃除するのがいつものパターンだった。K先輩の作る料理は今でも覚えているが、本当に美味しかった。1人暮らし歴も長いためパスタ料理なんかは本物のイタリアンの店で食べているかのようだった。
カルボナーラが絶品でいつもそれをリクエストしていた。あのレシピを聞いたが私が作ると、どうしても卵がぼそぼそになりまずいカルボナーラが仕上がる。卵入れたら火を止めるだけでとろりとすると、教えてもらっても火を消しても卵がボソボソになる。私はカルボナーラが作れない。もうレトルトパウチのソースをかける方が美味しいことに気が付いてからは卵と牛乳、火加減を気にするのを止めた。
会社の社宅のアパートだったがかなり広かった。お風呂も足がのばせるし、テレビもついていた。新しい建物で設備がかなり充実していた。一緒にお風呂に入って取り留めない話をして、お風呂上りは溜まっている洗濯物を洗い、浴室乾燥機で乾かした。Yシャツに軽くアイロンをかけて干しておくだけで翌朝にはかなりの数のストックが出来た。
アパートの隣にはレトロな純喫茶店があり、たまに朝ごはんを一緒に食べに行った。こじゃれていて卵サンドの卵がパンよりも分厚かった。水出しコーヒーが名物でいつも飲んだ。紙パックで売られていて何本かいつも買って帰っていた。
実家で家族に勝手に飲まないでと張り紙をしているにも関わらず、減っている時には犯人捜しをした。実家の女性陣はみんなコーヒー好きで盗んでまでも飲みたいタイプだ。大体母が飲んでいて「怒らないでよ、倍買ってきてよ」とお金を渡された。「…重いんだよ」とため息が出たが若さでカバーして6本買って帰るようになった。それを飲んでいる間はK先輩と一緒にいる気がした。完全にイカレた恋愛脳になっていた。
電車の乗り換えが何本もあり、当時iPhone4Sに乗換案内のアプリを入れてかなり便利になったが切符を買うのが面倒でICOCAを買った。
金曜の夜に合流しても時々、土曜日が研修だったり、棚卸しで出勤になる時もあった。
でもオフの日も限られるのでいつも通り金曜日の夜に行く。
土曜日には家事や掃除を片付けて買い物に行き晩御飯を作ってからは楽しくゲームをしていた。通い妻のような、友達の家に来てハウスキーパーをした報酬にゲームをしているような感じだった。
当時流行っていたPS3のFF10のレベル上げをしていた。ストーリーは進めずにひたすらレベルを上げる育て屋を請け負っていた。防具を強化するための素材や必要なアイテムを代わりに集める。今思うとなぜあんなことしたのかと呆れる。恋は人を変える。そんな風に時間を過ごし、彼の帰りを待った。スーツにネクタイのK先輩が帰ってくると嬉しかった。
私はもともとPS2のモンスタファーム2にドハマりしたという話を彼にすると、じゃぁやろうよ。とゲーム機を引っ張り出してきて(いや、持ってたんかい)モンスターを生成するCDはトラック数で決まっている情報が出回っていた。レトロゲームを彼と一緒に日本酒やワインを飲みながらベロンベロンになるまで遊んだ。2人でモッチーのレアのヨイドレを育てた。
ケラケラと笑いモンスターが二重に見えるくらい酔ったくらいで、狭いベッドで一緒に磁石みたいにくっついて眠った、眠りに落ちる直前にヨイドレは私たちだなとぼんやり思う。普段の忙しい練習や講義、バイトの疲れが取れる週末が有難かった。あとどれだけ飲んでも二日酔いにならなかったのは若さの力だ。
社会人1年目の彼は休みの日に課題を持って帰ってくることが多く、珍しい疾患についても知識を更新するために職場から参考書を持って帰ってくることが多かった。
そんな時は、アパートでゲームをするのは忍びなくて、彼の自転車を借りて高すぎるサドルを下げてから近くの有名な神社やお寺を回った。御朱印帳が流行りだした頃で私も集めていた。
本当は一緒に行きたかったけれど、邪魔になってはいけない。こうして観光地を1人で回れるのも新鮮だし、かけがえのない体験だった。
職場の忘年会の日と私が来る日が重なった時に、いつも以上にベロンベロンになった彼が帰宅した。人間どれだけ酔っていても住所は言えて帰巣本能があって家には帰れる。あの日は職場の先輩が送り届けてくれて「ごめんね、職場のおねーさんたちが揃って飲んべぇで…コールが止まらなくって。彼女さんまだ未成年だよね?酔っ払いの扱い方分かる?コイツ預けても大丈夫かな?」と申し訳なさそうにしていた。なんか困ったら電話してと電話番号を交換する。
自力で歩行することも危うい感じで帰ってきてすぐトイレの前で「あぁ…ヴぁfぶぇでろkんがlぴゃっ…」と意味不明な発言をしていて本気で心配だった。とりあえず吐き気があるようで水を渡して、背中をさすり飲めるだけ飲ませて吐かせることにした。やり方をネットで調べて「…指噛まないでよ?」と言って綺麗に手を洗ってから喉の奥を刺激すると、とにかく酒しか出てこなかった。昔はこんな飲み会ばかりだった。今は嗜む程度の飲み方を覚えたのだろうか。心配になる。
実兄も忘年会シーズンの週末の度に、こんな状態で家の前でタクシーから降りて門扉から玄関の間で寝ていたことがある。少し意識を取り戻してから「大好きだよ~、産まれた時から大事な妹だよ~」とご近所中に響き渡るような声ですり寄ってくる。「やめてよ!はよ家ん中入りんさい!」と制止する。
シスコン気味なのは今も変わらない。実兄は現在、結婚した当初、変な酔い方をして帰宅し、普段温厚で滅多なことでは怒らない義姉に1度激怒されて以来外では飲まないようになった。どっちの家でも酔っ払いの介抱には慣れていた。
どちらも次の日の朝まで横を向かせて寝かせて、私は寝れない。万が一吐いたもので窒息して死なれたら怖いと思っていた。水と洗面器を横に置きながら、本でも読んで自然に酒が抜けるのを待つ。
他の大学だが飲みサーで酔いつぶれた人を放置して寝かせていたら翌朝冷たくなっていたという悲しいニュースは今でも時々ある。酔っ払いは1人にしちゃいけない。飲ませるならこれだけは守って欲しい。
私自身は、いくら飲んでも吐かないし奇行もしてないつもりだ。
せいぜいコンビニで各種エロ本を購入したくらいだ。その時は風景がチカチカして見えて、歩いていると視界がぐにゃりぐにゃりとしていた。まっすぐは歩けていなかったと思う。
一度だけ記憶を失くしたことがある。season1と別れたその日、season2が始まる日にヤケ酒をした日だ。
別れた理由が理由だったので、実家にはどうしてもいたくなくて、同期の1人暮らしの男の家で宅飲みに付き合ってもらった。大学近くの御用達の酒屋で、ロックアイスにウィスキー、日本酒の一升瓶に芋焼酎に栗焼酎、箸休めにチューハイにワイン。ガチャ~ンガチャ~ンとありったけの酒をツマミを抱えて、アポなし訪問した。そして2人でチャンポン飲みをした。これはまた次に書きたい。本当に人として終わってる酔い方をしていた。
アパートの忘年会の話に戻る。
次の日の朝、拭き取れる範囲でゲロ汚れを取ったスーツをクリーニングに持っていく。クリーニング屋は感染症対策のため、嘔吐物が付いているものは引き取ってくれないことが多い。「酒のせいのアレなんで」と店員さんに説明して、帰り道に私の朝ごはんとインスタントだがシジミの味噌汁を購入し帰宅すると、彼も起きていた。「ごめん…ほんっまにごめん」記憶はしっかり残っていたようだ。来年は気をつけようねといってシジミ汁にお湯を注ぐ?と聞くと縦に頷いた。
その次に会う時に、お詫びに近所の焼肉に連れて行ってくれた。カルビや塩タンを思う存分味わう。お肉最高。今みたいにLDLコレステロール値なんて気にならないし、無限に食べても胃がもたれないし、普段食べられないご馳走とビールに歓喜だった。のどごし最高。
そう、私もハタチを過ぎる誕生日を迎えて、晴れて外でお酒が飲めるようになった。その席で彼が「俺、りょうと結婚したい。俺の実家に挨拶一緒に行こう。」そう言って指輪を差し出してくれた。
突然のプロポーズに驚いてしまった。人生って何が起こるか分からないなとつくづく思った、左手の薬指に収まったそれをつけてニヤニヤしながら指を空にかざす。でもそれをつけていられる期間は短かった。彼のアパートに帰り、実家に挨拶へ行く日程を決めた。色々あって来月になった。
彼の実家は彼が当時住んでいた県から2つ離れた場所にあり、車で4時間程度かかる距離だった。家業として一家全員で農家を営んでおり将来的には私もそこで働くことになると思うとワクワクした。農家の嫁は大変なことも分かる、彼の実家は控えめに言って豪邸で3世代が住み、離れや蔵もある造りだった。
こんなでっけぇ立派な家で産まれ育ったのかとしみじみ思い、駐車場に車を止めると彼の母親が家から出てきた。私のことを上から下まで品定めをするようにジロジロ見てきた、お互い挨拶する。地元の名産品の焼き菓子を、ちゃんと紙袋から出して「お口にあうと嬉しいです」と差し出す。「ありがとねぇ、とりあえず仏壇にお供えしましょうか。」さぁ入って入ってと彼のご実家へお邪魔した。
夕食まで近所や作業場の見学をさせてもらった。
そしていよいよ時は来た、夕食時に家族全員が集まってる中、彼が「俺、彼女と結婚しようと思ってる。出来るだけ早く。」そう言って彼の父親の表情が一変する。箸を置き神妙な顔つきで「もしかして赤ちゃんが…出来たんか?」そう考えるのが普通だろう。だが妊娠はしていない。彼が違うと答えると空気が緩むのが分かった。
そしてこう続けた「転勤の内示が出てる、今度は飛行機でしか会えない距離になる。いつこっちに帰って来れるか分からない。だから連れて行きたい。」
彼の母親は「彼女、大学はどうするの?まだ2年ちょっと残ってるじゃない」全うな意見だと思ったが、「彼と一緒になれるなら辞めてもいいと思っています。まだ親には言っていませんが自由にさせてくれると思います。働き口は選ばなければいくらでもありますし金銭面で彼にだけ負担をかけさせるつもりはないつもりです。」と私が答えた。
彼と一緒ならどこででも生きていけると思った。どんな困難だって乗り越えられる気もした。辛い仕事しかなくても大学を中退しても仮に実家に縁を切られるような駆け落ちのような結婚でもいいとすら思えた。
惰性で始まったいい加減な恋じゃない。少し早いかもしれないけれど結婚生活を始めたいと本気で思っていた。
彼の母親が「…親は自由にさせてくれると思うって言うけどどんな人なの?普通許してくれないと思うわ。」表情は険しかった。
私が「私にはあまり興味がない人たちなんです、正直、いい育ちではないし家族とはあまりいい思い出がありません。血縁に精神を病んだ人がいてその人のせいで大変な時期があったので…家庭らしい温かさを知りません。でも今は寛解してますから平和って言えば平和です。それに彼となら健全な家庭が築けそうな気がしています」と笑いながら答えた。
正直早く実家を出たいとすら思っていた。今だからこそ言えるが、就職してから実家(両親)のことを煩わしく思い、何年か連絡も取らず電話にも出ず、Lineはブロックしていた時期がある、心配した両親はアパートに来ることはなかったがその代わりに警察に連絡して孤独死してないか確認してきた。警察官の方にはお詫びで頭を下げて、怒りの電話を実家の家電にかけた「車で3時間の距離ですらめんどくさがるなら心配なんかして欲しくない、話したいことなんか1つもない、2度と関わらんとって欲しい」と怒鳴って切った。子どもの頃から受けた教育や言動に対してうちは毒親とすら思っていた。それを受け入れるまでは時間がかかった。
彼の実家での食事が終わるまで彼の母親は考え込んでいた。
食後のお茶を煎れてもらい飲んでいる時に、彼の両親が目を合わせて改まって言った。
「やっぱり賛成出来ない。まだ大学生だからとかじゃなくて、精神を病んだ人がいる家系がいる女性との結婚は許せない。」
え?そっち…?頭から水をぶっかけられたような衝撃だった。正直に話すべきではなかった。結婚の時に自分に不利になるような情報を相手の親に与えてしまったことは悪い選択肢だった。
これじゃ大学を卒業してから結婚する選択肢も消されてしまった。彼はうつむいて黙ってしまった。仮にも農家の長男、将来はこの家を継ぎ家業を継ぐことになる。その配偶者が根本から否定されていることに対して反論してくれなかった。
帰り道の車内の空気は重かった。
「どうする?あんな感じだけどK先輩からご両親、説得出来そう?」
彼は少し間を置いてから諦めるように「ごめん無理だと思う。田舎の古い考えの人たちだから。価値観が古いんだ。」
でも紙切れ1枚書いて役所に提出すれば結婚出来る。2人で決めればいいし、頼らなければいいんじゃないの?帰省とかそんなの無くたって生きていけるし、自分たちの将来のことを決めるのに親の意見ってそんなに重要なの?
なんなら駆け落ちしたっていい。2人だけで全国を転々と生きて行ってもいいのに。
彼のアパートに着いて、置いていた荷物をまとめた。もう別れることが最善策だと感じていた。数時間でこの2年間の付き合いは清算されてしまった。「精神を病んだ人がいる家系がいる女性との結婚は許せない」なんて彼の親の言葉を胸に突きさされたまま彼との未来は消え去った。
いつもは電車を乗り継いで帰るが、荷物が多いし、最後にゆっくり話そうとわがままを聞いてもらって、家まで車で送って欲しいと頼んだ。彼も負い目があるのか「分かった」と言ってくれた。もう残された時間は5時間だった。
この2年楽しかったと笑いながら帰った。初めて見た時から好きになったこと、試合での彼の最後の一射の点数でチームが勝利したこと、国家試験に向けての勉強する姿がカッコよかったこと、初めて大人が付けるようなアクセサリーをくれたこと、週末会うたびにゲームをしたり、ドライブで夜景を見にいったこと全部が私にとっていい思い出になっている。
それを偏見だらけの彼の親の言葉で土足で踏みつけられたような悲しさがあった。
彼は「やっぱり親と子として賛成してもらえない状態での結婚は今後にとっても良くない、子どもが生まれたら頼ることもあるかもしれない。家業を継ぐときに嫌な思いをさせたくないし、だけど親の意見を覆すだけの力は俺にはない。多分、守ってやれないから。」そう言った。
運転しながら前を向いている彼を横目で見ると、何だか小さく見えた。
私は結婚は家と家との繋がりだとは思っていない。当人同士が9.5割の問題だと思う。でも彼はそうじゃない、子どもの頃から背負っているものが違うのだ。元々生きる世界線が違う人だったんだと妙に納得してしまった。
最後のサービスエリアで小腹を埋めるように、コロッケを齧りながら「私、この理論が一般的に普通なら将来、誰とも結婚出来ないね」と彼にこぼした。唯一、彼に対して責めた言葉だった。
実家が近づいてきて、革のキーケースから彼のアパートの合鍵を外し握りしめた。もうすぐこれを返して終わりにしなければいけない。私が持っていてはいけないものだ。
そういえば指輪は内側には文字の刻印が無かった。
運転する彼に「指輪、ありがとう嬉しかった、短い間だったから傷もついてないし、綺麗なままだよ。幸いピアスのケースと違って、こっちには刻印もないし保証書と一緒に返すから、早く新しい彼女見つけて再利用出してね。今度は健全な家庭で産まれてきてさ、なあぁ~んにも苦労を知らないお姫様みたいな子だったらいいね。」思いっきり悪意を込めた矢を明るく放つ。
彼はしばらくの間黙っていたが、小さな声で「それは返してほしくないな」でももう私が身につけれらえるものじゃないの。
呪いのアイテムになる、次の恋に進めなくなる。
未来が見えない相手とは時間を共にしない、親の反対くらい押し切れない男気のないやつはこっちから願い下げだった。私はもう先を見ていた、若い時間は短いのだ。
実家の近くに着き、大きな荷物を2つ肩にかける。
そして程よく温もった合鍵を「今までありがとう。楽しかったよ」と言って返した。「すぐに戻ってくるから煙草1本吸って待ってて、指輪の保証書とか取ってくるわ」と言って静かに実家へ入る。
運悪く玄関先で祖母と鉢合わせてしまった。彼氏の実家に挨拶へ行くと言っていたから何も悪気なく「どう?相手さんに気に入ってもらえた?」と言われて、全身が熱くなるのをこらえながら「ううん、ダメだった。」とだけ言った。祖母は察しがいいので「そうか」と言ったきりそれ以上は何も聞いてこなかった。
実家に置いていた借りたままの本や服も一緒に運んできた、彼に返すべきものを返して、いよいよ別れる時がきた。
「そういえばこれさっきアパート出る時に持ってきた」と渡されたのは数枚のCDだった。レアなモンスターが生成できる自作のCD。もう深く考える力は残っていなくて受け取った。そして自宅のゲーム機を集めた箱に入れた。これを見ても何も思わなくなった時が、立ち直った日になる。きっとそうだと思った。
精神疾患には世間の偏見や悪意が満ち満ちていて、自分の力だけじゃどうしようもないことを知った20歳の夏の終わりの日のことだった。
20歳くらいの頃、どんな恋してましたか?
そしてどんな理由で大切な人とお別れしましたか。そう聞いてみたくなる。
最後に、ウィルコムは次の日に解約しに行きました。
彼から電話がかかってくることを待つことなんて絶対に嫌だったから。
そして彼の車を見送りseason1が完結した。
実家に戻ってから荷造りを始めた。
実家にはいたくない、自分の愚かさも見つめたくない、同期を頼って現実から逃げたしたかった。着替えと教科書を詰め原付に積めるだけ積んで走り出した。
原付で走りながらiPodから流れる音楽を聴きながら、途中でATMでお金を降ろしてから、酒屋により大学近くに下宿している同期の家に向かった。
こうしてseason2がはじまる。