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戸田暮らしから感じる「団欒」という食時間の可能性
自分は現在、活動拠点の一部を静岡沼津市戸田という海のそばに置いてます。
「何もない」、地元の人が口を揃えていう言葉であるが、その言葉の裏側には何もないからこそ、見落としがちな日常にある幸せを見つけることができる、という想いがあるように感じます。私もここでの暮らしを通して、何が幸せなのか、何に時間を使うのか、という意識が強くなったし、ここで育った子どもたちは、自分で築けるチカラが強いように感じます。
私がこの街で暮らす中で、向き合うことになった一つが「食」を通じた場
それまで、東京で全ての時間を使っていた頃は、コンビニやチェーン店など与えられたものを食べるだけで、同期や友達と飲む場はあって、誰と食べるかは楽しみにしてたけど、、、
一緒にその食を作るまでの過程を楽しんだり、その食の空間をどう作るか、口にするものをどうするか、食を通して、その時間、空間、場をどう味わい尽くすか、という意識があったかと言うと少なかったかもしれません。。。
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戸田を訪れ、多くの人と食を共にする時間が増え、誰と食べるか、何を食べるか、どうやって作るか、食すか、「食」と向き合う時間が増えたとともに、食を囲む時間の尊さを強く感じた。
食卓を囲み、皆で話す、いわゆる「団欒」ともいわれる光景。有名なアニメ「ちびまるこちゃん」や「サザエさん」でも 家族や近所の方など、ちゃぶ台を囲み食を楽しむ姿が重要なモチーフとなっているが、そもそも「団欒」の文化はいつから始まったのか、気になったので調べてみた。
始まりは1925年頃大正時代から出てきた「ちゃぶ台」の存在が大きく関わっているという。それまではいわゆる「箱膳」スタイル。個人がそれぞれのお膳でご飯を食べることが食卓のベーシックなスタイルだった。それが戦争前後を経て入ってきたちゃぶ台文化によって変わり、時代を経て食を囲み、食を通した会話の時間を楽しむ「団欒」という文化が育まれたという。
↑戸田にあるやどTagoreまの団欒風景♪
様々な書物でも「団欒」について定義される中、団欒の本来あるべき姿として
”朝は朝でみんなこれから1日をいかに過ごすべきかを語り合う。いざこれから出かけていって1日の仕事に取りかからんと思うということで, 朝は心新たに食卓に向か う。昼は寂しい食事で,夫は会社で弁当を食べ,子供は学校で弁当を食べ,主婦は家で 簡単なご飯を食べる。夜は夜で1日のうちで最も豊かな食事の時間。今日一日過ちがなかったかどうか話し合うことができる。”
このようにお互いに今日一 日の見聞をいろいろ語り合い,明日の計画を語り合うというような光景を団欒とされているそう。
世の中がめまぐるしく変化する現代、この光景はどれだけ存在しているのだろうか。
私の実家も父親の強い思いで夜の団欒の時間は重要視されていた。土日は決まって、みんなで鍋料理、1つの鍋を突く時間が自然と家族全員の会話を弾ませた。
戸田で食を囲む時間もそれに近かった。もう一つの家族ができたような場所で、穏やかな笑顔で溢れ、「明日も頑張ろう」と思える時間があった。
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食卓を囲むことは、人間のコミュニケーションにおいて非常に重要であると感じる。家族や友人と一緒に食事を共にすることは、日常の忙しさから離れて顔を合わせる貴重な瞬間。食事中、会話が生まれ、共感や理解が深まることにもなる。食を通じたコミュニケーションの機会により、人々はお互いの考えや感情を共有し、絆を築けていけるのだと思う。これは、家族や友人間の信頼感や情報伝達の重要な要素にもなっているのだろう。
余談だが、スタートアップでもよく「キッチン」のあるオフィスを選ぶ企業がある。社長が振る舞ったり、メンバーが作ったり、そこには上下関係などなく、食は人と人をフラットに繋げてくれる触媒となるのだろう。
「何者か」、「自分らしさ」を強く問われることになった現代。なんとなく、それなしでは人とコミュニケーションがしづらい、息苦しさを感じる人も多くなってるなと感じる現代。もっと人が、個々で自然体で、もっと自由に繋がれる場とはなにか、そんなことを考える日々
その中で、食は昔も今も変わらずその場に集った人たちを優しく繋げてくれる。
「スキル」や「肩書き」ではなく、「何を考えているのか」、「どんなものが好きなのか」、思考や哲学、価値観でつながることこそ本来あるべき人間同士の繋がり方であり、それを実現させてくれるものとして食を囲む「団欒」が存在していると思う。
戸田での暮らしが改めて、食を通したコミュニケーションの場の重要性を感じさせてくれた。