現実よりも大切なものはあるのか?
なんとなく、現在の感情が大切な気がしたから書き留めたくてnoteに綴りました。
ここ最近、現実よりも大切なものがあるのか、ということをよく考えています。というのもあまりこういった公の場で自身のことを語るのは得意ではないでのすが、今年は良いこともありましたが辛いこともさまざまな環境の変化が夏頃から一気にあり、その都度、現実と今後作り上げていくであろう理想の世界(未来)について考えていました。
その中で学んだのは慌てない、ということだったのかも知れません。
慌てない、というのは生き急がない、ということではありません。
刺激だったり達成感だったりを刹那的に求め、現実の穴埋めをしないということです。刺激によって不安を見ないようにしたり、現実に対する虚無感を埋めようとしても埋められることはわずかだし、それは永続的な満足ではないということです。
哲学的に考えれば、美的実存の段階から脱却する年だったのかなと思っています。美的実存というのはキルケゴールの言葉ですがようするに実利的、実直な欲望を求める段階です。車でもお金でも異性でもなんでもいいのですが、そういった俗っぽい単純な欲を追い求める段階のことです。
有名なわかりやすい言葉を出せばJ.Sミルの「満足な豚より不満足なソクラテスになれ」という言葉が近いでしょう。俗っぽいものは刺激もあり、高揚感も簡単に得られるので短期間で気分を良くすることができます。しかし、幸福は量ではなく質をもとめてこそ、長時間充足感を得られるのかもしれないです。
私は俗っぽいものにいままであまり抵抗がなく、自分に近い他人が自堕落な生活を送っていたりしてもあまり気にならず、また他人の人に誠実ではない行動を見てもひどい嫌悪感を感じることはあまりありませんでした。
ルール無用、といえば聞こえはいいかもしれませんが包み隠さずにいうと清濁あって物ごとは成立するとおもっていたので、汚い世界やひどい人を見ても軽蔑心を抱くことはありませんでした。
けれども、それは自分が深く傷つかないためのただの防衛本能であり臆病な気持ちの表れなんじゃないかと最近になって思います。
人を信じないほうが傷つかないから、と誠実でないものを受け入れる。否定せず容認する。容認することで「いや世の中そんなもんでしょ」と毒に徐々に自分の体に慣らしていくような行為です。
しかし、最近になってそこまでして自分はなにを守りたいのか、と考えたときに、こうした寛容さは自分から幸せを手放している行為なのではないか。と考え直す機会がありました。
不誠実なものを容認する、という諦めのような冷たい気持ちを保持してまで、受け入れる必要があるんだろうか。それは、ただ変化が怖いというだけの意味なき執着なのではないだろうか、と考えさまざまなことを清算する年にもなりました。
毒は味わい深かったとしても、それで気分がよくなることはありません。これは、確かアランの言葉だったでしょうか。毒に味覚を慣らすことで強さを得ても、心や価値観は蝕まれていくかもしれません。
タイトルの「現実よりも大切なものはあるのか」に話を戻しますが、私の中では、現実より大切なものはある、と思っています。
現実を優先しすぎることで、斜に構えるようになった自分がいたら、その現実は本当に執着すべきものか考える機会をもってみていただきたいです。
今回私が言っている現実というのは取捨選択できるものという前提でお話ししていますが、取捨選択できないと感じるときはまず遠くを眺めてみることの大切さも学びました。
日々の虚しさを埋めるための満足や、目隠しとなる刺激を求めていては、触れることができない価値観もある。そういった価値観に触れるためには、まず自分が変わらなくてはいけない。そして、その価値観を追い求める自分に酔うのではなく、真の意味でその価値観に深く心酔できる自分に成長していくことが今後の課題であると思いました。
ものすごく抽象的な話ですが、大きな心の変化があったので書き留めておきたくて記しました。
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