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Fラン大卒陰キャな僕が有名外資系企業でトップセールスになった話その24:メンタル不調

自分が予定した通りに売上目標を成果として達成する事ができた。

私の所属した営業チーム全体の目標の実に半分を私の売上で占めたのであった。

達成感と共に次の目標をどうするかが定まらずに気持ちが低迷してきていた。

Fラン大卒陰キャな僕が有名外資系企業でトップセールスになった話その24:メンタル不調

一つ大きな区切りができ、自分の中で達成感があったのは事実だったが、それと同時に気持ちが燃え尽きた感があった。

・価格差がつき過ぎて負けると言われていた商談に勝利。
・全ての製品の販売には5年はかかると言われていた事を2年で達成。
・個人の売上記録の更新。

血走って仕事をしていたが、達成と同時に目標が消えたのが自分にとっては痛かった。
なので、次の場所を用意してほしいという意味で、以下の要望を出した。

もっと大きい首都圏の市場で戦いたい。
前職の時に首都圏で働くのは無理だと言われていたが、そんな事はないと思っている。
必ず力になるから首都圏への異動をさせてほしい。
勝負したい。

そのようにFマネージャーには伝えていた。

引っ張り合い

今になってみるとありがたい話ではあったが、当時自分の事を評価してくれていた部長が2人いた。

私は当時S部長の元で働いていたが、S部長は私を評価してくれていた。
そしてもう1人M部長が首都圏に異動となり、M部長も私を評価してくれていた。

当然S部長は成果を上げた私を手放してはくれなかった。
もう一つ異動したい理由があったが、直属の上司であったFマネージャーと離れたいという理由もあった。

Fマネージャーは直接の上司なのにも関わらず音信不通になる事が多々あった。
それによって見積書提出もギリギリになるし、仕事を進めていく上での確認事項も遅延していたので業務に支障をきたしていたからであった。

正直いらない存在

前職はかなり過剰に業務への管理をされる環境だった事もあり、今回の環境は真逆だった。
放任というか、Fマネージャーは管理職としての業務怠慢だったこともあって、部下の案件を管理はできていなかった。
ほとんど自分で進め、困ったら一応先にFマネージャーに連絡は入れるも、出る事はなく、S部長に確認して進めていたのである。

電話しても出ず、折り返しがあったかと思えば電話に出れなかった理由を小学生並みの言い訳を話してくるFマネージャー。

私は売り方を教えてくれと聞いた事はなかった。
教えてほしいと頼んでいたのは社内の事務処理の方法や、受注した時の報告等をどのように行えばい良いかなど、全社員が共通にやっている事を教えてくれと頼んでいた。
販売時には、自社製品と一緒に販売する外部仕入品などの抜け漏れの確認を依頼していた。
また、見積書を提出する際には上司の確認印が必要だったので、それを依頼してもかなり時間がかかる。

本当にストレスだらけの環境で、聞きたい事を聞いても教えてくれない。教えられないマネージャーであればいらない存在だとすら思っていた。

成長はしっかりできた

こんな上司の下で働いていたので、自分の事は自分で行うしかなかった。

そんな事もあって、工夫もたくさんしたし、自分自身この環境で成績を上げられたこともあり、どこへ行ってもやっていける自信には繋がっていた。

自分で考えて、自分で動き、自分で売上を作る動きができるようにこの段階でなっていたのは大きかった。

新しいプロジェクトへの参加

3年目を迎えたとき、社内で新しいプロジェクトが立ち上がった。

全国8あるエリアの代表が集まって進めるプロジェクトに自分が選出されたのであった。

通常の業務に加えてのプロジェクト参加に少しテンションが上がったが、通常業務は担当エリアも変わる事なく、飽き飽きしていた。

早くも退職がよぎる

このプロジェクトは前職の経験を元に似たようなキャリア経験がある人が集められていた。

色々とプロジェクトを進めていく内に、「やっぱり前の仕事のような領域に戻りたいのかもしれない」と思うようになっていた。

前回の話で決めた大型案件は3億円の受注だった。
そんな大きな案件を決めても不思議と気持ち的にはどこか冷めていたのである。
注文書には3億と記載されており、営業として3億の案件を決めれたのは嬉しかったが、アドレナリンが出る程の受注ではなかったのである。

目標を失い、次に何を目標にすれば良いかで悩んでいた時期だった事もあり、仕事に身が入らない。
どこか上の空の自分がいた。

思い切って直訴

この時、思い切ってS部長に相談した。

正直、今のエリアではもうモチベーションが上がらない。自分は言われた目標を短期間できちんと達成し、シェアも高める事に成功した。次は自分の希望である首都圏への転勤を叶えてほしい。どこの会社でも1番市場規模が大きいエリアは精鋭が揃っている。そのような中で働いて自分がどこまでできるか試したい。

S部長は首を縦には降ってくれなかった。私を失うのは痛いと。

私は当時よくエリアを跨いで首都圏のチームリーダーだったOマネージャーにも連絡をとっており、その人を通じでM部長にも掛け合ってもらったのだ。

首都圏への転勤が叶わないのであれば、辞めます。

正直ここまで言うのは賭けでもあった。だったら辞めろと言われる可能性もあったからである。

しかし、自分としてはここで大きな成果をきちんと残して爪痕をきちんと残した。

偉そうな話ではあったが、自信があった事も事実なのである。

勝ち取る

そして私は首都圏への転勤を勝ち取ったのである。理由はこの短期間での圧倒的な成果が要因となった。

気持ちが盛り上がってきたのを感じた。
以前のように気持ちに火がついたのを覚えている。

ここからが自分にとっての勝負だ。次も絶対に圧倒的に勝つんだ。これだけしか頭にはなくなった。

成果は裏切らない

社会に出てから、あなたがやりたいと思った事をやらせてもらう為に、相手を説得する材料はなんだと思いますか?

学歴?資格?いいえ、答えは成果です。
これは裏切らないし、相手にこの人ならできると思ってもらえる1番確証が高い証拠です。

私はこれを大事にしています。
その会社で上を目指すにしても、やりたい事があって転職するにしてもこれがあると信用が違います。

この人は短期で転職しているが、仕事で成果を出している。
うちでもやってくれるだろうと在籍期間よりも成果を上げてくれるだろうと期待されて採用になる。

当たり前ですが、成果を上げてくれる人はどこの会社でも好まれる。
もちろん最低限の人間性は必要にはなりますが。

新しい選択肢が

こうして首都圏への転勤が決まった。

こういう時は良い出来事が重なるもの。ここから自分のキャリアがまた変わろうとは、この時には全く考えもしなかったのだった。

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