尋ねないで稽古しなさい
尋ねないで稽古しなさい
オイゲン・ベリゲル著/弓と禅
わかるとは何か。どのような状況になったら「わかった」と言えるのか。
旅先で道に迷ったとき、買い物で欲しいものが見つからないとき、ぼくらは尋ねる。ところで、そもそもなぜ人は、尋ねるのか……自分の胸に手を当てて考えてみた。
より早く解決したいからか。
時間がないからか。
予定通り、元通りに戻したいから……
いずれにせよ、失敗せず(失敗を極力小さくして)いち早く正解に辿り着きたいのだ。
もちろん、時と場合によっては、より早い解決を必要とする場合もある。だから、尋ねること自体わるくない。しかし、その「わかる」とは、探す(考える)営みを奪っているとも言える。
わからない楽しさがある。
映画「インターステラー」は何度観てもチンプンカンプン。それでも、わからない楽しさがある。その楽しさは、中々わからない「インターステラー」の映画の中にある。
「尋ねないで稽古しなさい」という言葉も、稽古の中に知りたい答えはある、それを掴めるか否かは自分しだい。
と思いつつ、久しぶりに読み返えしています。