影響力とは期待値なのかな
たけしさんの本でもよく書かれていることなんだけど、人生に期待をするなって。確かに期待をするから期待を裏切られるわけで、それで落胆したり逆上したり。そもそも期待してるからだとは思うけど、世間はそれを許さない風潮ってあるよね。右向け右で一斉にバッシングしたり。期待してたのはオマエラだろって思うんだけど。
サザンの紅白、あれみんな期待してたんでしょ。で、期待に答えて出てくれたのに、なんだあのステージは、謝罪しろと街宣車まで飛び出す始末。サザンに何を期待してたんだって思うよね。サザンのライブではいつもの事なのにって声も聞きました。テレビでは見せないサザンの姿があるからライブ会場に行く。テレビでのイメージの期待値をライブでは裏切ってくれる。期待の裏切りがオモシロさに直結すると思ってるからそれが正解というか、面白い所のハズが、ミリオンセラーのお利口さんに期待するのはお利口さんなステージだったのかもしれませんね。ようやった、あっぱれという人も中にはいるけれど、なんだアレはに乗っかっちゃうのが浮動票で、その割合が増えて行く事が売れるという事なんだろうな。そうして作られた影響力、元々持ってた影響力の何倍もの影響力が、作られたイメージ、サザンというパブリックイメージにそぐわない行動を許してくれないんだろうなと。あの謝罪は色々いやな思いしたよね。「紫綬褒章、5000円から」でいやな思いを感じた人以上だったんじゃないかな。じゃどっちが悪い事?っていったらまぁいいも悪いもないけど、いやな思いをさせた人数でいったら明らかに謝罪だよ。謝罪させたことだよと思うな。
学校で教えておけばいいんだよね、人生に期待するなって。人生にも、人にも期待するなって。子供に夢を持って育てとか言うのは分かるけど、それと同時に人生にも人にも期待するなってことは教えておかなくちゃいけないよね。無責任に夢に向かって走らせても、そのゴールがいつまでたっても見えないんじゃ、誰か助けてくれないかって期待しても、期待に答えてもらえなかったら絶望するでしょ。だからそもそも期待するなって。誰も人の為に動いてくれないからね。動いてくれるには当然裏があるわけだから。つまり見返りを期待して動いてくれるわけだけど、それも期待しているから当然絶望の結果もあり得る訳で。それぞれの期待の結果のよじれが事件にもなったりするんじゃないかな。バレンタインの日に期待して登校しても何ももらえなかったら絶望するでしょ。でもそもそも期待なんかしないで登校すればいい訳で、基本もらえる訳が無いで、たまたまもらえたりしたら嬉しいと。登校時の期待値が8として、もらえなかったら8から0のマイナス8のダメージ。登校時の期待値が0ならもらえなかったら0なのでダメージは0。どう考えても期待してる方が損というか、期待するからダメージ受ける訳で、期待をしなければいい。本当にそう思いますね。
ここまでは自分が期待することだったけど、何も期待は自分がしなくても、勝手にされることがある。むしろ世の中はそれで回っているのかもしれない。つまり人が自分に対してする期待だ。こればっかりはコントロールのしようが無い。どれだけ期待をするなと言っても聞かない人がいるし、またまたなんて言われてしまう。映画なんか観に行って感じることもあるだろう。期待はずれだったと。だから期待して見に行くからそうなるんであって、監督に期待してるのか、出演者に期待しているのか、その期待値に答えてくれなかっただけで期待外れだったと言う。これには監督も、演者もたまったもんじゃないが、それが影響力なのかもしれない。期待させてしまうという影響力。その影響力が強ければ強い程世間は期待する。期待する程バカを見るのにだ。思ってたのと違うとか。本当に見ていたらその期待はずれな感じが、面白みなハズだし、そんなに毎回ど真ん中直球ストレートばかり投げないでしょ。たまには変化球で裏切ってくるから、なにくそ〜って思って次こそ打ってやるってのが面白みなんじゃないかな。その期待させる影響力を上手くコントロールしてセールスにつなげるとか、仕事に活かして行けるようになるのが上手いやり方なんだろうな。それがAKB商法、まキャバクラ商法なんだろうけど。
子供に期待して育ててると、その期待に答えなかったら怒るし、子供はすごいプレッシャーの中で育つ訳だし、そうなるとやれ学校が悪い、世間が悪いとモンスターペアレントになってしまうんじゃないかな。カエルの子はカエル。本当はおたまじゃくしだけど、大人になったらカエルになるんだから、オタマジャクシに何を期待してるんだってね。ほっといてもカエルになるんだから。そのヒドさがイコール期待値なんだろうけど、ほっといてもやる奴はやるし、やらない奴はやらないんだから期待するのがやっぱり間違ってるよなぁ。
だからボクは「俺に頼んだ罰だ!」とよく言っている。言いはしなけど思っている。何を期待して頼まれたかなんてだいたい見えてるわけですよ、ボクに頼むってことは、金ない、時間ないモノしかまぁ無いのでそこでどうその期待を裏切るか、それ以上の働きと言えばいいんでしょうが、どう期待を裏切るかが面白みだと思ってるので、出来たモノは決まって胸を張って「俺に頼んだ罰だ!」と言うわけです。いい意味での裏切りになるように。ってなってるのかしら?
2015年2月27日のハラセンブログより
http://hara1000.com/weblog/2015/02/post-1669.html