「たくさんもらったら おすそわけ すこしだけでも おすそわけ」 はらまさかず
学生の頃、母から干し柿だの、ぎんなんだの、いつも食べきれないほどの食材が送られてきた。困ってしまって、食べきれないからいらないと言った。すると、母は、
「あんた、もしかして、ぜーんぶ、ひとりで食べとるの?
ほんとにあんたはケッチやなあ。みんなにあげればいいが」
と言った。
「こっちの人は干し柿やぎんなんなんか食べへんよ」と言うと、
「その人が食べんでも、誰かにあげるがね」と言った。
それから30年。
先日実家に帰った時、久しぶりだったので、いつもより多めにお土産を買っていった。
母にお土産をわたすと、案の定、すぐにいろいろなところに持っていく。
「挨拶用のは別にちゃんと買っとるで、家のは家で食べればええが」と言っても、
「夫婦二人やもん、そんなにいらんが」と、自宅用のまで、ほとんどあげてしまう。
「せーっかく買ってきたのに」と言うと、
「たくさんもらったらおすそわけ、すこしだけでもおすそわけ。まーくん、人間そういうもんやよ」と言った。
確かに、家には朝から晩まで人が来る。野菜やら花やら、お菓子やらのおすそわけ。それをまた母が小さく分けてどこかへもっていく。単に、田舎のつきあいと思っていたが。
「そんなあげてばっかりおったら、返すもんを持っとらん人は肩身が狭くなってまうわ」と言ってみた。すると、「なーんで。返すもんのない人なんておらんがね。ありがとうっていってもらうだけで、こっちももらっとるんよ」と言う。
東京に戻るとき、毛糸でできたスポンジやら、布製のお守りやらを持っていけという。私の知らない近所のおばあさんたちがつくったものらしい。これは正直、本当にもらっても困る。使うと思えないし、手作りのものを捨てるわけにもいかない。それで、そんなのいらないと断ったが、いらないなら誰かにあげてという。
仕方なく、手に取った。
でも、よく見ると、お守りやスポンジは、なかなかよくできている。
「ひまつぶしに作ったんやろか。…よくできとるな」と言ったら、
「あーんた、年とって、いくら暇があるからって、誰が暇つぶしに作ったもんをくれる?」
「うん」
「誰かに使ってもらおう思って、みんな一生懸命作っとるんだが。
だで、使ってあげて」と母は言った。
結局、スポンジやお守り、ほかにもいろいろなおすそわけをもらい、東京に戻ってきた。
もらったぎんなんをマンションの一階で一人暮らしをしているおばあさんにおすそわけした。そしたら、大きな柿とゆずを一つずつもらった。いつも野菜をくれる近所の人にもぎんなんをおすそわけした。スポンジはとても使い心地がいい。