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観察力を高める“描く”トレーニング
観察力がないという致命的欠点
昔からいつもパートナーに「よく観察してないよね」と指摘されます。
いっしょに散歩に出かけたとして、僕はいつも自分の世界に入ってしまうのでボーっと歩いてるだけ。片やパートナーは、「テントウムシ見つけた」「雲が遠い」「鹿の足跡だ」「つぼみがきれい」と次々と周囲の状況を察知し、その映像を焼き付けていきます。僕は常にその言葉のあとに「あー…ほんとだ」と追従するのみ。さすがに満開の桜くらい楽しむことはできますが「つぼみがきれい」だなんて感性は全くなかったです。見ている世界が、なんと小さいことか。
自分には観察力がない、いや、そもそも観察しようとすらしていないのだということを自覚したのが、かれこれ20年近く前のことです。デザインを生業とする人間として、いかがなものか自分。
以来、散歩するときは写真を撮るようになりました。それだけでもずいぶん観察に意識が行くようになったと思います。それでも、何年も同じことをしてると「なんとなく自分の好みのなかで漫然と記録的に撮るだけ」で、新しい視点も身につかず、結局のところ観察してるようでしていない…ことは薄々感じ取っていました。
絵を描き始めてから
さて、2ヶ月前からiPadで絵を描きはじめました。趣味として楽しんでいます。無趣味な僕の老後を心配そうにしていたパートナーはどんどん描けと言ってくれますが、描いている様子を見てやはりここでも「ちゃんと見てない」との指摘が…汗。いやもうほんとに、おっしゃるとおりで…。
絵をしっかり学んだことがないので技術的なことや上達法もわからないのですが、観察のひとつの方法として、猫の毛を追ってみることにしました。客観的な指標として、わかりやすいので。
左がiPadを手にした初日ぐらいに描いたもの。右が毛を描いてみようと取り組んだもの。上手下手やタッチの良し悪しは置いといて、最初は左の絵くらいの輪郭しか見えていなかったなぁと、それに気づけただけでも大きな前進でした。そして、あ…自分にもこういうの描けるんだという喜び。これも大きかったですね。
以来、描く楽しみの中に観るを学んでみようと、あれこれ挑戦中です。
きっとまだ生きた線には程遠いのですが、ちゃんと観察しようとすると、自分の目の解像度が高くなったかもなぁという実感があります。ふだんから、周りを見る見方が変わったというか。もっとはやくできるようになりたかった…。
さて、毛を捉えることができるようになれば、シンプルな線も変わるのだろうか…。ということで、最近はもともと好きなマンガ的路線に落ち着きつつあります。最初のころよりは、いくらかはマシになったかなと思います。
観察トレーニングを続ける
世界を観察(しようと)せず、自分の世界に入ってしまうことで見る目の解像度があがらないという自分の欠点。それを克服すべくブログ書いたりツイートしたり写真撮ったり「書く」や「撮る」という行動を通して世界を細かく見ようとしてきました。
より観察力を高めるには絵を描くのがいい。そうすればもうちょっといろんなことに気づけるようになるはず。客観的にものごとと観る力がついて気づきが多くなれば、デザインの足がかりが増え、意思決定の材料になり、アウトプットに貢献してくれるでしょう。楽しみながら、観るトレーニングをして、本業にも活かすことができたらいいなぁと思っています。
ちなみに、インプット・アウトプットで僕がひとつ意識していることがあります。どの分野でもいいのですが、あの人のあの表現方法ってどうやってるんだろう?どうしたら自分でもできるようになるだろう、という関心、模倣、分析。そして再構築。なんでもかんでも専門的に学んだり、教えてもらえるわけじゃないから、自ら探求していかないといけないなぁと思うのです。それで一歩でも前進すれば、苦手の克服と少しの成功体験が手に入る。その繰り返しをしていきたいなと思います。
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