18年間勤めた会社を退職して海外へ!大きく価値観が変わった私の転職体験談
こんにちは。私は夫の駐在勤務がきっかけで、新卒から18年間働き続けた大手電機メーカーを2019年の8月に退職し、現在はイギリスのロンドンで働いています。
初めての海外就職。ずっと同じ会社で働いていた私の価値観は大きく変わりました。
新卒で大手電機メーカーに入社
大学を卒業後、大手の電機メーカーに入社をしました。この会社を最初に受けたきっかけは、父に推薦されたからです。
その頃はまだ大企業に勤めることが成功だといわれていた時代だったので、父は私にどうしても大企業に入社してほしかったようです。しかし私自身は外資系のコンサルティング企業が第一志望で、入社を考えていたのですが、当初は外資系企業に対する偏見も多く、父に猛反対されて激しく対立してしまい、憤りを禁じえませんでした。
私は自分の意志を曲げたくなかったので、自分の意見を押し通して電機メーカーの内定を辞退しようとしていたのですが、社員の方がなんと私を説得に来てくれました。
「弊社に足りないものは何か」「その外資系コンサル会社と弊社の違いは何か」など数々の質問を通じて私の意向を汲み、一学生の話にここまで熱心に耳を傾けてくださる社員の姿勢に感銘を受け、この会社で働いてみたいという気持ちが湧くようになりました。
結果的に私は大手電機メーカーへの就職を決意します。
営業希望だったけど…いきなりITの世界へ
私は法学部ですが、人と関わることが好きだったことと法務部の募集人数が僅少だったことから、営業の仕事が希望と会社に伝えていました。
ところが職種はまさかのシステムエンジニアでした。
ちょうど私が入社した頃はITバブルといわれていた時代で、インターネットやシステムが急成長していくと予想されていた頃。営業社員はシステム知識を持っておくべきという会社の意向で、まずはシステムエンジニアとして現場で経験を積むことになりました。
予期せぬ展開に、やはり外資系のコンサルティング企業に就職しておくべきだったと後悔したのが本音です。
4年ほどシステムエンジニアとして勤務し、プロジェクトリーダーも経験したあと、社内異動のチャンスがあったので法務部門へと異動しました。
法務部から中央官庁への出向…そしてマーケティングを経験
法務部に配属になってからは、契約審査、コーポレート、コンプライアンスなど幅広い業務を担当しました。また、中央官庁にも出向経験があります。
中央官庁では事業者の競争法コンプライアンス強化に向け、セミナー講師として登壇したり、競争法関連の報告書を取りまとめたりしました。
出向を終えたあとは法務部には戻らず、マーケティング部門へ異動。シェアリングエコノミーの活用や社内初の保育関連事業の企画などを担当しました。
このように1つの会社に長く勤めてはいましたが、部署異動や出向などにより、さまざまなお仕事を経験できました。
仕事は楽しい!それでも苦しいこともゼロではなかった
上司、同僚、先輩後輩に恵まれ、人間関係においてストレスを感じることは少なかったです。職場の風通しがよく、立場や年齢に関係なく自由に意見表明や仕事の提案ができました。若いころからある程度裁量を与えてもらえましたし、聞く耳を持ってくれる上司や同僚も多かったので、チャレンジしたいことや改善が望ましいと考えたことなどを積極的に発言できたことは、大きなやりがいの一つでした。
ただ、それでも働いていて苦しかったり不満に感じたりすることもゼロではありません。
ワーキングマザーの出世が容易ではなかった
私が昇格をした当時(約10年前)はワーキングマザーの出世は容易ではありませんでした。しかも子供が幼かったので、時短勤務をしていたのですが、当時の上司に
「昇格させてあげたいし、頑張ってくれてはいるんだけど…勤務時間がね..どうしても、時短じゃなくフルタイムで勤務している人が昇格候補として優先される」
と言われ、昇格の機会を得るまでに数年かかりました。仕事の成果でなく勤務時間が評価基準として優先されることには、正直納得がいきませんでした。家族とも相談して、最終的には時間短縮を解除してフルタイム勤務に戻すことで対応しましたが、多様な働き方がもっと認められる社会になってほしいと切に願います。
1人の先輩からの執拗なパワハラ
法務部に異動した時に、パワハラにあいました。
その方は直接の上司ではなかったのですが、何かと気にかけてくださっていたのか、よく面倒を見てくれていました。
ただ、毎日個室に呼び出されたり、ほぼ毎日退社後に携帯に業務関連のメールが届いたり、日曜日の23時に「今から電話ください」と連絡があったりと指導の方法に少し疑問を感じていました。
毎日2人で個室に行くことに周りからも不思議な目で見られるようになったこともあり、少し距離を置くようにした頃からパワハラが始まります。
仕事の内容に関してとても攻撃的に攻めてきたり、私だけ打ち合わせに呼ばなかったり、他の部署の方々にも私のことを「仕事ができないダメな人間」と言いふらされたりしました。
法務部の仕事では他の部署と連携することも多かったため、他部門とのコミュニケーションに支障をきたすようになり、どんどん自分の居場所が奪われていく気がしました。
このような嫌がらせが半年以上続いていた頃は会社に行くことがとても億劫で、仕事人生で最も辛いと感じていました。幸いにも人事異動があり、この先輩とは一緒に働かなくなりましたが、もしずっと仕事をすることになっていたら転職を考えていたかもしれません。
長く勤務を続けていればどんな職場でも不満を抱えてしまうと思いますが、私も例外ではなくこのような出来事にモヤモヤとした気持ちを感じながらも働き続けていました。
ところがある時、人生の転機が急に訪れたのです。
日本に残るか一緒に海外に行くか?迫られる重大決断
現在の会社に入社して18年目になる頃、夫がイギリスのロンドンに駐在員として派遣されることになりました。
当時、会社では夫の転勤について行くという理由での休職はできなかったため、仕事をやめなければなりません。
ただ私はその報告を受けた時、ついていっても日本に残って今の会社で働き続けても正直どちらでもいいと思っていました(笑)。
息子が当時中学生で第一志望の中学校に受かっていたため、息子が日本にいたいと言えば残ろうと思っていました。
そして、息子の返答は…「ロンドンに行ってみたい」でした。息子がロンドンで生活する場合、ビザの関係上働きに出る夫の他にガーディアンという保護者の代わりとなる人物が付き添う必要があります。外部にお願いするのではなく、私が保護者として帯同するほうが良いと考え、私もロンドンに行く決断をしました。
海外移住をきっかけに新しいチャレンジをしてみたいと思った
実は私の勤めていた会社ではロンドンにも工場を持っていたため、強くお願いをすればその工場での勤務ができるかもしれないという話もありました。ただ、私の中ではその選択肢はありませんでした。
正直に言ってしまうと今の会社に少しばかり飽きてしまった部分もあったからです(笑)。
先ほど述べた不満もあったのですが、新卒からずっと同じ会社で働いてきたのでこのタイミングで他の世界も見てみたいという気持ちが強くなり、退職を決意しました。
意を期してロンドンへ!悪戦苦闘の毎日
ロンドンに行くことを決意し退職の意を伝えたあと、早速転職活動を始めました。現地の日本人向けの求人を出しているエージェント5社(Centre People、JAC Recruitment、Access Point、Kens Recruitment、People First)に登録し、日本にいるうちから求人をチェック。
日本でのエージェントは担当者が1人ついてその方が案件を紹介してくれることがほとんどだと思いますが、ロンドンでは担当者はつかず、おすすめの案件があったらエージェントから連絡があり、私が興味を持てば選考に進むというやり方でした。
転職活動をしていく中、エージェントの一つCentre peopleでロンドンの法律事務所(ジャパンデスク)の求人を見つけ応募します。1次面接は日本でSkypeを通して行い、2次・3次面接は実際にロンドンに渡航したあとに現地で受けました。
私はこれまで仕事でもプライベートでも英語を使うことはほぼ皆無。全くと言っていいほど英語ができなかったため、面接はボロボロでした。しかし直属の上司となる日本人の弁護士が、これまでの私の経験を買ってくれて経営層や人事部を説得してくださり、正社員としての入社を認めてもらえたのです。
給料も減額、会話もできない。それでもひたむきに働いた
実際に入社が決まったものの、私は英語が喋れなかったのでとりあえず3ヶ月限定の雇用契約という形で入社しました。
さらに、求人票に書かれていた給料も25%カット。前職よりも給料がかなり下がってしまいました。
前職より給料が下がると落ち込んでしまいがちですが私はイギリスで働いてみたい!という気持ちの方が勝っていたので全然気になりませんでした。
しかし、実際の仕事は苦労の連続。
直属の上司は日本人で、顧客も日系企業の日本人担当者がほとんどであったため日本語でコミュニケーションが取れますが、他のスタッフは全員外国人。英語がほとんど話せなかった私は満足にコミュニケーションを取れませんでした。
それが悔しくて、必死で英語を勉強しました。毎日25分間オンラインの英会話レッスンを受け、language exchangeのパートナーや息子の学校の保護者など現地の友人たちとwhatsappでチャットし、テレビやSNSは全て英語で視聴しました。現地の友人と飲食に出かけたり、英語のツアーに参加したり、職場では同僚との会話の時間を積極的に設け、日本語の利用は極力減らして英語を使う時間を増やしました。
少しずつ英語でのコミュニケーションもできるようになり、またジャパンデスクでのパフォーマンスを評価してもらえ、半年間の契約延長が認められました。
慣れてきた頃に…コロナウイルスによる契約終了
法律事務所で勤務をして半年が経つ頃。渡航当初よりも多少は英語を話せるようになり、日常的なコミュニケーションもだいぶ慣れてきたと感じていた時に、とある出来事でまたしても人生に大きな動きがありました。
それはコロナウイルスです。1月や2月はまだイギリスではコロナウイルスは蔓延していませんでしたが3月頃には感染者が一気に増加。ついにはロックダウンという事態にまでなりました。
ロックダウンが起こったことでイギリスの経済状況も一気に悪化。私の働いていた法律事務所も例外ではありません。加えて上司が退職することになり、ジャパンデスクを閉鎖する可能性が出てきたため、半年延ばして頂いた私の契約も、再延長はなく終了になりました。
それでも、関係性は悪くならず「もしまたジャパンデスクでの仕事が忙しくなったら声かけるね!」と温かい言葉をかけてもらえていました。
けれど、それを待っているわけにもいかないので新たに転職活動を始めました。
転職活動の合間に決まったボランティアとしての仕事
2度目の転職活動は2020年の5月頃から始めていたのですが、コロナウイルスの影響は大きく、求人がほとんどありません。6月になると徐々にロックダウンが解除され始め下旬には少しずつ求人が増えてきていました。7月にはエージェントのCentre peopleで紹介してもらった別の法律事務所で内定をいただき、8月から勤務することが決定しました。
転職活動をしている間にボランティアの仕事も引き受けることになりました。きっかけはロンドンに住み始めてからできたイギリス人の友達の「英語と日本語のバイリンガルの幼稚園を立ち上げたくて、英語から日本語へ翻訳のお手伝いをしてくれる人を探している」というひとことでした。
私はちょうど法律事務所の雇用契約が終わるタイミングで、もともとボランティアの仕事もしたいと思っていたので「私でよければやらせて欲しい!」とお願いしました。友達もとても喜んでくれて、ボランティア契約を結びました。
イギリスではボランティアも立派な転職だと評価されます。友達とのご縁には本当に感謝しかありません。転職活動が成功して仕事を得られた場合にも、並行してこのボランティアのお仕事も続けていきたいと思っています。
自分をリセットできたからこそ、どんな環境にも飛び込める
私は、大手企業を退職してイギリスに来て本当によかったと感じています。日本では得られないたくさんの経験を積むことができたというのはもちろんですが、一番はプライドを捨てるきっかけができたことです。
今思い返すと、私は日本にいた頃はプライドがあったかもしれません。四大を卒業して、大手企業に就職できたことで、その成功を手放すのが怖かったり、周りの目を気にしていたりしていたように思います。会社に不満に思うことがあっても辞める勇気はありませんでした。自分では相当に積極的で活動的な性格だと思っていましたが、”守られた範囲の中で”の話だったと、ロンドンに来ることで気づくことができました。
日本を離れ、異国の地に飛び込むことでこれまでの自分をリセットできた気がします。今は給料にも社名にも就業形態にもとらわれてはいません。「チャレンジしてみたい!」という純粋かつ素直な感性にしたがって行動ができています。人の目も一切気にせずに自分らしく生きられていると感じています。
私の尊敬する方の言葉にこんな言葉があります。
「一度チャンスを手放すと、そのチャンスは他人のところにいく。そして再び自分にはチャンスが回ってこないか、回ってきても数年先になる」
「立場が変わると見える景色が変わる」
実際に私はロンドンに来て、見える景色が180度変わりました。
今の立場を手放すことや、プライドから解放されることは、自分自身の経験からも、容易なことではないと思います。ただ、今転職に悩んでいる方には、チャンスが訪れたならばぜひつかんでいただきたいです。その後に見える景色は、今までのあなたが知らなかった景色であり、きっとその後の人生をさらに彩り豊かにしてくれるはずです。
取材・執筆:渡辺健太郎(けんわた)(けんわた@美容とジェンダー)
編集:chewy編集部 はら