兆しは非常に微妙なある種の感覚に似た、点である。
手にする。この言葉は面白い。
手にするには、手からこぼれてはいけない。腕や肩や体全体もしっかりしていないと手に取れない。
手に隙間を作ると、手からこぼれ落ちる。
さらに手にするには、挑戦が必要。
さて、この挑戦の「挑」の字は、「兆」(きざし)を手に持つと読める。兆しは非常に微妙なある種の感覚に似た、点である。兆しを掴んで手にして初めて、挑む(いどむ)ことができる。
みつけた兆しは、運ばれて(辶)どこかへ消えてしまうかもしれない。兆しを「逃」す(のがす)のである。手に入れることが難しくなるが、それは縁と運の問題かもしれないし、タイミングが悪かったからかもしれない。
やっとの思いで、挑戦して努力して手に入れたものは、兆しが木に成る、つまり実になるということ。それを表す漢字が「桃」だ。桃の実は甘くてみずみずしい。果実を手に入れることになる。(厄除けにもなるらしい)
時に、兆しも、あっココだよとアピールすることがたまにある。ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねる。「兆」に足がつくと跳ねるんだ。
なにかを手に入れようとするなら、まず兆しを感じて、挑戦してみる。別に逃してもかまわない。時期の問題もあるから。ただ挑戦しないのはもったいない。兆しが跳ねていたら、迷わず行動を取ることも、なにかを手にするチャンスになるだろう。
手にするには、まず兆しを感じ取ること。身体全体を整えておくこと。
あとは機をみて敏に行動すること。
また、手にしたものは、おすそ分けすると喜ばれる。
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