私は悪い嫁なので正月も顔を出さない。孫にも会わせない。
新年早々、悪い日記を書こうと思う。
義理の実家に行きたくない。
本当は息子も行かせたくない。
お年玉もいらない。
でも夫は行きたいようだ。
好きに行ってくれていい。
1人でなら好きに行ってくれたらいい
昨日は姑からメールが来て
ウッっとなった
ちょっとだけ気分が悪くなった
*
私はとある事情から姑が大嫌いだ
表面上だけはうまくやっている
褒めて欲しい
世間はそんな嫁が多いんじゃないだろうか
「正月に挨拶に行く」それだけでも
寝込むほどのストレスを感じる
もうぶっちゃけ冠婚葬祭でも会いたくない
YouTubeで「嫁と姑」で検索して
同じような境遇の人はいないか探してしまう
世間にはヤベェ奴がたくさんいた
同居の人は本当に辛抱強いと思った
私はまだマシな方だ
夫も最近は私の肩を持ってくれる
*
自分の実家には帰りたい
帰りたかったけど今年は叶わなかった
息子のコンディションがイマイチ安定しない
私の運転も不安だった
基本、夫は元旦から仕事だ
大晦日も仕事だ
仕事納めから仕事始めが爆速
*
LINEのビデオ通話で兄家族が帰省してくれたタイミングでオンライン帰省した
第一声が父からの「なんやその髪の色は?!」だった。あけましておめでとうございます。
そのうち黒髪に戻しますわ。
父母、祖母、兄、兄嫁さん、姪っ子2人、猫がいた。
年賀状が届いていた。
姪っ子1号が書いてくれた字がとても良い。
硬筆を頑張っている整った字だった。
それを「すごいね、ありがとう」と言うと
恥ずかしそうにモジモジしていた。
可愛かった、いや産まれてからずっと可愛い。
目鼻立ちも兄そっくりである。賢そうだ。
ちなみに私と兄は驚くほど似ていない。
私が二十歳の記念に着物で写真を写真館で撮った時に、母たっての希望で兄妹写真を撮った。
兄はもう就職していてスーツで来てくれた。
写真館の人に「ご夫婦ですか?」と聞かれるほど似ていないのだ。成人式の記念で夫婦写真な訳ねぇだろ〜と苦笑いだった。
写真が出来上がり「これで私の子育ては終わりよ」と言った時、すごく満足そうだった。
でもあと3年学費払ってもらうんだよ。
ごめんよ、母さん。
姪っ子が産まれてくれて私は晴れて叔母になり独身貴族時代は「へへへ、好きな物をなんでも買ってあーげる!」とパパ活のパパ側を経験した。兄には「教育上悪いのでやめてくれ」と制止された。
*
私は兄嫁さんのことがすごく好きだ。
可愛くて優しい。
そして兄を正しく躾けてくれている。
有難い話だ。お義姉さんがいなければ身を持ち崩していたと思う。
子どもの頃、姉が欲しかった。
姉のように優しい兄がいたのだけど、近所の姉妹を見ては羨ましいな〜と、ないものねだりしていた。
実際に姉がいる人の話を聞くと、兄でよかったかもしれないと思った。姉にもよると思うが女同士は相性があるらしい。
特に弟は姉に絶対服従らしかった。ほ〜。
確かに姉がいる弟の同期は、幼少期から女のホルモンバランスの乱高下や理不尽な怒りの対応に慣れているので激モテだった。
その点、兄との兄弟喧嘩は話し合いか単純な力比べで決まる。まず勝てないが、兄はそれを知っていて手加減する優しさがあった。
柔道で言うなら兄は100キロ超級、私は当時48kg以下級。体格差がありすぎる。
1番しょーもない喧嘩はスナック菓子を取り合ったことだ。
最終的に引っ張り合いになり、兄が諦めて手を離したはずみで私が机で後頭部を強打して気絶。
祖母が絶叫で母を召喚し病院でCTを撮ったことだ。脳震盪だった。
しかも私が中3の時だ。結構な年齢である。
…仲良く半分こせぇよ。
1袋独り占めしようとすな。
*
そして義姉は何よりも私の母とうまく付き合ってくれている。とても人間が出来ていると思う。
実母側にも今時の姑の心構えを伝えておいた。
私も小姑になるにあたって色々と学んだ。
直接連絡しないこと
LINEのグループでのみ連絡する
基本家には行かないこと
子育てで「可哀想」はめちゃくちゃ禁句
口を出さない、金は出す
昔の子育てと比べないこと
母も既に心得ていた。
そもそもなんで兄と結婚してくれたんだろうと思うほどだ。引くてあまただったろうに。
元旦に自分の実家ではなく夫側の実家を優先してくれる義姉。
*
初対面から印象が良かった。
初めて会った時、「お兄さんとお付き合いさせてもらってます。まだ2年と日は短いですが結婚したいと思っています。」と挨拶してくれた。
結婚に妹の許可なんか要らないよ…と思っていたのだが、一食共にするだけで私は義姉が大好きになった。いつもよりご飯が美味しかった。
義姉は食事中も話をする時にキチンと箸を置き、ながら食べは絶対にしない人だった。
育ちの良さを感じる。
実家では丼鉢にご飯を盛り、そして寄せておかずを乗せるワンプレートニャンニャン飯スタイルが基本の実家とうまくやれるだろうか。
今でも洗い物を極力減らすスタイルは、兄夫妻来訪時以外は変わらない。母も義姉にはしっかりとよそ行きの顔をしている。
帰り際、私の大好きなチョコレートの限定版をお土産にくれた。私の好きな銘柄を兄から聞いたのだろう。心遣いが嬉しかった。
その化粧箱を私は今もミニ裁縫道具入れにしている。すごく気に入っている。
初顔合わせの帰宅後、兄に数年前、私が付き合っていた彼氏のことを会うなり罵倒したことを謝ってくれた。
あの時、彼氏が帰ってから私も本性を剥き出しにして飛びかかり、かなり激しめの兄弟喧嘩になった。
私はその時に寝技をキメられながら、絶対に寝技返ししたると暴れたが不可能だった。超大型巨人が筋肉ムキムキなのだ、女型の巨人だって勝てない。
仕方なく負け惜しみに
「将来お兄ちゃんがどんな女連れてきても邪魔したる!クソドブスッ!って言って追い返したるからな!」と言ったこと気にしていたらしい。
私はすっかり忘れていた。
忘れっぽいのだ。
だが姑にされたことは忘れようがないのだ。
そんな事もあったから挨拶の時にすごく丁寧だったのだろうか。
本心は兄が選ぶならどんな女の子でも大歓迎だった。
*
兄が結婚できるのが嬉しかった。
お付き合いを始めた頃から身綺麗になっていく兄。肌艶も良くなりはじめた。
なんかしとる?と聞くと、私の化粧水を盗み使っていた。一緒にドラッグストアへ行き男性専用のスキンケア用品を選んだ。
結婚式に向けて減量にも励んでいた。涙ぐましい。
昔、「俺、ガンプラと結婚する」と塗料臭い部屋でちまちまヤスリをかけていた日々を思い出えば万々歳だった。
兄が結婚する時は「ビザの関係とかで日本国籍を求める人とやろなぁ」と父が嘆いていたのは本当だ。本当に心配していた。
*
出会いというのはどこにあるか分からないものだ。馴れ初めもとても良かった。
お付き合いしている時に兄の部屋には義姉コーナーがあった。ガンプラを箱の中にしまい、義姉からもらったものを飾っていた。
バレンタイン時はチョコレートが毎日少しずつ減っていた。
聞くと毎朝少しずつ割って食べてから仕事に行っていた。好きすぎるやろ…ちょっと引いた。
一気に食ぅたってくれ。
同時にこれだけ好きな相手に
もしフラれたらどうしよう…と
心の底から危惧した。
初めて付き合った人にフラれた時
大変なことになるのは経験上知っていた
それほど兄は義姉にベタ惚れだった
*
結納で互いの家族が対面した。
全員着物着用、振袖は私だけだった。
婚期も割と近いので焦る。
義姉は三姉妹の末っ子だ。
女の子が3人座っていた。
一つ先の季節の柄の留袖が艶やかだった。
全員の職業、学歴、経歴を紹介される。
不思議な風習だと思ったけどジッとしておく。
そして見たこともないような豪華なコース料理を頂いた。祖母が少食のため私が隣に座り、余らせた分もさりげなく皿を入れ替え片付けておく。帰り道、帯が苦しかった。帯は少し余らせて着付しておいたのに。
ただ、お互いの父が高い日本酒をガバガバ飲むのでオカンが多少ピリついていた。金額も恐ろしいことになっていた。見なかったことにした。
*
結婚式も凄かった。
兄夫婦は友人が多い。会場も広かった。
兄友人から「お〜この子が噂の妹かぁ〜」
どんな噂をされたのだろう。
心当たりがありすぎる
がり寿司の件ですか
兄弟喧嘩の腹いせに道着を開いた時に見つかるように私のパンティー仕込んだ件ですか
それとも部活の遠征の度にご当地キティのボールペンを買わせていた件ですか
私はその頃にはもう遠方に就職していたため会場のホテルをとっていてくれた。ヘアメイクと朝食付きの至れりつくせり。値段を調べてヒッ〜となる。
渡されたチケットを見せたらケーキも食べ放題だった。
2次会も招待してくれたが、親族が2次会に行くのは野暮だろうと思い、受付でお祝いメッセージとチェキだけ残して部屋に戻ったが落ち着かず、上の階にあるバーで一杯だけお酒を飲んで寝た。
とてもいい式だった。
翌日信じられないくらい美味しい朝食を食べてまた1人暮らしの部屋に帰った。
*
時は立ち私も結婚した。
「バージンロードを父と歩く」という父の夢は叶えてあげられなかった。
諸々の行事はナシナシ婚で写真のみ。
*
義姉も私も専業主婦だ。
子どもの年齢も近い。
教育方針も似ているので話が合う。
むしろ少し年上の子がいる義姉の話はすごく興味深い。習い事や親同士のお付き合いの話はすごく面白い。
*
兄はとても勉強が出来た。
最近、祖母に言われたのだが
「アンタはお兄ちゃんの半分も勉強せんかったなぁ〜」
地味にショックだった。
それなりにはやってたわ〜い。
そして兄は幼少期からずっと武道を嗜んでいた。
今でもたまに大学生相手に練習に行くらしい。
やめとけ、怪我すっぞ。
姪っ子も同じ道に進むのだろうか。
大きな怪我はして欲しくない
だが、しなやかで強い女の子になって欲しい。
*
そして住まいはオートロックはもちろんのこと、24時間コンシェルジュ、SECOM、託児所、ジム付きのマンションに住んでいる。ゴミもいつでも出せる。宅配も冷蔵品でもいつでも送っていいようになっている。
文字通り私とは住む世界が違う。
我が家は管理人さんはいるがほぼ機能していない。大体不在。そして高齢。
オートロックという名のただのガラス。
しかも夜間は半分空いている。
なんで空いてるんや…。防犯カメラのみ作動中。
託児所?ないないない。
ジム?ないないない。
宅配ボックス、ないないない。
Amazonは玄関の前か、自転車のカゴにどぼーん!と入れられている。いや、押し込まれている。
ピンポンすら押してくれない。
「大丈夫、ここは日本ですから治安がいい」を信じているマンションだ。
ゴミは指定の日の朝にだすルール、前夜に出す人がいるせいでゴキブリが大発生した。ちょっとした事件だった。注意喚起をしてもまだ前夜に出す奴がいる。
やっぱり性善説は信じちゃいけない。
ちなみに洗濯機も外置き。
乾燥機なんて付いてるわけがない。
風呂は追い焚きすらない。
リビング側の給湯器を熱湯設定にして風呂側の蛇口で調整して温度を変える。
たまに設定を戻すのを忘れていて「ぉあーーー!!」と、夫が絶叫している。ごめぇ〜ん。
*
何度か兄宅お邪魔したが「…すげぇ、何だここは…」としか言えない。
語彙力がなくなるほどが綺麗なエントランス。
謎に大きな花。
床に顔がうつほど磨きあげられている。
え?共益費いくら?とは聞けなかった。
そんなの不粋すぎる。分譲だ。
駅が近いのになぜか静かだった。
共有部に置かれた来客用ソファーにとりあえず座ってみた、普段寝ている寝床よりも柔らかかった。
ちなみに受付で「何号室のお客様ですか?」とコンシェルジュに聞かれる。
部屋番号を言って「アポイントを承っております」と言われないとエレベーターにも辿り着けないのだ。
セキュリティが凄すぎる。
…芸能人でも住んでますか?
*
家の中は、もはやモデルルームだった。
義姉のセンスが抜群にいい。
美しい義姉が選んだ美しい家具を、ガンプラで鍛えた手先でIKEAのインテリアを難なく組み立てる兄。美しい夫婦の共同作業である。
見たこともないくらい精巧な照明器具だった。
あんな説明書全部英語なのにどうやって解読するんや。普通に読めるやろと言う。
いや、読めねーわ。
Google翻訳でも訳わからん翻訳になるやん〜。
「私は組み立てる右の番いを上と横にジョイント」
みたいになるやん〜。笑った。
私も4段ボックスを2つ作ったが半日近くかかった。張り切って電動ドリルまで買ったのに。
しかも付属品の木の突っ張りを何本か折った。
結果、棚は姉歯物件のように弱い箇所がある。
割り箸をカッターで削って補強はした。
てゆうか、なぜ折れた。謎。
兄と妹でこれほど脳みそに差がでるとは。
同じ腹から産まれてるのに不思議なものだ。
*
キッチンが広い。
当然のように付いている食洗機。でかい。
チラッと見えた包丁5本くらいあった。
冷蔵庫もデカい。絶対1人じゃ運べない。
*
車はなんかクルクル回る立体駐車場だ。
近代的。たまにうっかり自分以外の車が間違えて出てくることはないのだろうか。
コインパーキングみたいに他人の車の駐車料金を支払ってバーが下がることはないのだろうか。
私は何度か見知らぬ人の駐車料金を支払っている。結構な額をうっかり寄付している。
私はそれを運の貯金と呼んでいる。
コインパの名もなきエンジェル。
そして駐車場は野晒しの雨ざらし。
黄砂の時期は大体汚い。
雨が天然の洗車機ですわ〜。
義姉は運転が苦手で車を使わない。
とゆうか車を使わなくても生活には問題ないのだ。電動自転車を愛用している。
ちなみにスーパー、病院、郵便局、警察署、小学校、中学校に至るまでバリアフリーの街。
ボコボコした道がない。
車椅子もベビーカーもガタガタしない。
ス〜ッといける。
クネクネ曲がるスケボーで遊ぶ子どもを何度か見た。兄との待ち合わせの時間より早く着いたため待ってる間、暇でその光景を見ていた。何となく話しかけて貸してもらった。
遊ばせてもらったが3ひねりくらいで腰を強打した。地面にひっくり成人女性がいた。私だった。
骨が折れるかと思った。折れたと思った。
アレ、大人はアカンやつ。
イメージはコナンくんのターボエンジン付きスケボーだったのに。
そんな広い歩道が完備された街に住んでいる。
小学生男子はシャカシャカシャカ〜とリズミカルに走っていた。すごい。
そして何より兄は義姉のことをとても大切にしていて、姪っ子もとても可愛がって育てている。
*
息子がもう少し大きくなって身体も強くなったら正月は実家に泊まりで帰りたい。
息子と2人で静かな正月もいいが、実家でぬくぬく眠りたい。母と一緒に黒豆を炊いて煮締めを作りたい。
オンライン通話を切った時
「僕も行きたかった〜、おねぇちゃんに会いたかった〜」と息子が言った。
会うたびに優しく遊んでくれる従姉妹たち。
この前会った時に、一つ年下の方の姪っ子にアンパンマンの車を押してもらっていて笑ってしまった。君の方が11ヶ月年上だぞ。
うん、行こう。
来年はそれくらい元気になれるように頑張ろう。
*
私はどうしても姑とは仲良く出来ない
でも喧嘩もしないと決めている
夫を板挟みにしてはいけない
ストレスになってしまう
だから出来るだけ接点を持ちたくない
だけど夫の携帯に姑からメールが来るたびに
腹が立ってしまう
コソコソ連絡をとっている感じが嫌だ
義実家にある夫の荷物すら憎い
この土地には親族では
私の味方は息子しかいない
クリスマスだってスルーされている
今日だって何度もつついたようなお節料理が
悪びれもせず出てくると思う
だから嫌だ
お雑煮も欲しくない
無理矢理食べて白味噌が嫌いになった
*
数年前に夫と大喧嘩になり息子を連れて飛び出した。原因は主に姑。
その時に友人を辿って夫の兄の連絡先をGETした。こちらの土地で唯一頼れるかもしれない相手だ。
連絡を取り、事情を説明すると過去のことを教えてくれた。
姑は口は出すが手は出したくない、自分たちの楽しみを優先するタイプとざっくり言っていた。
実の息子がそう言うのだからそうなのだろう。
だから孫だって寄りつかないのだ。
都合の良い時だけ可愛がりたいのだ。
そこに子どもと嫁の意思は関係ないのだ。
だが子どもにも自我がある。
嫁にも自我がある。
嫁というより母なのだ。
もう黙っていられなかった。
*
もしも病気になっても手は貸さない
もしも介護が必要になっても知らない
お金も出さないと決めている
あと絶対にキーパーソンにならない
将来介護が必要になりますケアマネは
「近くに住んでるから安心ですね」
とか言うかもしれない
その時は私がされてきたこと写真付きで
見せてあげたいと思う
日付、時間、場所、天気を記録している
嫌な事をされた時にデスノートとして
つけている粘着質な私だ
天気は裁判で必要になるのは豆知識
そして義兄夫妻にも相談したいと思う
ほぼ絶縁状態だけど緊急事態には連絡しよう
正月から気が重い日記になった
結局、夫だけが義実家へ行った
おしまい。
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無印良品のポチ菓子で書く気力を養っています。 お気に入りはブールドネージュです。