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Vol.30 大学スポーツへの提言(2009/6/19)

私は、中学生時代に陸上競技と出会いました。
競技生活と、それを通して出会った様々な人々とのご縁が、自分の人生を
一本筋の通ったものにしてくれました。その信念は、自分が指導者になり陸
上競技を教える立場になってからはますます強いものになりました。

スポーツ活動を通して児童・生徒の自立を促すことはたいへん大きな意味を持ちます。
そしてスポーツに限らず、音楽活動や芸術的な創作活動、学校行事や生徒会活動などに打ち込み学生時代を過ごすことは、必ずその後の人生を豊かな
ものにしてくれます。
さらには、その活動に携わり指導する「指導者」たちが、何を考え、何を目的として指導にあたるのかが、その後の児童・生徒の「豊かな人生」の質に大きな影響を与えるのです。
    
私は今も陸上競技を通して、小学生から大学生・社会人までの選手と接する機会があります。ただ陸上にうちこみ、スポーツが好きだからと言うだけで人間力の高い、人として輝く魅力的な人間になるわけではありません。
小学生でも社会人でも関係なく、「その活動を通して人間的に成長したい」と考えているかどうか、また考えさせられるような指導を受けているかが大変
重要です。
このことは、ただ仕事ができるからといってその人が人間として魅力的で素晴らしいというものではない、ということと全く同じです。
その活動を通して何を学ぶのか、何を教えられ、それをどのように受信し、
活動を通してどのように社会に「送信」=表現するのか
、ということが大切なのです。

大学生による一連の不祥事・逮捕騒動などを見ると、未学習の恐ろしさを感じずにはおれません。たとえ大学生であっても、教えなくてはいけません。何が正しく何が間違っているのか、とことん教えなくてはいけません。そして道徳性、社会性の重要さを教育しなければなりません。

また、もう一つ心にひっかかっていることがあります。
それは、大学生が問題を起こしたり、犯罪を起こした時に、その問題が個人の枠を超えて短絡的に組織の在り方の問題につながっていくことです。
たしかに、たとえばサークル活動やクラブ活動などで組織的に間違った行動が広がり、組織の構成員がその事実を知っていたとしたら、それは組織としての責任を問われるべき問題となるでしょう。
しかし、何かの組織に所属している個人が起こした問題がすぐに組織としての在り方や体制の問題へと繋がることには、むしろ危機感を覚えています。
ここ数年で、いったいどれほどの大学生のクラブ活動が「活動停止」「出場停止」「廃部」となったことでしょうか。
4回生が問題を起こすと、その問題を何も知らなかった1回生にも波及するということです。「運が悪かったと思え」「同じクラブにいるのだから仕方ない」その一言で済ませることができるのでしょうか。真面目に取り組んでいた選手の人生を、そのような不条理な理由だけで終わらせても良いのでしょうか。そのような例を数多く見てきました。

私が提案したいのは、大学内の組織に所属する学生が問題を起こした時に、その問題を冷静に判断する第三者機関の設置です。
問題が法に反するのかどうかを判断するのは警察の仕事です。私の提案する第三者機関では、ある生徒が起こした問題が本当に組織全体に関わることなのか、組織として責任を取る必要があるのか、その責任はどのような形で取ればよいのかなどを判断します。
十把一絡げのように、問題が起これば即活動停止、出場停止、廃部では、これからの大学スポーツは衰退の一途をたどると思われます。また大学スポーツだけでなく、その前後に続く、高校、中学、小学生そして社会人スポーツも魅力を失い、スポーツ全体の危機を迎えるでしょう。
時代は流れています。大学生をとりまく環境も大きく変わっています。大学の進学率も高くなりました。状況を的確に判断し臨機応変な対応を取る必要があります。

私は問題を起こした学生をかばっているのではありません。
むしろ、事情を全く知らないまま真面目に活動している「それ以外」の生徒を守りたいと考えているのです。
大学が、世論やマスコミの動向を意識することは大切なことかもしれませんが、目の前にいる大学生の真面目で真剣な活動を守ることができないようでは、本末転倒と言わざるを得ません。

最初に述べたように、私はスポーツを通して今の人生の土台を作りました。その土台は今の私の人格や人間性に大きな影響を与えています。私が仕事で成果を出すことができるのは、その土台が強固なものであるからです。
私が、スポーツに関わるスキルやルールだけを教わったのではなく、スポーツを通した人格教育を受けたからです。教え導くことなしに、自主性に任せることはできません。「学生の自主性に任せる」などという言葉は、時として教育を怠った者の言い訳にしか聞こえません。

どんな時代も社会は問題をはらんでいます。問題を起こさないための対策を事前に徹底することはもちろんのこと、問題が起きた時にどう対応するのかの事後対策を立てておくことが重要になります。その対策は、形式的なものではなく、臨機応変な人間的な判断に基づくものであることが大切です。

私は、スポーツに真剣に取り組むことで育つ人間力を知っています。社会的・道義的に正しい目的を持って行われる組織活動に打ち込むことで育つ協調性やリーダーシップを知っています。そういった「教育活動」をなくしてしまうことは日本の大学、そして日本の未来にとって大きな損失となります。
 
各大学は、早急に自大学の組織活動を見直し、正しい教育を行うことが求められます。
不幸にも問題が起こった時には毅然とした態度で臨むとともに、冷静に状況を判断し、処罰を施すべき対象を見誤らようにしなければなりません。
最高学府としての大学・大学院の社会的責任を果たすべく、各関係諸機関には大局的な見地をもってことに接することを強く望みます。

(感謝・原田隆史)2009年6月19日発行

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