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Vol.113 大相撲・改革への提言(2011/2/17)
大相撲です。白鵬の連勝や6連覇など、ようやく明るい話題が続いたと思った矢先、八百長問題が噴出しました。
八百長なんか、あるのは分かっていた、という意見もあります。大相撲協会は、八百長報道でこれまでにメディアと裁判沙汰にまでなり、勝訴を納めていたにも関わらず、今回、メールの記録や通帳でのお金の出し入れといった動かし難い物証を突き付けられ、八百長があったことを認めざるをえませんでした。
私が連日の報道を見聞きしている中で、納得のいかない、信じられないと思うことがあります。それは、「調査に協力するための携帯電話や預金通帳の提出を拒否する力士」の存在と、そういう行動がまかり通る国技を統括する大相撲協会の、「組織」としての統率力のなさです。
組織の存続の危機だと言う時に、この期に及んで個人の都合を押し通そうとする者がいるという、その状況に、私は大変な危惧を覚えます。
しかし、最初に申し上げたように、「やっぱりそんなこともあるか」という気持ちがしています。
大相撲協会は、組織のタイプで言えば「なれ合い型組織」です。
決まり事やルールはあるが、全員がきっちりと守っているわけではない。
一部の影響力のある人間が、自分がルールだという風情で好き勝手している。真面目な者もたくさんいるが、好き勝手している者に不満を抱きながら、我慢をしている。指導する立場の者の指導力は低く、ルールを徹底させることができず、場当たり的な対応に明け暮れている。こういう集団からは、人間関係のトラブル、即ち、いじめが発生しやすい。
一方、昨年のワールドカップや先日のアジアカップでのサムライジャパン、サッカーの日本代表チームはどうだったでしょうか。
伝え聞く話では、なれ合い型組織の特徴は、ジャパンチームにはありませんでした。
毅然としたリーダー(監督)の指導、お互いが意見を言い合う対等な関係、本音で話し合う選手たち、時間に遅れた若手選手をキャプテンの長谷部選手が厳しく指導した、という話もありました。スタート選手も控え選手も、お互いを尊重して感謝している。
こういった集団は、「理想の集団」と言えます。理想の集団は、高い成果を上げます。ジャパンチームでいえば、それは決勝トーナメント進出やアジアカップ優勝ということです。
私は中学校教員時代、また起業して多くの会社で研修をするようになってからも、数多くの「なれ合い学級」「なれ合い企業」を見てきました。同じように、「理想の学級」「理想の企業」もたくさん見ることができました。
現在の大相撲協会の状況は、私が見てきた「なれ合い学級・企業」と、全く同じ様相を呈しています。
人が集まれば、集団・組織ができあがり、組織では人間同士の関係が生き物のように時々刻々と変化し、様々な影響を及ぼし合います。プラスもあればマイナスもあります。組織が人の集まりである限り、課題や問題を抱えることは当然です。
全ての組織に課題や問題が起こるとすれば、なぜ、課題を乗り越え成長する組織と、課題や問題に飲み込まれてしまう組織に分かれてしまうのでしょうか。乗り越える組織と、飲み込まれる組織には、どのような差があるのでしょうか。
私は、その差を生む要因は、組織に所属するメンバー一人一人が、課題や問題に対してどう臨むか、その姿勢に尽きると思っています。
大相撲に話を戻してみましょう。
八百長問題が起きました。「八百長」という問題について、相撲協会の人間の立場として考えられるのは、次の三つです。
・八百長をしていた張本人
・八百長があることや八百長力士の存在を知っていた。(自分はしていない)
・八百長があることすら知らなかった。寝耳に水だ。
上記は、三つの「立場」です。立場とは別に、私は、組織に問題が起きた時に、取るべき「態度」があると考えています。それは、次の三つです。
・八百長をして申し訳ありません。反省し、責任を取ります。改善します。
・八百長をしている人を知っていたのに、何もアクションを起こしませんでした。自分にも何かできたかもしれない。反省して改善しよう。
・八百長があることすら知らなかった。しかし、知らなかったから何もできなかったのではない。今後は、そんなことが起こらないように、もっと積極的に良いムードを生むためのアクションを起こしていこう。
いま、大相撲協会には、三つの「立場」の力士や親方がいます。しかし、どの立場の人間も、その立場の者が取るべき「態度」を取ることが出来ていません。
八百長をしていたと言われている力士は、携帯電話の提出を拒み、八百長を知っていた力士はどうせ人のことだからと考え、八百長を知らなかった力士は、誰が勝手なことしたんだ、迷惑だ、と考えているのです。
大相撲協会には、自浄作用、自治能力がありません。組織としてはとても未熟な状態ということで、これは大変残念なことです。
私が大相撲協会の親方や理事、理事長であれば、「立場と取るべき態度」の話を、全協会員に本気、真剣に語りかけます。そして力士に選ばせます。
大相撲協会が今の苦境を乗り越え、ファンの期待に応えることができる本物のプロスポーツ集団に生まれ変わるには、大相撲関係者の意識改革以外にはないのです。つまり、主体者意識です。当事者意識ということです。
真面目に稽古に励み、ファンや地元の人々の期待に応え、裏表なく大相撲道に精進していた力士も数多くいるのです。ほとんどがそうでしょう。真面目な人間こそが日の目を見る、そういった真っ当で筋の通った、当たり前のことが通用する大相撲であってほしいと、私は強く願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
(感謝・原田隆史)2011年2月17日発行
*発行当時の文章から一部を変更している場合があります。