子ども布団から大人布団へランクアップした息子。
この前の休みに深夜に喉が渇いて起きた時のこと。
息子の寝顔をそーっと見ようと息子と夫が寝ている部屋を覗くと夫の方の布団に斜めに大の字の姿勢ですやすや眠る息子がいました。
同時に、息子の子ども用布団で縮こまって胎児のように丸まって眠る夫を発見してしまったのです。おじさんが子ども用布団で眠ってる!ちょっと笑いそうになった。
次の日の朝、夫に昨日見た光景の話をすると「あぁ、最近ずっとこうやねん。なんか寝る時に頭叩かれてさ、あっち行けって指さされて追いやられてるねん」と超ブルーな感じで話す夫。もっと早く気づいてあげればよかった。
その日夫と息子を送り出し、すぐさまニトリの通販のページをチェックしてから自転車で最寄りのニトリに走った。サプライズで敷布団プレゼントしようと思った。あとNクールの敷パッドもついでに購入した。普段は子どもを乗せるカート部分に敷布団をギュギュギュっと詰め込み前籠に荷物とNクールをまたまたぐいぐい詰め込んだ。ニトリまでそこそこ距離があるので首にはひんやりする輪っかを装備し、ひんやりタオルを途中で頭の上に乗せる河童スタイル。なんとかどうして自宅まで持って帰ることが出来た。
そもそも子ども用の布団って何歳まで使えるんだろうと思って調べてみた。
確か小学校に上がる前くらいまでだったと思っていたが、3~4歳までと検索で出た。あら…まだ4歳なのにもう大人の階段昇っちゃったのねとしんみりする。
まだ妊娠中の時にはベビー用品をわざわざ隣県の遠方にあるショッピングモールのアカチャンホンポまで毎月のように買いに行っていた。ベビー布団は長く使えることを重視したため約5万円した。防水シーツや敷パットやもろもろのグッズがついてきた。柄も大好きなミッフィーにした。子ども布団にしてはかなりしっかりしたもので、快適な睡眠環境だと思っていた。今までありがとう、でも捨てられないよ。リメイク方法がたくさんあるので久しぶりにミシンを稼働させて思い出は形として残していこうと思う、実用的なものに変身させようと思う。
他にもベビー用品にはかなりお金をかけた。
チャイルドシートは産まれたその日から乗せられるエッグショック使用のものを選んだ、産まれてすぐに私の実家への顔見みせが決まっていたからだ。他にもベビーカーと抱っこ紐(横抱き対応)のものも一緒に買った。諭吉がぶわぁ…っと羽ばたいていく。
赤ちゃんって物入りね…と魔女宅のキキのように呟く。
気持ちが分かった。暮らすのも赤ちゃんも物入りである。
大型の育児グッズを購入してからは、新生児用のおむつやおしりふきを箱買い、ミルクや搾乳機、電動鼻吸い機。すぐに測れる体温計。どんどん大きくなるお腹に対応するマタニティ服。冬場に生まれた子なので足を冷やしたくなくて、ずっと無印良品のマタニティジーンズを愛用していた。最大級にボタンを大きくしても8ヶ月頃にはパンパンになった。あと二ヶ月どうするねん…と思っていたがなんとか伸びて持ってくれた。最終的には伸びる部分が裂けていた。それだけお腹が出ていたにも関わらず、あんまり目立たないねと言われていた。生まれる前日の写真もホンマに妊婦か?というくらい普通だった。屈強すぎる腹筋のおかげだと産科の先生は言っていた。
こうして我が家に大人用布団が3組となった。
夫が仕事が帰宅し、洗濯済みのNクールをセットした大人布団が2組並んでいるのを見て感激してくれた。ありがとう~これで安眠や~と言っていた。今までいかに窮屈な思いをしていたのかと思うと心が痛む。
もう時効だと思うのでここに書いて成仏させたい。
布団にまつわる話が実はひとつある。
時は遡り新婚時のことだ。
姑から「婚礼布団買ったから取りに来て」と連絡を受けて取りに行くとなんと1組だけだった。目に見えた嫌がらせである。
布団の綿も私の腹綿も煮えくり返り、その布団を見るだけで腹が立つようになった。このままでは私の精神衛生上良くないなと思い行動にとある計画をたて行動に出た。
私の夜勤明けのある日、入れ替わりで仕事に出て行っている夫。帰宅後急いで夫の部屋へ行き、布団のシーツをはずし乱暴にゴミ袋に詰めこんだ。タイムリミットは夕方18時。
市のゴミ焼却炉の持ち込みへ意地悪婚礼布団を持って行った。受付で免許証を見せて少しずつ順番を待った。トランクに押し込んだ布団がミチミチ言っている。
いよいよ順番がきて焼却炉の前に後ろ向きに停めて係の人にやや興奮気味に「自分で投げ入れていいですか?」と聞いたらいいですよ、断捨離の人そうゆう人結構いますからと笑ってくれた。立派な羽根布団を袋から取り出し、「オラァァ!!テメーコラ死ねやぁぁ!ひゃひゃひゃ~!!!燃えろ燃えろぉ!!!」とふわりと舞いゴミと散った。係のお兄さんは引いていた。これが夜勤明けのテンション+姑への恨みの合わせ技だ。
清々しい気持ちで帰り道にちょうどあるニトリに寄って自分で類似品を購入した。当時乗っていた車に乗せ、マックでダブルチーズバーガーをテイクアウトし、当時住んでいたアパートに布団を運び込みシーツをかけなおして、朝のような状態にして証拠隠滅は完了した。
清々しい気持ちでシャワーを浴び、ダブルチーズバーガーを食べて最高の気分で夜勤明けの眠気も手伝って泥のように眠った。だが夕方起きれるようにアラームをかけて、夕食に合わせて起床する。夜勤明けに作る夕飯ほどの拷問はないと思う。まだ疲れが抜けない身体に立ち仕事なんて拷問だと常々思っていた。
やがてレトルトカレーを数種類ストックして米だけ炊くスタイルが確立される。夜勤明けは出来るだけ眠らなければいけない。これは鉄則だ。だって前日の15時から家を出て翌朝11時まで拘束され1人態勢の施設のため仮眠がなかった。単純計算で15時間は最低でも起きているのだ。それが週に多くて3日ある。しかも医療的に重度の人が多いため滴下スピードや尿量などの記録がとにかく多く気を張っていないとミスが命取りだった。急変しアラームがビービーとけたたましく鳴り何度か救急車を呼んだこともある。そんな職場だった。
布団の話に戻る。そして夜夫が気かつかないか若干ドキドキしながら部屋へ行き、一緒に寝ころびながらその日一日の話をした。結論から言って夫は全く気が付いていなかった。まぁバレてももう燃えてますねんとしか言いようがないねんけど。今日、あなたの布団は燃えましたよ。変な夢みないでね。と心の中で謝った。
こうして現在我らは快適な睡眠環境を手に入れた。
急に気温が上がり寝苦しい日が続きそうだ。出来るだけの対策は立てたい。