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目から鱗・“【幸】の反対はない”のです
〖ご挨拶〗
年寄りはお節介です
傘寿が近い私もご多分に漏れず色々気づいては世に提供したがるのでした
ついては、当論考にて未来ある方々のお一人にでもお役に立てたなら本望です
〖幸せの反対≠不幸〗
世の皆さんが「幸せの反対は不幸せ」と思って居られましょう
でもですよ
{楽と苦}、{喜びと悲しみ}は正しく反対通しですが{不楽=楽ではないが苦でもない}なのだし、{不喜≠悲}なのではありませんか
従って{不幸:幸ではないが然し地獄のように辛い訳じゃない}と成って参りましょう
〖幸の反語はない〗
つまり、{高・低}、{深・浅}のような反語が{幸}にはないのです
〖ナゼないか〗
ここで面白い実験をしてみましょう
「自分は不幸だ」と思えることを数え上げてみて下さいな
すると「自分は貧乏だけど、もっと貧乏な人は沢山いる」、「背が低いけど未だマシな方だ」とて、結局は一つも挙げられなくなって参りましょう
これで分かるのは、{不幸}が相対的な捉え方に過ぎないということです
〖同じく幸も〗
すると{幸}も絶対的なものではなく、やはり捉え方次第なのだとは成って参りましょう
例えばですね
・住む所はある、だが古くて小さい
・三食頂ける、だが外食はムリ
・着る物もある、だが安っぽい
などと{だが}が付くか否かで評価が反転して来るのではありませんか
〖心理現象は相対性理論〗
人の心理に絶対的なものなど何もなく全てが相対的なのではありましょう、基本的に良し悪しはないのです
例えば色のようなもので、「緑だから良い」、「黒はマズイ」なんぞという事はありませんね
そう言えば、仏教には次のような教典で興味深い説明をしておりましょう
〖唯識論〗
仏教の真髄である此の{ゆいしきろん}で次のように断定しておりますよ
「この世の全ては実体などなく、単にその人々ごとの捉え方、認識の仕方に過ぎないのだ」
〖魔訶般若波羅蜜多心経〗
この{まかはんにゃはらみったしんぎょう}なら一般的にも知られておりましょう、「全ては空なのだ」と主張されていることもです
なお、これは〖唯識論〗をコンパクトにしたものですよ
〖結論〗
以上、これにて{幸に反語がない理由}が分かって頂けたものとしてペンを置きましょう
え!「ならば{幸}の言葉も無用だろう」ですって?
ムム、ご返答は自返させて頂きます
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